名       前
鈴木 秋男(すずき あきお) ニックネーム:蟹田の毛蟹
生 誕 記 録
昭和23年(1948)ねずみ年生まれ、さそり座
家       族
妻、長男、長女、母
趣      味
パソコン、世界史の研究、観葉植物
職      業
電気工事会社の社員









私が今使っている愛機達


パソコン本体

DEL製Dimension XPS D300(300MHZ PentiumU、512KBキャッシュ、96M SDRAM、8G IDE ATA-33 HDD、AWE64サウンドカード、14/32倍速 IDE CD-ROM、STB Velocity 128 3D AGP−4M)
SCSIボード:IO製SC−PCI

改造
ボード440BX、CPU−celeron1.2G(PL-ip3/T)
ハードデスクボードATA-100、40G7200rpm増設
CDR−RW NR−7900A(NEC)24*10*40(DVD)
DVD(CD) DV−5800A(NEC)48*16(DVD)
NVIDIA   GeForce2 Mx


NEC製PC9821−XP/U8W(486DX4 100MHz 128Kキャッシュ)
 内臓E-IDE:ウェスタンデジタル製WDAC21200(1.2M)に換装
 メインメモリー64M増設
 CD−ROM:メルコ製6倍速CDI-6FB
 SCSI-2ボード:IO製SC98V
 アクセラレータボード:メルコ製WGN-4V
 FM音源ボード:NEC製PC−9801−86

外部記憶装置
HDD:メルコ製 540K、526K、1M、2M  NEC製 340K
MO:IO製RM-MO640F、富士フイルム製ZIP、CDR:キャラベル製2倍速CD−RW6X、Logitec製12倍速LCW−R1210DV、フラッシュメモリカードリーダーBUFFALO製MCR−U
通信装置
高速RS-232ボード:IO製RSA−98SB
モデム:AIWA製PV-AF288(28,800ボー)
INS64用TA(DSU内臓):NTT製(NEC製)INSメイトV−7DSU
画像関係
sharp製フラットベッドスキャナーJX-250N、
エプソン製フイルムスキャナーFS-1200WIN
プリンター
スターAR2415ドットプリンター、エプソンPM750Cカラーインクジェットプリンター







