日本各地の代表的なお祭りの紹介です

日本の祭り
京都 葵祭 青森 青森ネブタ祭
徳島 阿波踊り 東京 お酉さま
富山 おわら風の盆 長野 御柱祭
秋田 竿燈まつり 東京 神田祭
京都 祇園祭 岐阜 郡上おどり
北海道 さっぽろ雪まつり 京都 時代祭
東京 三社祭 宮城 仙台七夕まつり
福島 相馬野馬追 熊本 灯籠祭
岐阜 高山祭 長崎 長崎おくんち
埼玉 秩父夜祭 長崎 長崎ペーロン
兵庫 灘のけんか祭り 愛媛 新居浜の太鼓祭り
福岡 博多祇園山笠 福岡 博多どんたく


葵祭

京都ならではの雅な祭りです。
京都の上賀茂、下賀茂両神社の祭りで、陰暦四月の中の酉の日、現在は五月一五日に行なわれます。
二葉葵の葉を社前や桟敷・牛車のすだれなどに懸けたり、参列の諸役の衣冠につけたところから葵祭といわれるようになりました。

正しくは賀茂祭といい、賀茂御祖神社(下鴨神社)と賀茂別雷神社(上賀茂神社)の例祭をいいます。
祭の当日、内裏神殿の御簾、御所車をはじめ、勅使、すべての供奉者の衣冠、牛馬に至るまで、葵の蔓をつけるところから葵祭とよばれるようになりました。

午前8時半、宮中の儀が御所で行われ、10時から路頭の儀が始まります。
御所を出発し、勅使を中心にして上賀茂神社ヘ参る参向行列の儀式です。
行列は近衛官人、幣物と献馬の列、梅、藤、杜若などを飾りつけた御所車をひく牛車の列、和琴舞人、ついで斎王の列がつづきます。

青森ネブタ祭り

日本の夏を代表する火祭りです。
竹や針金で枠をつくって紙を張り、さまざまな人物や、三国志や歌舞伎狂言の場を極彩色で作り、中に灯を点じて屋台や車に載せて引き回します。
盆に先だつ七夕の行事の一つとして発展、現在は八月の三日から七日に行われます。
青森市ではネブタ、弘前市ではネプタ、近年は五所川原の立ちネブタが人気を集めています。

ねぶたの由来は、もともと盆の精霊迎えのために眠気(ねぷた)を払うことにあったというものです。
もうひとつの由来は、昔、坂上田村麿が蝦夷征伐のとき敵をおびき寄せる一策として作られたといわれています。
当初は四角な灯籠に飾りがついただけのものでしたが、やがて、弘前の扇ねぷたがのようになり、現在の人形の形に組み上げたものにと変わってきました。
現在のような大がかりな組ねぶたは明治以後のことです。

組ねぶたは人形ねぷたともいい、竹を芯にし、木、針金などで人形を組み立て、和紙をはったものです。

人形は中国の『三国志』に出てくる武将や歌舞伎の荒事にちなんだ勇ましい姿で、津軽の凧絵に通じる華やかさがあります。

ねぷたのまわりにはハネトとよばれる踊手が「ラッセラ、ラッセラ」とロ拍子で、ガガシコ(鳴り物)を手に跳びはねるようこ群舞します。

昼となく夜となくねぶたの運行があるが、やはり日暮れて灯の入ったねぶたがよく、ゆうゆうと、力強く動き出す様はみごとです。

最終日には海上運行があり花火も加わり祭を豪華に締めくくります。
三角形の大きなビルで有名なアスパム広場で見れますが、場所とりが大変です。

阿波踊り

踊る阿呆に見る阿呆 同じ阿呆なら踊らにゃそんそん。
徳島市の盆踊りで旧盆の三日間、急調の囃子(はやし)に合わせて踊り狂い、馬鹿踊りとも言われます。
おなじみ「よしこの節」にのって浮き立つ日本有数の盆踊です。

