○1889(明治22)年 4月1日青森県下北郡大湊村(現在のむつ市大湊)に船大工
工藤吉右衛門とナツの六男として生まれる。
○1902(明治35)年 大湊小学校高等科を卒業(13歳)
※1901(明治34)年には下北初のベースボール対抗試合が
大湊と隣の田名部町との間で行われ工藤富治は一塁手とし
て名を連ねている。
○1903(明治36)年頃 海軍大湊水雷団修理工場に就職(〜14歳)
工藤富治が修理工場見習い時代に実習で作った酒澗容器。曲
線で構成されているところに非凡さが表れている。
A vessel for warming up SAKE.: Tomiji Kudo made it in
his apprentice days at the navy factory.
Its curved line
shows his talent.
○1908(明治41)年 海軍を退職 (19歳)
・函館に渡り高田商会支店に勤める。
○1910(明治43)年 室蘭 日本製鋼所に勤める。
この頃、久慈出身の上山キヨと結婚 (21歳)
○1911(明治44)年 幌別の鉱山に職を求めるも、不景気のため思うように いかず。
○1912(明治45)年 札幌に鉄工所を創業→1年そこそこで閉鎖
・旭川の鉄道工場に勤める。 (23歳)
○1913(大正2)年 母ナツの死去により大湊に帰郷
・その頃工藤家は破産状態。若干の債権が東京に あったの
で、父の依頼により督促も兼ねて東京の高田商会に勤める。
(24歳)
○1914(大正3)年 父吉右衛門死去
○1916(大正4)年 2月、ロシアでの飛行機製作技術者の募集に応じロシアへ。
(26歳)
・工藤富治がどのようなルートでこの話を知ったのかさだかでは
ないが、当時世界的ネットワークを持っていた高田商会が関
係していたのではないかと推測される。
工藤富治 26歳頃の写真
Tomiji Kudo about 26 years old
参考文献:青森県人名事典 東奥日報社 昭和44年 工藤富治の項(橘 善光執筆)