ロシアへ

 1916年 ヨーロッパは第1次世界大戦の戦乱のさなか、ロシアもドイツ・オーストリアと交戦中
でした。工藤富治は、イタリアの銀行家A.A.アナトラに雇われるという形でロシア帝国オデッサ市
に派遣されることとなったのです。

工藤富治のパスポート 大正5(1916)2月19日発行
Kudo's Passport 19,February, 1916 

  以下、パスポートから経路をみてみる。

◎1916(大正5)年 2月22日 ロシア帝国横浜総領事館  
                    Yokohama consulate of Russian Empire

             2月28日 ウラジオストック Vladivostok            

             3月 2日 マンチョウリー国境監視所 Manchuri 

             3月15日 オデッサ市 Odesssa

    ※フランス人エミール・ドヴォワティーヌの伝記によると、1915年10月から彼はイタリア
     の銀行家アナトラのもとでオデッサにあるヴォワザン機ライセンス生産の工場に配置さ
     れたが1916年春第2工場立ち上げの任を帯び助手として工藤富治を紹介されたとい
     う。これは、上の日付と符合するものである。
       彼らは、おんぼろのフォードトラックをあてがわれ工場予定地のシンフェロポル(クリ
     ミア半島)に向かう。ヴォワザン機の部品を集め何とか走れるようにしたものの道中故
     障がひっきりなしで、ごまかしごまかし何とか目的地に到着した。工藤とドヴォワティー
     ヌはそこでバイテリティを競い合うように働き操業開始にこぎ着けた。

            11月 1日 シンフェロポル市第1地区シヴェドフ家居住 警察官署名あり
                    Simferopol   


ロシアでの飛行機製作写真(工藤富治所蔵)1916か1917年

 ロシアのアナトラの工場ではヴォワザン3か5型をライセンス生産していた。複葉機でエンジン及びプロペラが後ろにあるプッシャー式と呼ばれるものであるが、この機体はどうであろうか。オーソドックスなタイプを進化させた近代機のようなラインが注目される。ひょっとするとこの機体は金属製であろうか。
Constructing airplane in Russia(1916or1917)
 It was perhaps Voisin 3 or 5 type. But it is remarkable that its body seems very modern. Was it made of metal?