阿波おどりの起源についてはいくつかの説がありますが、代表的なものは、盆踊が元になって文化文政のころに組踊が流行し、今日の連の前身となったとする説です。
別の説は、幕末から明治にかけて「ぞめき」(伴奏メロディー)が流行し、三味線、胡弓、締太鼓、鼓、拍子木、チャルメラのはやしで、仮装した者も出て、流しで踊られるようになったとする説などです。
当時、歌は今日の「よしこの節」ではなく「ハイヤ節」だったといい、よしこのになったのは大正期 になってからということです。

現在では、踊のグループを連といい、踊手と三味線、太鼓、鉦、横笛などの鳴物連中が組んで連を構成します。
連日、夜6時から10時半まで、駅前の大通りほか、市内7カ所で、ぞめき(伴奏メロディー)とよしこのの歌で、つぎつぎに連をくり出して熱狂的に踊ります。
全国各地から多くの連が参加し、観光客も含め、期間中は130万人近い人々が集まり、大変なにぎわいです。

お酉さま

酉の市とも言われています。
毎年11月の酉の日に行われる鷲(おおとり)神社の祭礼です。
現在では、台東区千束の鷲神社のものが名高いですが、他の社寺でも、この祭を行う所はたくさんあります。
この日、参道には熊手や縁起物を売る店が立ちならびます。
11月最初の酉の日を、「一の酉」と呼び、以下「二の酉」「三の酉」といいます。
庶民の夢をのせて、開運利福の熊手が所狭しと並びますが、江戸時代、鷲神社のあるあたりは豊かな水田に恵まれていて農家もたくさんありました。
神社で秋に稲の収穫を祝う祭があり、酉の日に農具を売る市が立ったのです。
熊手も物を寄せ集める農具として必需品でした。
18世紀の末ごろ江戸の商人たちが、縁日の酉を金銀を取るにかけ、熊手を金銀を取りこむ商売繁盛の縁起物に仕立てあげました。

鷲は大鳥と書き、鶏のことで、鶏は神の使いです。
一方、鷲の羽が弓矢の矢羽に使われ、武運長久の縁起物であるところから、大鳥と鷲が混じり合い、さらに干支の酉と重なり酉の市が誕生しました。
福をかきこむ開運利福の熊手には、おかめ、宝船、千両箱、米俵、大判小判、七福神と、当時の庶民の夢をふんだんに取りみ、今に伝わっています。
熊手は前年より大きいのを求めるのが習わしです。

おわら風の盆

風の盆とは風流ですが、チョット変わった名前だと思いませんか思いませんか?
本来は二百十日の風をやわらげる風の祭で、本来は暴風の災厄を、哀調を帯びたおわら節にのせて風息の災厄を送り出す信仰行事なのです。

男はそろいのはっぴに股引き、菅笠。
女は町内ごとのそろいのゆかたに編笠、または手ぬぐいかぶり。
はやしは三味線、胡弓、太鼓、尺八。
ことに越中おわら節の哀調を帯びた胡弓のひびきは、切々と心にしみわたってきます。
 踊は手踊りですが、男は直線的な線の太い手ぶりで、女はしなやかな手ぶりで踊ります。

8月20〜30日は前夜祭で、各町内で夜の8時から踊りはじめます。
9月1日〜3日の本祭になると午後3時から踊り、3日には町の目抜き通りや広場で踊るほか、競演会場の仮設舞台でも踊られています。

御柱祭

長野県諏訪大社の大祭。
申年と寅年(6年に1度)の春に行ないます。
依代(よりしろ)の柱を社殿の四隅に立てる神事です。
日本の祭の最も古い形の重要な祭でもあります。

八ヶ岳と霧ヶ峰山麓から樅の大木を切り出して、社殿の四隅に建てる行事ですが、なんといても祭りを有名にしているのは木落しでしょう。
命知らずの男たちが崖から落とす大木に乗り込む豪快な祭です。

