東北自然保護のつどい 大会アピール


2000年10月(H12) 第21回 青森県鰺ヶ沢大会


大会宣言

 20世紀の後半は、戦後の復興を旗印に掲げた自然の開発による経済発展をめざした時代でした。しかし、経済優先の乱開発が招いた自然破壊は、自然と共に暮らしてきた日本人の自然観を扁平なものにし、農山村の文化まで破壊して、日本人の心まで貧しいものにしてしまいした。
 そうした自然や人間の心の荒廃に危惧を抱いた人たちは、日本全国に自然保護運動を起こしました。これまでの自然保護運動が訴えてきたものは、単に自然を破壊から保護することではなく、日本のすばらしい自然と自然の恵みを維持しながら、豊かな自然と共に暮らすことへの願いであったはずです。
 国有林施行の見直しによって伐採面積が縮小され、白神山地のブナ林が世界遺産に登録されたとは言え、地域社会と隔離してまで特定地域の生態系を保存すれば、あとは経済効果を得るために自然を切り売りしてもよいという状況が、今も日本各地で見られます。これでは、生態系保護を看板に掲げた見せかけの自然保護でしかありません。
 豊かな自然を取り戻すため、自然と人間との関わり方の質を高め、自然をよく知る人を育てて行かなければなりません。

 私たちは鰺ヶ沢町に集いして真摯に話し合い、21世紀の豊かな暮らしを守るため、次の努力をすることを確認しました。

1.自然を人間から隔離して保護するのではなく、保全利用しながら自然を大切にする心を培うこと。
2.自然と地域社会との関わりを修復し、自然と共に生きる地域社会を構築すること。
3.海、川、森を一つの系としてとらえた自然の復元に努めること。
4.特定地域の自然保存にこだわらず、住宅地から山岳・森林地域まで、連続する同じ生活環境として保全をめざすこと。

平成12年10月15日 第21回東北自然保護のつどい 鰺ヶ沢大会



1993年9月 (H5) 第14回東北自然保護の集い 秋田県男鹿集会


集会アピール

  「自然をとうとび、自然を愛し、自然に親しもう。自然に学び、自然の調和をそこなわないようにしよう」
 このことばは、1974年6月5日に、自然保護憲章制定国民会議が制定した「自然保護憲章」の一節です。この「自然保護憲章」のなかには、さらにつっこんだ決意が、力強いことばで打ち出されています。
 いわく「自然を大切にし、自然環境を保全することは、国、地方公共団体、法人、個人をとわず、もっとも重要な務めである」またいわく「開発は総合的な配慮のもとで慎重にすすめられなければならない。それはいかなる理由による場合でも、自然環境の保全に優先するものではない」
 この「憲章」は各県の自然環境保全条例などの冒頭に揚げられていたりするのですが、開発行為にたいする行政の判断の場で、この「憲章」が十全に生かされた例はありません。 この優れた国民的な決議は、制定されたその日から形骸化し、死文化して二○年の歳月を経てきたのです。
 「憲章」が制定されてからの二○年をかえりみても、あくなき利潤をもとめる開発の魔手は、行政の了解のもとに、休みなく、野へ山へ、森へ草地へ、川へ湿地へ、湖沼へ海へとのび続けています。
 1993年、日本中が冷害におびえている秋、豊かな自然のシンボルであったハタハタが消えてしまって久しい秋田県男鹿の地で、わたしたちは第14回東北自然保護の集いをもちました。
 森と川そして海をつなぐ水のめぐりのもとでこそ、日本人はこれまで生きて来れたことを、わたしたちは、改めて知りました。
 わたしたちの先人たちが、自然に生かされるなかで、営々と築き上げ、子孫につたえてきた文化や叡知こそ、これからのわたしたちの指針になることを知りました。
 自然を犠牲にする、経済成長に名を借りた際限のない開発の手を、倦むことなく一つ一つはじき返していくことが大切です。その積み重ねが、やがて、「自然保護憲章」のよみがえりとなり、新しい地平の創造となるひとを信じて、おたがい、がんばりぬこうではありませんか。

