naca npo法人アートコアあおもり
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上を向いて歩こう!プロジェクト
怒濤のっ!青森アート商店街 事務局長
高樋忍

各論:上を向いて歩こう!プロジェクト

 上を向いてあるこう!プロジェクトは 、県内外の若手アーティストやクリエーターが中心市街地に住んで、地域の方々 と交流しながら制作し発表することを目的としたプログラムであり、「怒濤のっ !あおもりアート商店街」では要となる企画である(「総論」参照)。 このプ ログラムの実行にあたっては、青森市の中心市街地7つの商店街の若手メンバー で構成されている「あきんど隊」ほか、多くの市民の協力が不可欠であった。無 論、主に東京近郊から手弁当で参加してくれた若手アーティストの協力なしでは 、事業そのもの自体が成立することはなかったのは言うまでもない。この各論の 項では、アーティスト募集状況とプログラム開始までの実行委員会の動き、アー ティストと市民の関わりを中心に記すこととする。アーティスト募集 最終的な 参加アーティストは十三名。県内在住者三名と県外十名。六月後半からの実行委 員会による口コミ的呼びかけを行っていたが、手弁当での参加を条件としたこと 、また滞在期間の長さがネックとなり応募状況は芳しいものではなかった。その 中、偶然来青したアーティスト出月秀明(国際芸術センター青森の秋AIR参加 アーティスト)により、その状況は一変した。出月により二名のアーティスト、 中崎透、藤井光が紹介された。その後、中崎により、彼の在籍する武蔵野美術大 学関係のアーティスト達を中心に今回の十三名というメンバーが決定した。「場 」の提供 中心市街地商店街の全国各地の商店街と同様シャッターの閉まってい る店舗が目立つため、実行委員会では比較的安易に賃貸可能であると予想してい た。しかし、現実には地価の高い地域となる中心市街地で、空き店舗とは言え、 短期的な賃貸契約をむすび、今回プログラムに利用することは困難であった。最 終的には実行委員会メンバーと「あきんど隊」の協力、そして何よりもアーティ スト達の熱意により数件の店舗を借りることができた。

 今回のプログラムでは 、映画館として長年市民に親しまれてきた「松竹会館」を利用できたことの意味 は大きかった。ただし、空き店舗のリノベーションやコンバージョンには、つき ものである行政的指導による建築的措置には、予想以上の費用と労力が必要とな ったが、その一方で、行政側自身も一市民として愛着のある「松竹会館」の利用 に際し、技術的模索をはかってくれたことは記載するべきであろう。実行委員会 としては、建築的な部分に限らず、できるだけ法的規制には準拠していくことを 旨としていたが、これは単に我々自身の今回だけの活動のためだけではなく、今 後の我々の活動や同様の後身に対しての配慮と考えた。「市民」の協力 プログ ラム開始前、関係各所へ協力を仰ぐため実行委員会では、さまざまな場所に足を 運び、今回のプログラムについての説明を行った。しかし、素人集団である我々 の机上での説明には限界が多く、またアーティスト・イン・レジデンスという取 り組み自体が当然のごとく理解されていないという状況で、「街」との関係性の 中で制作を行うという本プログラムの成立は困難を極めると危惧された。ところ が、実際にアーティスト達が大挙押し寄せてきてからは、それまで遠巻きに眺め てきた市民が、徐々にではあるが、さまざまな形で手を差し伸べ、協力を厭わな いものとなった。ただ、実行委員会として、その状況を即座に理解することがで きず、差し伸べられた多くの協力の手を繋ぐことができなかったという部分にお いて自責の念は否めないところである。

 アーティストの作品は、「街」を感じ ながらも「個」として制作する者、大きく「街」と関わり「街」自体をステージ ・キャンバスとして制作する者などさまざまであり、各自が各自なりの方法で「 街」と「市民」と関わったが、特に風間慎吾《Blue Sky project》は、道路上空 やビルの壁面を使用する作品であったため、地元の建設関係者が、深夜・早朝厭 わずに制作協力を行った。加えて、県・市・警察など行政各所の理解は不可欠で あった。風間とともに訪れた警察で、担当者が「街が元気になるために、君らが やろうとすることを、全部ダメだとは言いたくない。」という言葉は、風間はも とより実行委員会への強いエールと受け取るものであった。

 また、渡辺泰子《High High Project 》では、渡辺の意図する街あるき動線上の店舗ショーウインドウの中にモニタを 設置したが、およそ3ヶ月の期間、商店の顔であるその場所を与えてくれた。同 様に、橋本尚恣《藝術商店街満天星屑》では、橋本自身の精力的な依頼により、 朽ち果て剥がれ落ちるまで軒先に「御札」が貼られるということを各店主たちが 理解し、承諾した。結果的に本プログラムでの展示は行われなかったが、藤井光 は新町通り沿いにある数多くの商店にカメラを持ち込み、店舗内を撮影したが、 その行為を拒絶する商店は少なかったという。住中浩史《昭和通り 商店主CMプロ ジェクト》では、更に商店やその主にスポットをあて、長時間にわたるインタビ ューやアンケート調査などの手法を用い、商店主である「市民」の懐に潜り込み 制作するということを行った。

 このように、さまざまなアプローチでアーティ スト達は「街」に、「市民」の心にジワジワと入り込んでしまった。中崎透がい みじくも語った言葉「自分の地元(水戸)よりも、おおくの街の人と関わってい る。」は、今回のプログラムである「上を向いて歩こう!」の最も意図するとこ ろであるのだ。