諏訪大社は、上社と下社に分かれ、上社は本宮と前宮、下社は春宮と秋宮に分かれているので、総計16本の樅の大木が必要となります。
長さ約17m、重さ12〜13tの大木を根元から切り倒し、これを人の力だけで運び出します。
御小屋の山の樅の木は 里ヘ下りて神となる 山の神様乗り立てで 御双方御手打ち綱渡りエーといった木遣り唄が歌われ、1000人からのひき子がひいていきます。
途中、崖から落とす木落としや川越しなどがあり、柱にも人が乗り危険きわまりない祭です。
御柱は本の神と祭の原点といえる。

竿灯まつり

八月五〜七日の夜に、秋田市などで行なわれるたなばた祭の行事です。
長い親竹に九段に横竹を結びつけて、46〜48個のちょうちんをぶらさげます。
それを若者たちが肩、額などにのせ太鼓にあわせて町中を練り歩き、技をきそいます。

竿灯の原形は盆の高灯籠であったようです。
『秋田名物帳』では天明(1781〜1789)のころの眠り流しの絵が出ていて、竹竿の先に箱形の行灯と5個の提灯がつるしてあり、行灯に七夕の文字が見えます。
盆の高灯籠や眠り流しの竹竿が、明治になって竿燈というよび名にかわり、さらに竿燈を曲芸風にあやつる工夫が加わったそうです。

現在の竿燈は長い竹竿に横竹を結び、46個の提灯をつるし、若者が掛け声と笛、太鼓に合わせて、腰や肩あるいは額に乗せて、拍子をとって泳ぐようにあやつります。
竿は、大中小あって、大若、中若、小若の年齢別の若者が分担します。
午後6時半、山王大通りに勢ぞろいする竿燈は200本。
町紋入りの半纏の若い衆が妙技を競います。


神田祭

東京神田にある神田神社の祭礼です。
毎年5月15日に、本祭、陰祭とを隔年に行ないます。
山王祭とともに江戸の祭りの代表とされ、山車の豪華なことで有名です。

宵越しの金はもたない江戸っ子気質そのまま、男伊達の祭です。
 神田明神は天平2年(730年)草創で、主神のオオナムチノミコト、スクナヒコナノミコトのほか、平将門をまつっています。
徳川幕府の総鎮守として、古くは江戸城内にくりこむことのできる「御用祭」「天下祭」として名声をはせた由緒ある祭です。

本祭には一の宮のご鳳輦を牛にひかせ、二の宮の神輿がこれに加わります。
鳳輦渡御の神幸祭の翌日は、各町内の神輿100余基が練りまわり、木遣り、手古舞が、粋でいなせな江戸情緒を振りまきます。
境内神楽殿での神田ばやしのほか、関東大震災で消失した屋台を復活し、そこでも神田ばやしを奏でます。

祇園祭

ぎおんえ【祇園会】ともいわれます。
京都の祇園社(現在の八坂神社)の祭礼。
天禄元年、一説に貞観一八年に始まるといい、七月一七日から二四日まで行なわれます。
山鉾が巡行し盛大で、疫病よけの祈祷の御利益があると言われます。
祇園御霊会、屏風祭、祇園の会などとも言われ、都の流行病退散から始まった日本一豪華な山鉾の祭です。

ほぼ1ヵ月にわたる祭は、16日の宵山と翌日の山鉾巡行がクライマックスです。
山鉾巡行は午前9時、四条烏丸を、太鼓、鉦、笛による祇園ばやしとともに出発、四条通、河原町通、御池通を巡行します。

清和天皇の貞観11年(869年)に天下に疫病がはやりました。
これは牛頭天王のたたりであるとし、祇園社(八坂神社の前身)に牛頭天王(スサノウでもある)をまつり、日本の昔の国の数に準じて66本の鉾を作って神泉苑(中京区御池通)に送り、御霊会を行ったのが始まりといわれます。


御霊とは、怨霊をたてまつってよぶいい方で、悪に強きは善にも、のたとえどおリ、悪霊の威力を転じて病魔退散の神としたのである。
御霊会は、その後祇園社の興隆とともに祇園御霊会とよばれ、略して祇園会、さらに祇園祭とよばれるようになりました。

