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青森県宗務所「狭山市現地研修会(現調)」
(2000.11.2)



   2000年11月2日、曹洞宗青森県宗務所人権学習「狭山市現地研修会」がおこなわれた。講師は 部落解放同盟中央本部安田聡氏(写真中央)。雨の中、一審死刑判決および二審無期懲役(寺尾判決)の根拠となった「自白」に基づいたコースを 歩いたのである。狭山駅西口→荒神様(三柱神社)→被害者との出会い地点→殺害現場→再現された石川さんの家・・というルート だった。
   「自白」によれば5月1日午後2時頃狭山駅からぶらぶらと荒神様の側を通り被害者と遭遇したのは午後3時半をゆうに過ぎたころとなって いるが、実際歩いてみるとせいぜい15分たらずの距離。三柱神社でその日流していた祭りのレコードも耳に入らず、 たったこれだけの距離を1時間半以上もかけてぶらぶら歩いたということに、まずは素朴な疑問を感じる。そしてその時間帯に石川さんを 見かけた人がだれもいないのである。自転車に乗って通りかかった下校途中の中田善枝さんをとっさに誘拐しようと思い自転車の 荷台をおさえ「用がある」といって止めた。自転車を押しながら行くと善枝さんはだまってついて来た・・。一体こんなことが ありうるのだろうか?あまりに不自然である。寂しい畑の細道を人気の無い雑木林に向って,それも女子高校生が見知らぬ男とたった二人っきりで・・である。
   私たちは、当時の面影のない宅地と化したコースをたどり「自白」による殺人現場へと向って歩いていった。雨がちょっと小降りに なったようだ。雑木林と畑の境目だったという未舗装の細い道を登って行く。父親の名前と家の場所をたずねたら素直に答えた。雑木林のなかに入り松の木にしばりタオルで目隠しを した。この間、善枝さんは声もたてず抵抗もしなかった。急に強姦したくなって松の木からほどき足払い をかけて善枝さんをたおした。そのとき後頭部を打ち血を流した。現場といわれる空き地には今は既に松の木は無く、瀟洒なアパートの塀のそばに古い切り株 がひとつだけ残っていて雑木林の名残をかろうじてとどめていた(現在は舗装された駐車場で切り株も消えた)。そのときになってはじめて善枝さんは「キャー!助けて!」と大声で悲鳴をあげたという。たった20mしか離れていないと ころで農作業をしていた小名木さんの証言では悲鳴は聞いていない。遠く離れた祭りのレコードの音は聞こえていたというのに。さらに・・善枝さん殺害後死体を「芋穴」に吊り下げて隠蔽した ことになっているが・・少なくとも牛乳瓶一本ほどの出血があったとされているにもかかわらず東京高検が芋穴のルミノール反応検査報告書を証拠開示したおり、芋穴に血痕はなかったことが判明している。
   軽妙で要点をキッチリ捉えた安田さんの説明と、あまりに明白な「自白」の矛盾に、私たちは何時の間にか思わず失笑を漏らしていた。極めつけは再現した石川さんの当時の家(一部「勝手場」再現)でのことだった。石川早智子さんの笑顔と温かいコーヒーに迎えられ、履物を脱いで中にはいる。実に狭い。天井も 低い。持ちかえった善枝さんの筆箱は風呂場のたき口で燃やし万年筆はお勝手入り口のカモイの上に置いた。この狭い家を5月23日と6月18日の2日間延べ26人のベテラン 刑事が合計4時間25分かけて捜索しても発見できなかった万年筆が、6月26日、3人でそれもたった24分の第三回家宅捜索で突然発見されることになる。問題のカモイは身長163cmの私の目線からほんの10cmほどしか高くなかった。善枝さんはその日学校でペン習字 を書いておりインクはライトブルーであることが確認されている。カモイから発見された万年筆にはブルーブラックのインクが入っていたのである。一体これは何を意味するのか。
   現地研修を終えて私たちは外で記念撮影をした。いつまでも降り止まない雨に濡れながら。

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