 1993年9月12日 第14回東北自然保護の集い 秋田県男鹿集会



平成元年10月29日 山形県

葉山宣言

 耐え難い屈辱の歴史に、今こそはっきりと決別を告げたい。
 東北の地に住いする我々の先祖は、かつて蝦夷(エミシ)と蔑称された時がある。同じ日本列島に居住する民族でありながら、エゾ征伐や奥州征伐の鋒先に立たされたのは、紛れもなく我々の先祖たちであった。
 差別と制圧の悲惨な歴史は、実に数千年に亘って絶えず執拗に繰り返されてきた。初め、東北に燦然と光り輝いた縄文文化は、北進する弥生文化の台頭を受け、引き続き大和朝廷の進攻により、エゾ征伐を皮切りに、前九年後三年の役、奥州征伐、太閤仕置、戊辰戦役、地主制、十五年戦争と、実にさまざまな形で東北は、時の権力によって支配され続けてきた。
 そして今、リゾート開発という無秩序で安易な資本の論理が東北全域に魔の手を伸ばしている。(中略)
 葉山を守る運動は、我々の生き方を鍛え、より主体的に生きる力を得るための闘いである。闘いが文化を産み、人を育て、地域を創ることを確信し、ここに屈服の歴史を払拭する決意を固め、葉山のブナ林永久不伐採条令制定を求めて、縄文の森の復活を宣言する。

 平成元年10月29日  山形県

1987年11月 (S62) 第8回東北自然保護の集い 秋田県秋田市

秋田:集会宣言 

 ブナを代表とする夏緑広葉樹林は、古来、東北人の生活と文化を営んできた「歴史的自然」であり、また「みず」と「いのち」をささえてきた母なる森でした。
 しかし、戦後の林野行政・環境行政の失敗と無策のなかで、かつて、豊かであった東北のブナ林に、破壊と荒廃が進み、近年とくに中央の観光資本による掠奪的開発が強行され、これに呼応して過疎脱却の旗を掲げた自治体が貴重な自然を切売りする事例が見られるようになりました。「滅び行くブナの森」の保護のため、東北各地にかくも多くの団体が結成され、第8回自然保護の集いに結集し、熱のある論議を交わしたこと自体、今日の危機的状況を示しています。
 とりわけ、青森・秋田両県にまたがる白神山地のブナ原生林は、その質量とともに、世界的に貴重な価値を持つものです。このかけがえのないブナ林を守り、とりかえしのつかない禍根をもたらす青秋林道の建設を中止させようという、私達の一環とした主張と行動は多くの人の共感・理解を得るようになりました。
 白神のみならず、八甲田で、八幡平の葛根田で、森吉山で、船形山で、蔵王で、栗駒で、出羽三山で、朝日連峰で、そして高山でと、ブナ林を守る運動は地元自治体を巻き込んで、東北人のまさに「いのち」と「くらし」を支えるために不可欠な重みをもつようになりました。
 私達の、熱い重いを、多くの人々の幸せに結び、更に大きな輪に広げていきましょう。はるか縄文の昔から、先人達が私達に遺してくれた、知性を取り戻しましょう。ブナ林を21世紀に生きる子供達に遺していくことこそ、私達、東北人に課せられた大切に仕事なのではないでしょうか。ともにがんばりましょう。

 1987.11.8 第8回東北自然保護秋田集会
 秋田県秋田市


1985年11月 (S60) 第6回東北自然保護の集い 福島県飯坂温泉

福島宣言 

 ブナ帯文化に生きた人間は、人間を他の動植物と区別するなく、同一のものと考え、すべてが循環するという思想にささえられて生活してきた。大きな世界の循環の中で人間を見る世界観と考えられる。
 今こそ私達は、ブナ帯文化に生きてきた東北人の思想をとりもどすことが大切である。明治以来の東北軽視の現実を直視し、手はじめに尾瀬沼の水資源を自然流水通り、東北地方に流すべきことを、ここに宣言する。