郡上おどり

にざわいの中にも、しみじみと踊り明かす郡上八幡の夏。
郡上おどりの起源は明らかではありません。
大正時代には、おはやしも舞台もなく、下駄をカランコロンと鳴らして踊っただけだったという。
やがて太鼓が加わり地面にすえた太鼓のまわりに輪ができたそうです。

昭和24年、全国民謡大会で、佐渡おけさ、阿波おどりとともに日本三大民謡に推奨されてから、八幡町は町をあげて郡上おどりにいっそう酔いしれるようになったといわれています。
郡上の八幡出て行くときは雨も降らぬに袖しぼるの名文句に合わせて、夏の夜を踊り明かします。


7月中旬から9月上旬まで行われ、8月13日から16日にかけては徹夜で、ほとんど休みなく踊りつづけるというから驚くばかりです。
代表作「かわさき」をはじめ、三百、げんげんばらばら、春駒、郡上甚句など曲も豊富で瓢逸なものから、しみじみしたものまで変化に富み、あきさせません。
日ごとに場所はかりますが、手拍子足拍子も容易で、だれでも加わることができます。

さっぽろ雪まつり

昭和25年、第1回雪まつりが行われました。
当初は市民のレクリェーションと除雪の意味を兼ねたものでしたが、年々観光客が増えてきて、真駒内や中島公園も会場に加わったビッグイベントになっています。

しかし、なんといっても大通公園の巨大な雪像が一番人気です。
約170基にも及ぶ大雪像のそれぞれは、神話、昔話、おとぎ話、人気アニメから国会議事堂、ヨーロッパの個性ある名建築に至るまで自由に話題性に富んだものを選んで制作しています。

近年は照明も、こっていて、数多い色彩で浮かびあがる夜の雪像は幻想的です。
氷の彫刻もあり、奇抜な着想、すぐれた造形にあふれています。
そのほか、郷土芸能の集い、歌謡ショウ、バラエティショウ、自衛隊の音楽演奏会、北海道犬博覧会などさまざまな催しに160万人もの人出でにぎわいます。

時代祭

京都市左京区の平安神宮の祭で、延暦一三年桓武天皇が平安の新京に車駕を進めた日を記念して、毎年10月22日に行われます。
維新勤王隊から延暦文官参朝式まで、平安京における時代の風俗を表した時代行列が神幸列に先行して市中を練り歩きます。
平安神宮が創建された明治二八年に始まり、葵祭(あおいまつり)、祗園祭とともに京都の三大祭の一つです。

平安遷都から明治維新に至る、京の歴史をたどる風俗絵巻です。
平安京は延暦13年(794)10月22日に作られました。
平安神宮が創建された明治28年が、平安遷都1100年にあたりますが、これを記念して、延暦から明治に至る各時代の代表的な風俗を有名人物や行事によって表わし、行列を組んだのが時代祭の始まりです。
時代考証が厳密に行われた風俗絵巻で、延延2qにも及びます。

行列は、維新勤王隊に始まり、18の時代別の列で構成されており、総勢3000名、牛馬約70頭の堂々たるスケールであす。
御池通りでは1時過ぎ、平安神宮では2時半ごろに行列が見られます。



三社祭

東京都台東区にある浅草神社(旧称三社明神社)の祭礼です。
正和五年に神託を得てはじめられたものです。
拍板(びんざさら)の行事が有名で、江戸三大祭の一つに数えられ、浅草祭とも言われます。
浅草名物の勇ましい神輿渡御は江戸いちばんの荒祭といわれています。

武蔵国浅草寺の最初の記録は吾妻鏡建久3年(1192)に記載されているように長い歴史をもったお寺です。
浅草寺の守り神、鎮守神の神社を浅草神社、古くは三社権現といいます。

