販売・経営談義

▼様々なところで、りんご談義をすることがある。生産者は常に熱い。時折激論になることもある。そんな中での一節である。

▼農協はりんごを集荷して出荷するが販売はしない。手数料はとり、役職員の生活のためには懸命だが組合員の経営や生活は考えない。集まったりんごが無くなれば、それで良いと考えている。

見方の一つである。しかし農協のシステムのおかげで生産した殆どのりんごが、生産者の努力なしで消費者に供給されている。取扱手数料がなければ、農協運営ができない。ただ、販売にもう少し工夫が足りないというのが、生産者感覚だろう。巨大になり考える余裕もないのでは心配をしている。

▼産地市場や移出商は自己の利益のことより考えていない。生産者のことなどは考えていない。

そもそも一企業である産地市場や移出商が利益のために存在している。企業が利益追求をするのは当然ことである。

産地市場は産地取引の公正性と代金決済の安心感に大きな貢献をしている。

移出商は多くの犠牲を払いながら、りんごの出荷に尽力してきた。その結果としてりんご産業が発達してきた。とくに、現在も経営している移出商の努力と経営感覚には生産者も敬意を払う必要がある。

▼販売は生産者の自己責任で行うべきである。

産直や個人出荷など様々な方法がある。6次産業化等とも言われる方法もある。実行できたらそれなりに経営が安定する。現在の流通には、様々な隙間需要がある。ただ、隙間に入り込むにはかなりの努力と、それに伴うリスクの覚悟も必要だ。

そんな中でも頑張っている生産者はそれなりに評価もするべきであろう。また6次産業化などといわれているが、そちらに軸足を置くために生産が疎かになるのではと心配をしている。いずれにしても総合的に評価すべきで、一部分的な評価で右往左往するべきでない。

▼消費地市場や仲卸は手数料を払う産地側よりも、常に消費地側に立っている。

産地にいると、このような感覚が常にある。本来、価格形成に大きな力を持っていた卸売市場であるが、近年は荷捌き所の感がある。

ただ、このシステムがあるから全国津々浦々までりんごが配送されているのも事実である。

▼自由経済の中では沢山の選択肢がある。それらを選択できることは幸せなことである。個々の経営をどの体制に置くかは、個々の責任の下で考えることである。そのうえで経営が成り立つ方法を模索しなければならない。