私が見た沖縄 〜沖縄県に行って感じたこと〜
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守護神「シーサー」 沖縄には、1991年5月(アマチュア無線の第33回通常総会・二泊三日)と1997年12月(所属する組合の学習会で2回・3泊四日)の計3回訪れたことがある。それまでの私は「沖縄」と言われても、姫百合(ひめゆり)の塔と太平洋戦争の時に本土決戦が行われたところ、真っ赤なハイビスカスの花、サトウキビと黒砂糖などしか思い浮かばなかったのである。

しかし、沖縄に行って見て、それは自分が思っているほど単純なものではないと言うことが分かったのであった。日本に存在する米軍基地の75%が沖縄に集中していることによる様々な問題が発生していたのである。

 例えば、米軍の嘉手納基地や普天間基地等の基地問題、基地が集中していることによる飛行機事故、沖縄県民の生活と生命を脅かす米兵による犯罪、かつて行われた「太平洋戦争(第二次世界大戦)」による根深い「人的被害」や「物的被害」等々、私が考えていた沖縄像を全て否定されてしまったと言ってもよいほど現実は厳しいものがあったのである。

青森県にも三沢市に米軍基地があるとは言っても比較にならないほどその規模は膨大なものであった。そこには、基地があるゆえの不利益、基地に依存しなければならない現実のはざまでゆれている沖縄の姿があった。

 沖縄の観光として見てきたところは、ひめゆりパーク、平和祈念堂、琉球村、首里城、守礼之門(守禮之邦)、国際通り散策、玉泉洞文化村と鍾乳洞、ハブ公園などであったし、所属組合の平和学習会で行ったところは、読谷村(よみたんそん)の「チビチリガマ」、玉城村の「アブチラガマ」、ガビラ壕、ひめゆりの塔、ひめゆり平和資料館、平和の礎(いしじ)、第32軍司令部跡、首里城とその周辺、楚辺通信所(像の檻)、摩文仁の丘、嘉手納基地、普天間飛行場(嘉数高台・かかずこうち)、南風原陸軍病院跡、座喜味城跡などであった。
(見学順序不同)
摩文仁の丘からみた海岸
ここの断崖から沖縄戦で米軍に追い詰め
られた婦女子達が投身自殺をしたと言う。
糸満市にある 平和の礎
沖縄戦で戦死した人達の名前が
記録された石碑が建っている。
県別、国別に記載された石碑
戦死した青森県出身者の名前が
記載された石碑の一部分である。
平和祈念堂
不幸にして沖縄戦で倒れた多くの御霊よ、
安らかにお眠りください。もう、戦争は繰り返しません。
合掌
嘉数高台から見た普天間飛行場
ここが、移設問題にゆれている飛行場である。名護市への移設の計画がある。基地の面積は480ヘクタールで宜野湾市の中心にあり、市の面積の25%を占めている。
玉城村 糸数壕(アブチラガマ)
壕の見学を終えて出てきた所の私である。
ガマの中は凄惨であったことを物語っていた。
 学習会では沖縄戦を経験した「語りべ」による戦争体験のお話を聞く機会があった。初老の女性による「体験談」は、悲しく、非人道的でこの世の地獄を見た思いを感じさせてくれ、涙無くして聞くことができなかったことを覚えている。戦争とは言え、普通では考えられない非人間的なことが平気で行われていたのだということを実感させられた次第であった。

生き地獄を見た老女がトツトツト語ってくれたお話は今でも鮮明に記憶しているのである。私はこのときに、戦争という過ちは二度と起こしてはならないと心に決めたのであった。普通の生活ができることがいかに難しいか、いかに平和が大切かと言うことを再確認したのであった。

 「戦争をおこすのは  たしかに 人間です しかし それ以上に戦争を許さない努力のできるのも 私たち 人間では ないでしょうか」
 (平和祈念資料館展示の結びのことばの1節を引用した。)
那覇市立 城西小学校
守礼之門に向って、坂の左側にある小学校。私が住んでいる弘前市にも 弘前市立 城西小学校 がある。
観光名所 守礼の門(守禮之邦)
この門をくぐると首里城がある。琉球王朝時代の居城で、礼を重んじる邦(国)があったのである。
別の角度から見た「守禮之門」
椰子の木が南国沖縄らしさを物語っていると感じた。北国にはない植物である。
 観光名所 琉球村にて
沖縄戦の戦跡は島の南部に集中していた。特に那覇市の南東部は糸満市を中心とする「沖縄戦跡国定公園」と言われるだけあって、戦跡が多くある。太平洋戦争で地上戦があった場所はただ一つ「沖縄」だけであったことを肝に銘じておきたい。
 これから、普天間基地の移転問題、基地の縮小と統廃合の成り行きを遠い青森県から注視していたいと思っている。憲法の改正動向を含め、沖縄サミットの後の動向を重大な関心をもって見つめていたい。
同じく首里城内の門  首里城内の奉神門
首里城 正殿前にて 沖縄の守護神 「シーサー」
ウチナーグチ  【沖縄の方言】   基本的なもの
おはようございます ウキミソーチー さようなら ンジチャービラ ご馳走様でした クワッチーサビタン
ごめんください チャービラサイ アチャウガナビラ 今日は チュゥウガナビラ
いらっしゃいませ メンソーレ はじめまして ハジミティヤーサイ お入りください イミソーレ
参りました チャービタン いただきます クワッチーサビラ いくらですか チャッサ・サビーガ
ありがとう ニヘェーデービル 召し上がってください ウサガミソーレ 安い ヤッサン
ワン あなた ウンジュ もしもし イェーサイ
沖縄の人のこと ウチナーンチュ 沖縄以外の日本人 ヤマトゥンチュ 買う コーュン
美人 チュラカーギ 結婚 ニービチ 愛して頂戴 カナサシクミソーリョウ

【自称、津軽語研究家の感想】

 沖縄の方言で「サマジャマ(さまざま)」は、津軽語でも「サマジャマ」となりますね。「ワン」(私)は津軽語の「ワ」(俺、私、吾)、「ワンド」(私達、我々)に感じが似ている。「ハジミティヤーサイ」(初めまして)は、津軽の「ハンジメデダベサ」(初めてですね)に似ている。本州の北の果ての津軽の方言と沖縄の方言では比較にならないほど異なっているが、県民所得レベルや米軍基地問題など似通ったところがあると思うのである。

1.国の方策によって、青森県は「六ヶ所の核燃料サイクル基地」、沖縄県は「米軍基地の集中化」を押し付けられているのである。どれも先が不透明な問題でばかりであるが、これらの問題を解決するためには、50年〜100年スパンで継続する県民の運動がなければならないと思っているところである。

2.青森県の「津軽三味線」と沖縄の「三線・さんしん」、「津軽民謡と沖縄民謡」ならびに「津軽手踊りと沖縄舞踊」などがある。その音色と動作は「はげしさ」と「おだやかさ」の違いはあるものの、非常に似ているなと感じたのであった。

3.青森県と沖縄県が何か共通の目的のために連合を作れば、あらゆる方面にインパクトを与えることができるのではないのだろうかとも考えている。観光面でも自然の豊かさの点でも共通するものがある。地方の時代といわれる今日、実現が不可能と決め付けるようなアイデアでもないと思うのである。沖縄からの平和関連情報の発信を期待している。 by H.Sato in July,9th,2000.
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