大昔、浅草の浦で漁をしていた檜前浜成の兄弟が網にかかった仏像を、土師真中知という者に見せたところ、これぞ尊き観音像だということで、浅草に一堂を開創したのが浅草寺の起源といわれています。

浅草神社が古代の伝統を保持しているものとして、拍板(びんざさら)の神事があります。
一般的には田楽踊といわれるもので、稲の種まきや獅子舞が織りこまれている豊作祈願の舞です。

現在、三社祭は5月18日に近い日曜を中心に4日間ほど行われ、行事日程は年によりかわります。
日曜朝6時が本社神輿の宮出しで、前日、正午ごろ、各町内の神輿100基近くが浅草寺裏に集まり、1時に浅草神社を出発、連合渡御に移ります。
そのほか、芸妓の手古舞、木遣り、江戸里神楽など、汀戸情緒を色濃く残す祭です。



仙台七夕まつり

数百万の見物客でにぎわう全国一の豪華けんらんの七夕飾りです。
(最近は平塚の七夕も豪華ですが)

七夕は盆の祖先祭のナヌカビ(盆前の7日・盆の準備の日)の行事に、中国の牽牛、織女の星物語が重なったものです。
七夕の竹飾りを7日の朝、川に流したという記録は江戸時代にあり、仙台城下の七夕飾り、七夕流しには伝統があります。
仙台の七夕が華やかさを増したのは戦後のことです。

七夕飾りは駅前の中央通りから東一番丁を中心に、約1500本、1竿数十万円もの飾りつけも 多くあります。
飾り物には、それぞれ意味があります。
吹き流しは織女の糸を表わし、短冊は字が上手になるように、紙の着物は身を守る着物に感謝、折鶴は長寿を願い、巾着は貯蓄の精神を養うためという。
そのほか、薬玉や人目をひくような物が競って飾り立てられています。
七タパレードで祭を盛りあげげ、風になびく吹き流しが、さわさわと爽やかな音を立て短い東北の夏を彩ります。


相馬野馬追

相馬野馬追は相馬藩の祖・平将門が、下総で野馬を放ち武を練ったことに始まるといわれています。
いななく馬、はためく旗指物、疾走する甲冑武者の戦国絵巻がくりひろげられます。
24日の原町市雲雀ヶ原での神旗争奪戦をクライマックスに前後3日間、ひたすら華麗に馬を走らせます。

23日は各所で行事が同時進行しますが、雲雀ヶ原では午後2時から宵乗り競馬があります。
夜7時からは原町市内で相馬盆踊です。
24日、原町市北部の小川橋に集結した各郷軍は、午前9時半に出発、午前11時ごろ約4q先の雲雀ヶ原に到着。
まず3基の神輿が丘の上の本陣山に登り式典を行ないます。
正午、甲冑競馬が始まる。
色、形、紋所もさまざまな旗指物を風になぴかせながら騎馬武者たちが、砂塵を巻きあげて1q余りの馬場を1周します。
午後1時からは、神旗争奪戦。
打ちあげられた赤、青、黄の3本のご神旗がひらひらと舞い降り、これを奪い取ろうと、騎馬武者が馬を走らせます。
熱戦の渦はさながら戦国総巻。
そして最後の25日は古式の野馬がけがあります。

燈籠祭

とうろうおどり【灯籠踊】とは 盂蘭盆や祭礼に、火を入れた灯籠を頭上にのせておどる踊りです。
多くは角形で、美しい模様や切り紙を張りつけたりした灯籠で、下には幕を張って踊り手の顔が隠れるようになっていいます。
京都の花園踊りなども有名ですが、ここでは熊本の灯籠祭を紹介します。
この記事を作っているときに、NHK朝の連ドラ「オードリー」の中でも灯籠祭が紹介されていました。
技巧をこらした灯籠を奉納し、1000人もの人が優雅に踊るります。
昔、景行天皇の軍勢を、軍人たちが濃霧中に松明をかざして迎えたことに始まるといわれています。
松明の灯を現在のように紙細工の灯籠に改めたのは、応永年間(1394〜1428)とされています。
15日は前夜祭で、町内ごとに灯籠人形、春日灯籠などが展示され、夕方、灯がともされます。
16日は、午後8時に菊地川から大宮神社へ松明行列が進み、深夜0時、それぞれ技巧をこらした各所の灯籠が若者にかつがれて、大宮神宮にくりこみます。
これを上り灯籠といいます。
一方、山鹿小学校の校庭に設けられた櫓を囲んで、1000人もの人の千人灯籠踊が9時ごろから10時ごろまで行われる。
座敷唄の「よへほ節」に合わせ、頭上に美しい切り紙灯籠を乗せて踊ります。
17日は午後4時、下り灯籠で再び若者にかつがれてもどる。

