マタギとは

 青森県では、白神山地の目屋マタギ・鰺ヶ沢マタギ・深浦マタギ・岩崎マタギ、そして下北の川内マタギ。秋田県は阿仁マタギ。(これらの呼び名で正しいとは限りません。)が有名です。
 そのそのマタギとは、どのような人々だったのでしょうか。
 根深誠さんは、目屋のマタギと人々とのお付き合いが深いので、著作でも詳しく生き生きと語っています。
 「鰺ヶ沢町史」にマタギについてまとめてありましたので、ご紹介します。










大谷石之丞氏

マタギからの聞き書き S14年月刊東奥(吉川勝太郎氏の談話)

 吉川勝太郎老は15歳のときからマタギに加わり、昭和14年までに七十頭余の熊を射ったといわれ、昭和二十年の大然の水害で亡くなるまで、百頭以上の熊をとった。
 勝太郎老の家には、嘉永元年藩公から拝受した「タテ」があり、それを床の間に飾っていたが、洪水の際に流出して不明になってしまった。
 勝太郎氏の談話によると、大然部落は十四戸・百二十人であったが、毎戸一名の若者と勝太郎老は、春土用十日前に、山小屋に閉じこもって、各人が一本あての楯(たて)を持ち、背には鉄砲をかつぎ、米、味噌等の食糧を背負い、奥山に入り、そこに小屋掛けをしてこもった。
 昔は、この山ごもりに当たると、藩公から米一俵、味噌等を賜り、君命によって熊狩りをした。
 ただし、狩猟した熊は全部上納しなければならないということで、一頭につき銭三百文を官から下された。
一年に十二頭納めると「ソウクロ」という位を授けられた。また、罪も許されたとのことである。

マタギの語源

 熊などを狩猟して生活した又鬼(またぎ)といわれた人々は、鰺ヶ沢町では大然・一ツ森・芦萢等に住んでいたが、狩猟そのものも、マタギする、マタギに行くと言った。
 マタギとはどういうことから名付けられたのか、諸説があってはっきりしない。
 菅江真澄はマダハギからきたという。
マダは科の木(しなのき)のことで、この木の皮をはぎ繊維で織った着物を着たからだという。
 柳田国男は、信州の山人たちが使う息杖のマタツボから起こったと説明している。
この息杖は昭和20年代まで黒森などで炭焼きの人が、炭を背負って山道を歩いたときに持っていたものと同じであろう。「Y」この股にも炭ほあげて一休みした。
 喜田貞吉は、又木説。
 この他、アイヌ語のマタウンバ(雪山で狩をする者の意味)からきたのだという説もある。
 五来重は「修験道入門」の中で山人の山杖をマタギの名の起こりであるとして、
「農耕がはじまっても山中生活をする狩人は山人として畏敬された。そして山中生活で得られた験力と、山の神の依代である常磐木の杖をもって、里の人々の祝福に山から降りて来た。このとき山人のシンボルとしてマタブリ、かなわちマタギ(股木)を手にもって来たので、マタギが山中狩猟民の別称になった」と説明している。

山中でどのように狩猟したのか

この図の上端に鰺ヶ沢町の
一ツ森部落が表示されています。
鰺ヶ沢町のマタギは、
秋田県境まで
そして白神岳までを猟場と
していたことがわかります。

赤石マタギの狩猟の範囲

1 狩猟の時期

 シアス(師走)マタギ・ハル(春)マタギといって、旧暦十二月から翌春の残雪(堅雪)があるころまでが猟期であり、猟場の中心に近い場所に山小屋を造って、ここを拠点にして熊狩りを行った。
 特に早春は熊が岩穴や木の根穴に入っている時期であると同時に、ときには穴から出たばかりの熊に出会うことが多く、狩りがしやすいために、春マクギが多かった。
 (熊の胆のうが、特に薬品として貴重なものであったために、この時期のものが形も犬きく、しかも効能がすぐれているとされたことも、春マタギ狩りの多い理由の一つとされている。)