私のパソコン歴



私のパソコン歴での主な出来事
昭和57年
(1982)
 8ビット機、東芝パソピアを保険を解約した163,000円の大金で購入する。
専用CRTは買えず、20型カラーテレビを代用していたので、家族が寝静まってから、キーボードを叩いていた。妻にカチャカチャマンと渾名を付けられた。まもなく、14インチの三菱CITYFACEを購入。画像の美しさとシャープさに感動する。
無謀にもROMBASICの中身を解析したくてプリンターを購入する。試みは、徒労に終わったが機械語を少しだけ理解できた。
パソピアは漢字ROMやOABASIC−ROMを購入し、業務での実践を試みたが、8ビット機では所詮、無理な相談であった。
雑誌のBASICゲームや機械語ゲームのマシン語を一週間も苦労して打ち込みゲームを楽んだ。妻に子供みたいと嫌みを言われ、呆れられる。
昭和59年
(1984)
 八戸市に転勤となる。なんと、会社の向かいがパソコンショップだった。毎日のようにお昼休み、アフターファイブにお邪魔する。
ここで、漢字も表現できるパソコンとしてNECのPC9801とSharpのX1−turboを薦められるが、ゲームもできるということでX1−turboを購入する。この頃は、16ビットのPC9801は漢字表現、ゲームとも、まだ8ビットのX1−turboにさえかなわなかった。
昭和62年
(1987)
 4月友人に刺激され、始まってまもないPC-VANに加入する。300ボーで送られてくるメールを画面で追いかけるように見ていた。九州からの電子メールを受信し、パソコン通信の有為性に感動する。
昭和63年
(1988)
 8ビット機の漢字処理に限界を感じ、漢字処理やソフトで8ビット機に対し、圧倒的に優位に立った16ビット機を購入する。安価なうえメモリーがフル実装の640Kで、FM音源も備えたPC9801UV11を選択する。CRTはX1−turboと共用した。このUV11で私は、DOSを学び、会社業務にも大いに役立たせることができた。
昭和64年
(平成元年:1989)
 転勤で故郷に帰ることになった。この機会に20Mのハードデスクも購入する。
平成2年
(1990)
 家を新築し、自分の書斎ができた機会に、いままでX1−turboと共用していたCRTを、UV11専用(X68000用の中古CRT)として購入する。プリンターもスター製の24ドットAR2415に取り替える。
平成5年
(1993)
 1月、PC−VANよりPDSソフトが充実しているとの噂にNIFTY−Servにも加入する。以後、アクセスは圧倒的にNIFTY−Servが多くなる。
平成6年
(1994)
 WINDOWSが3.1で実用的段階に達し、普及してきたので、PC9821−XPを購入する。ペンテイウム機が登場し始めていたが性能互角で安定していた486DX4を選択する。CRTは、しばらくX1−turbo用(31.5Khz可能)で我慢した。一般保護違反が頻発し、DOSとINDOWSの同居に苦労したが、IOのメモリーサーバーで動作もようやく安定した。
平成7年
(1995)
 パソコン通信などでダウンロードしたソフト、画像とも増え、内臓の270Mでは手狭になり540K−HDDを増設する。
10月、日本中、大騒動の中、WINDOWS95が発売され、私も早速、購入するが、何度試みてもセットができなく、パソコン通信で情報を探す。やがて、PC9821−XPはマザーボードのキャッシュメモリー関係に欠陥があり、NECで無償交換していることを知る。早速、NECの修理センターに持ち込み交換してもらう。交換後は一発でWINDOWS95がセットできた。この間、セット回数30回以上に達し、3ヶ月もの貴重な時間が経ち、暦は平成8年になっていた。失ったものもあったがWINDOWS95セットには、すっかり自信がついた。640*480以上の画像が見たくて12月、CRTをSONY製CPD−17SF7に取り替え、さらに526K-HDDを増設する。このほか、WINDOWS95セットの過程で、買ってまもないCD-ROMドライブを取り替えねばならない余計な出費もあった。
平成8年
(1996)
 95用のソフトセットで、さらに1M−HDDを増設し、モデムも28,800ボーに取り替える。自分も画像を取り込みたくなり、sharp製フラットベッドスキャナーJX-250N、エプソン製フイルムスキャナーFS-1200WINSを購入し、さらにSCSIボードも高速のSC−98Vに取り替え、通信ボードRSA−98SBも購入する。9月青森の地方ブロバイダーJOMONに加入しインターネットの世界に踏み込む。10月、社用で行った東京で、秋葉原に立ち寄り、内臓E-IDE1.2Mと中古で売っていたプリンターバッファーを購入する。11月、ソフト、画像のバックアップの必要性に迫られ640MのMOを購入する。
平成9年
(1997)
 2月、社内ネットが試験運用され、4月から本格的に会社業務で実施された。試験運用の2ヶ月間、三内丸山縄文遺跡、ネブタ祭り、ヘールボップ彗星、津軽弁講座などをフォーラムに投稿する。 MOの640メデイアが高価なため、4月、画像データー保存のためCDRを購入する。8月、『太宰も愛した津軽路』を社内ネットのフォーラムに投稿する。10月、インターネットのサーフィンにあきたらず、自分のHP作成に取り掛かる。HTML直接記述は諦め、HP用ソフト、ホタルVer4.0を購入。コンテンツは、とりあえず社内ネットのフォーラムにアップしたものを一部手直し、11月3日、開設にこぎつけた。11月10日、インターネットでのモデムの限界を感じ、Ins64に切り替える。11月末、年賀状作成のためカラープリンターEPSON製PM−750Cを購入する。
平成10年
(1998)
 1月、増設メモリー64MBとしたPC9821XPであるが、画像処理スピードに限界を感じ、DEL製Dimension XPS D300を購入。PCI-SCSIを装着し、XPからデーターを切り替えする。
平成11年
(1999)
 コンピュータ本体、周辺機器とも充実し、ある程度満足できる環境を構築できたので、新規購入、更新は控え、ひたすら稼働率を高め原価償却に努める。
平成12年
(2000)
 12月、シャープさと透明感が銀塩フィルムと遜色がなくなったいうことで富士フィルムのデジタルカメラFinePix4900Zを購入、同時に必需品としてBUFFALOのフラッシュメモリカードリーダーMCR−Uも取り付ける。それと640M−CDR書き込みに一時間も掛かっていたCDRをDVDも見れるLogitecのLCW−R1210DVに更新する。

平成13年
(2001)


 DVDは見れるようになったものの、画面がぎこちないのでグラフィックボードをNVIDIA GeForce2 Mxに交換する。12月、ハードデスク40G 7200rpmを増設し、さらに、アクセライターボードATA−100を取り付け容量とスピードアップをはかる。遅ればせながらOSを95からmeにアップ。

平成14年
(2002)


 1月、CDR−RWをNEC製NR−7900Aへ、2月、DVDをNECのDV−5800Aに換装。8月オークションで手に入れた440BXボード、ゲタPL-ip3/Tと新品で購入したceleron1.2Gで廉価版ながらGマシンに変身。 メモリーも320Mまで増設。パーツの交換だけで当面、旧型でも実用できることを確信したので、オークションでDimension XPS R300をもう一台購入し、こちらはゲタとCeleron1.4Gとの組み合わせ、グラフィックボードNVIDIA GeForce4 Mx、ハ-ドデスクは80G、OSをXP-HOMEエデッションとし2台目マシンとして使う。

平成15年
(2003)


 2台目マシンはZIP、MO、CDR−RWと2倍速DVDR+−RW、RAMと外付けハーソデスク120Gを増設した他、TVキャプチャボも取り付けAVパソコンに変身。
平成16年
(2004)












 
 私が所属している日本技術士会の認証された公式なHPと青年技術士懇談会、女性技術士の会が独自に運営しているHPを紹介しておきます。興味のある方はアクセスしてみてください。
日本技術士会
女性技術士の会
THE技術士
日本技術士会東北支部・東北技術士会


私の本棚。休日はこんな本を読んでいます。




最後まで読んでくれてありがとう。こんな私ですが、以後、仲良くお付き合いください。



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