高山祭

華麗な屋台と、精巧なからくり人形がみごとなお祭です。
春秋二つの祭があり、春を山王祭、秋(10月9〜10日)を八幡祭といいます。
ともに江戸時代から始まりました。
屋台ができたのは享保3年(1718)の記録か最初で、その後、改修されるたぴに飛騨の匠によってすぐれた彫刻がほどこされ、精巧なからくり人形が加わりました。
春のからくりは竜神台と三番曳台、秋は唐子(布袋)台です。

15日が本祭で、屋台は午前10時ごろにはお旅所に勢ぞろいします。
からくり人形や闘鶏楽、獅子舞の競演がつづき、やがてお旅所で一休みした神輿は屋台とともに町内をめぐり、夕方神社に到着します。
山王祭の見物は、陣屋前広場がいちばん盛りあがり、人々でにぎわいます。



長崎おくんち

九州の西北部には「おくんち」の名でよばれる祭が多いようですが、長崎や唐津が有名で、エキゾチックな祭です。
旧暦の9月9日を主にした秋祭のことで長崎市の諏訪神社が最も有名です。
諏訪神社のおくんちは、寛永3年(1626)の湯立神楽の奉納に始まったと言われています。
踊を奉納する町を「踊り町」といい、町印である傘鉾を先頭にして、各踊り町がめいめい趣向を凝らして竜踊、鯨の汐吹き、オランダ万才、コッコデショなどの国際色豊かな出し物、踊を奉納します。
「モッテコーイ、モッテコーイ」の掛け声を受けながら踊っていきます。


秩父夜祭

秩父祭ともいいます。
埼玉県秩父市の秩父神社の例大祭。
毎年12月3日。
山車(だし)が夕刻には秩父神社の境内に集まって、その屋台を舞台に芝居が行われます。

秩父神社の歴史は古く、貞観4年(862)にさかのぼりますが、秩父夜祭の主役・4基の屋台が今日のように整い、豪華になり始めたのは文化年間(1804〜1818年)のことで、江戸時代の山車作り技術の技を競ったものでした。

屋台の左右に下座を張り、上手に唐破風造の義太夫席を設けて回り舞台もある本格的な歌舞伎舞台を作ります。
舞台は当番に当たる町の通りに張り、道路と向かいの2階がそのまま桟敷となります。



長崎ペーロン

ペーロンとは【飛竜・白竜】等と書きます。
中国から伝えられた船の競争です。
水押(みよし)を突出した和船形の細長い船で、速さを競います。
長崎ぺーロンは300年余の伝統を誇る夏を彩る風物詩です。
長崎のペーロンや沖縄のハーリーは、もともと中国福建地方の爬竜船の形式を伝えたものです。
さらにその原形は湖南省の洞庭湖を中心とする戦国時代の楚の地方竜舟にさかのぼるそうです。
長崎のペーロンも、もと旧暦5月5日の行事でしたが、近年は7、8月に集中しています。
長崎ペーロン選手権大会、地区代表に大学も加わり、7月最終日曜日に松ヶ枝国際観光埠頭で開催されます。
船体の長さは13.6m、乗組員は30名前後、漕手のほか、アカとり(船底の水を汲み出す)1名、太鼓と銅鑼の打手各1名、舵とり1名、指揮1名です。