2 組織

 シカリと呼ばれる統率者が中心であり、シカリ・コマクギ・料理係(炊事担当)・ハツマタギというように、八人から十人程度の組織集団が主となっている。
 気心の合った仲間が主として集まって組がつくられるが、場所などによっては、大掛かりの熊狩りをするために三十人以上のものが、つくられることもある。
 シカリの権力は絶対であり、狩猟中はいっさいを統率した。
 山に入る前には部落の神社に参り、お神酒をいただいて、猟の多いこと、災難が無いことを祈願するが、山の神は山のすべてを支配しているから、山の神の怒りを受けないようにする。
獲物を授けてくれることはもとより、遭難を未然に阪ぎ、困難のときは救助してくれる。
いついかなるときも、マタギの動きを見守ってくれるものと信じている。
 マタギの巻き物「山立根元巻」(やまだてこんげんのまき)は山神の代行者でもあるともいえる。

3 猟場(狩り場)

岩木山の西から、自神岳一帯と秋田県境が狩り場であった。

4 マタギの衣服と用具

(1)衣服
 編笠をかぶるか、三角頭巾(木綿布の二つ析り)をかぶり、上衣には毛皮、下は般引(ももひき)、足にはハバキ、皮足袋か、わら靴であったが、手には手甲をはめた。

(2)用具
 武器は鉄砲(村田銃)・タテ(槍)・タテナタ・カギを待った。
 生活用具としては、雪山に欠くことのできない携行品として、雪よけや雪洞作りのための雪ベラ(コダタキ又はサッテとよぶ)がある。
 輪カンジキも雪山の必需品であり、トリコシパを材料として自製した。
 獲物の皮はぎに使う小刀や、おの、なたを持参し、食糧や日用品を入れて背負った「コダシ」は、麻糸で編んだものや、ブドウ皮で編んだもの、アケビの蔓で編んだもの、ニガ木の皮で編んだものなどがあり、狩猟時の必需日品で必ず携行する自家製のものである。

5 山小屋(狩り小屋)

 
 三角屋根で、屋根は、やすの木の皮をかぶせヒモはブドウづるの皮を使った。
 小屋の中には神棚も作ってあり、神棚の前にはシカリが座り、入り口には小マタギが座った。
 シカリ・コマタギ・料理係など、任務と寝所まできまっている。十六〜十七歳で初めてマタギの仲間に加わるのをハツマタギという。
 山の中で先輩から直接にきまりや狩りの注意を教わる。
 ハツマタギが参加する年は必ず猟があるといって喜ぶ。
汁かけ飯を食わず、魚のサメやイカは待ち込まない。相撲をとったり、歌や口笛は禁物である。
マタギ小屋

6 食糧

 狩り場の中心付近(拠点となる地域)に山小屋を造って、事前に炊事道具、生活用具等や、食糧を運んでおいた。
 狩り山に携行する食糧品は主食の米と、調味料の塩とみそが多い。普通七日から二週間程度くらいを用意する。
 長期の狩猟では一週間くらいずつ途中で補給する。副食は野菜、千物類、餅、豆類(炒ったもの)を持参し、山の獲物である兎、鳥などである。

7 狩猟の出発日

 お宮に、オミギ(酒)と魚を供えて、安全と大猟を祈願した。
死人のあった目は特に良い日とされたが、お産のあった日と、祝儀のあった日はきらわれた。
大安、友引の目とか、酉・午・丑・戊・寅の日は良いとされ、申の日は嫌う。

8 山中での禁忌

 山に入ると日常語は禁じられ、特別な山言葉(マタギ言葉という)を使った。
 禁を侵した者は、三十三一回も頭に水をかけられた(水垢離)。
 オニ・ニワトリ・タコ・サメ・クジラなどの言葉は、山中では絶対禁忌とされた。
山に入っては、絶対に静粛でなければならない。
咳ばらい・あくび・歌・ロ笛は禁じられ、器具の取り扱いも音をたてないようにした。
足音もたててはいけないし、酒もタバコもだめであった。

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