昭和60年11月 9日 第6回東北のつどい
 福島市飯坂温泉:あづま荘

 1984年11月 (S59) 第5回東北自然保護の集い 宮城県七ケ浜

1984 塩釜宣言

 みちのくといわれたこの東北にさえ、開発の波は着実にせまっている。
 我々は、もの言わぬ鳥、獣、草花の代弁者として、彼らの悲痛な叫びを広く社会に訴えていこう。なぜなら、人間も自然の一員、彼らの仲間なのだし、彼らの住めない環境では我々も生きてはいけないからである。
 とともに我々は、自分の身の回りをもう一度見直し、自分の生き方を考えてみなくてはならない。便利さに慣らされていないか、ムダ使いをしてはいないか、マスコミに踊らされていないか・・・・
 スモッグの中のビフテキより青空の下でのにぎりめしを求めていこう。
 ますます巧妙になる開発側のやり口に対して、我々自然を愛するものは、今こそ手を取り、スクラムを組んで、正しい論理を積み上げ、正統な運動を盛り上げていこう。
 それは東北からはじまる。

 1984年11月25日 第5回東北のつどい
 宮城県七ケ浜町やまに荘

1983年10月 (S58) 第4回東北自然保護の集い 秋田県田沢湖町

1983 秋田宣言

 自然界では数限りない生き物が、お互いにささえあっていきている。人間もそのうちの一つにすぎない。 自然のしくみをないがしろにし、”開発”の名のもとに緑の山を、青い海を灰色に変えた人間社会の有様をみよ。
 物神崇拝の極限にまで達したこの荒廃を見よ。
 人心は荒れ、国土はその活力を失い、若者のいらだちは深い。
 我々は自然を愛する人々の心のやさしさを知っている。 そのやさしさが人間への愛に直結することも知っている。 今こそ声を大にして自然への愛をうったえよう。現代社会に人間性をとりもどすために。
 それは東北からはじまる。

 昭和58年10月29日 第4回東北自然保護のつどい 秋田大会
 秋田県仙北郡田沢湖町乳頭温泉:鶴の湯

1982年11月 (S57) 第3回東北自然保護の集い 岩手県小岩井

岩手宣言 

自然を、人間の支配下におこうとしていくことが進歩と考える時代は去った。私達には、泥にまみれながら先人達が営々として築きあげてきた、自然に同化した暮らし、そこから生まれた知恵と文化を子供達に伝えていく責任がある。
 その人間性豊かな暮らしの基盤をゆるがす自然破壊は、如何なる理由であれ、許されるものではない。
 私達は、生きる基盤を失い、人間性を失いかけた「中央」に倣うことなく、東北の風土に適した暮らしを守り、残された自然を、私達自身の手で守っていくことを、ここに宣言する。

 昭和57年11月14日 第三回東北自然保護のつどい 岩手大会
 小岩井:青年の館

1981年10月 (S56) 第2回東北自然保護の集い 青森県浅虫温泉

青森宣言

 今、「東北」は交通機関の高度の発展により、「中央」からの圧力による開発の危機にさらされている。 「後進県」と扇動され、中央の人間阻害の道を同様にばく新するよりは、私達は自分たちの故郷には自然があり、また、人間らしく生きることが必要なことだと考えている。
 私達は、故郷ほ自分たちの生活の場であり、子供たちも生きていく場としてとらえ、自然を守るとによって、私達が誇れる故郷を、私達東北人の手によって創り上げていくことを、ここに宣言する。

 昭和56年10月18日 第二回東北自然保護のつどい 八一年青森大会
 青森市浅虫:むつみ荘