灘のけんか祭り

灘祭とも呼ばれます。
室町時代に始まったとされる祭で、神輿形の屋台と神輿の激烈なぷつかり合いで有名です。
14日の宵宮は、正午ごろ7台の屋台が神社前で運行します。
 15日は7台の屋台が正午ごろ神社前にそろい、つづいて3基の神輿が同じ場所で、それぞれ激しくぶつかり合います。
神輿は、一の丸は40代の男たち、二の丸は30代の男たち、三の丸は20代の男たちにかつがれます。
神輿3基を高々ともちあげ、互いにほうりあげるようにしてぶつけ合います。
かつぎ手はさっとひき、神輿は地上に落ちます。
次は重さ1.5tはある豪華な屋台の出番。
最高潮は1時から3時ごろ。
屋台は赤、緑、黄などのシデをもった者たちで囲まれ、熱気と喚声があふれて興奮のるつぼと化します。


新居浜の太鼓祭り

四国三大祭の一つで、延べ35万人の観客があります。
2500sの太鼓台が150人のかつぎ手により暴れまわるという豪快な祭です。
瀬戸内海沿岸に数ある太鼓台の中でも、豪華さ、勇壮さで随一といわれる新居浜の太鼓台。
30台以上の太鼓台が参加し、16日から18日にかけて、行われます。
 太鼓台は一種の山車で、文政9年(1826)の記録『一宮神社記』に「神輿太鼓」として登場、やがて「太鼓台」の名で華やかさを競うようになりました。
 新居浜市内には16の神社があり、かつては各社の祭でありましたが、現在ではイペン卜性が強くなっています。
太鼓台は、中で2人が大太鼓を打ちます。
4本柱に大きな飾り房がつき、ふとんじめは金糸、銀糸を用いて竜虎などの華麗な模様を刺しゅうをし、上幕、高欄幕をめぐらせています。
かき手(かつぎ手)だけでも1台あたり150人。
台に乗る指揮者4人はかき棒にまたがっています。

博多祇園山笠

博多祇園山笠は追山が豪快に街を走りぬけ、博多っ子の心意気が燃える、そんな派手で豪快な祭です。
博多人形師たちが腕を競った人形のみごとさが祭をいっそう華やかにしています。
7月10日から「流れかき」が始まり、13日に「追山ならし」がありますが、なんといっても15日早朝の「追山笠」の「櫛田入り」が最高です。
 祇園山笠に、以前は「飾山笠」と「追山笠」の区別はなかったのですが、丈が高く電線や市電の架線にかかるため、据山として飾るだけの飾山笠と、かついで街を走りまわる追山笠(かき山笠)に分けるようになっりました。
15日の早朝4時59分。
櫛田神社境内にドンと鳴りひびく大太鼓の音を合図に、一番山(山笠の略称)が「ヤァー」の雄叫びをあげ、櫛田神社境内を一巡して、怒涛のごとく街に出て行きます。
以後5分ごとに二春山、三番山と、大太鼓の音とともにつづきます。
追山笠は重さ750s、28人のかき手(かつぎ手)を中心に数百人が取り巻き、「オイタッ、オイタッ」の掛け声も勇ましく、突っ走っていきます。

博多どんたく

ドンタクとはオランダzondagに語源があり、日曜日、休日、祭日、祭礼のことです。
本来は正月15日の「松囃子」で、室町時代には京都を中心に大変な流行をした祝言行事でした。
 現在は3日、4日の午前9時過ぎ、櫛田神社から出発し、城内で盛大にはやしてから、市内を運行します。
馬に乗った福の神、恵比須、大黒天と、緋色の袴に天冠をかぶった稚児らで編成される松囃子は、締め太鼓をたたきながら、言立(祝い歌)を唱える子供たちが続きます。
一方、パレードは通りもんといわれ、しゃもじを打ち鳴らしてどんたく囃子とし、市内の仮設舞台では、博多にわかという寸劇やのど自慢もあります。


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