naca  npo法人アートコアあおもり
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石川卓磨(1979 千葉県生 武蔵野美術大学大学院造形研究科美術専攻油絵コース卒業)

夢遊病者の夢

写真を中心的なメディアにして作品制作を行っています。しかし、僕の作品はいわゆるスナップ写真やいわゆる 写真家的なジャンルの写真とは異なる部分が二つあります。
一つは、役者となるようなモデル、服装、小道具、ライティング、ロケーションなどを設定しながら映画的な シュチュエーションを作り出し撮影するということです。
もう一つは、ギャラリー・美術館などに展示することを想定して作品を作ることです。そういった展示形式が、 積極的に写真の内容に介入しています。ですから、一枚の写真で成立するものではなく、物語性を持った複数の 写真が関係性を持つことによって作品が成立しています。
僕の作品は映画の上映形式とネガポジの関係にあると言う事ができます。映画館の設備は映画への没入を促すため、 スクリーンの外を忘れさせるようにできています。しかし僕の場合は、写真が物語的な時間の関係性をもちながらも 展示空間との共犯関係を作り出しています。映画は映像が動き観客は座っているのに対して、僕の作品では映像が止 まっていて観客は動きながら見ていく。つまり、映画とは異なり鑑賞時間、見る順番などを観る人が自由に判断し、 作品が能動的に導き出さだれることになります。
今回の「夢遊病者の夢」では、ビルの空きスペースというホワイトキューブではない特殊な空間を使いながら、 夢遊病者の徘徊をテーマにする。夢遊病者というテーマと今回の展示会場と撮影現場が非常に近いという特殊性を活か しながら、ドキュメンタリーとフィクション、夢と現実、身近さと遠さを混在させようと考えました。僕は不安や不気 味さを作り出すものに特に関心を持っていますが、一般的なフィクション作品とは違う形で、観客と作品の関係、想像 力を生み出したいと考えています。

 

風間真悟(1979 北海道生 武蔵野美術大学大学院在学)

Blue Sky project

青森の由来は、読んで字のごとく「青い森」からきているとの事です。
青い森公園、青い海公園、言葉の上だけではありますが、青が多用されています。
私は、そういった言葉の持つ現象性に引かれます。
これだけあふれている「青」という言葉を、現実の「青」という色で、空間に散りばめたいという欲求のもとにこのプロジェクトを企画しました。
三角はアスパムの印象が強く残りますが、非常に人の目を引く形です。
四角のように安定性のみではなく、鋭角的、進歩的な特徴も持ち合わせています。
県立美術館のロゴも「木」や「森」を象徴する三角の形をしています。

私の表現活動は、いくつかの多角的なコンセプトをもとに行っています。
その一つとして「日常の景観を一時的にかつ飛躍的に変化させる。」ものがあり、今回のプロジェクトはそのうちに含まれます。

また、普段の活動は、私個人の肉体のみを使って行うものが多いのですが、今回においては、 様々な方々のご協力が得られる貴重なイベントであるため、とても一人の肉体では出来ない事に挑戦してみようと思います。
経験不足なため、不手際はあるかと存じますが、どうかプロジェクト実現のため、ご支援の程、宜しくお願い致します。

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出月秀明(1975 横浜市生)

こうのとりたちずさんで

プロペラは反時計回りに、1分あたり3回転に回転します。 それは、慎重な動き であり、浮いている印象を持たせます。 中に人形が乗せられるくらいに精巧に出来 た模型列車が、時計回りに走ります。プロペラの回転とは逆方向になります。 模型 列車の客車と機関車は、1回転あたり1回、切り離されてまた連結します。 その動き は優雅に、また奇妙にも思えます。 この作品は、空間、時間の概念への問いです。 また、吊されており浮遊する印象がありますが、浮かぶことも地面に接することも ありません。 そして常に回転し続けます。 日本のアイデンティティの探求は、この 放浪しているイメージに似ています。 それは私たちの立ち位置です。 この仕事は、 おもちゃのような微笑ましい外観の裏に、日本がどのようなものであるかを表してい ます。

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渡辺泰子(1981 千葉県生 武蔵野美術大学大学院造形研究科美術専攻油絵コース在学)

high-high project

初めて青森という地に足を踏み入れました。

遠い存在だった青森という街を少しでも近くに感じる方法とし て、私なりの市内空中散歩です。

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藤井光(1976 東京都生 国立パリ第8大学、第三期博士課程 DEA(美学・芸術)卒業)

S10

映像を見る時、テレビなりスクリーンなりの機械を必要とするが、それらの機械が置かれた「家」「映画館」「美術館」も 鑑賞者の目にはぼんやりと映っている。フレームの外にぼんやりと映っているこれらの残像が作品に及ぼす影響は、はか りしれない。平たく言えば、どこで、観客が作品に出会うのか?同じ作品でも場所が変われば「見られ方」も異なり作品自体 に「出会わない」可能性も考えられる。そのため、作品が置かれる物理的・文化的基盤を検証しプロジェクトを立ち上げる。
今回、フレームの外にある空間は人々の移動を目的とするスペースに商 店がシステマチックに建ち並ぶ「商店街」である。 そこでは無数の「イメージ」が移動する人々を減速させ、立ち止まらせ、店舗へと誘う。 「商店街」の表層はこの機能的な イメージのモジュールで構成されており、それを支えているのが「売る」ことを目的とした「商品」の存在で ある。 そのため、私がまず行なった作業も他の店舗の経営者と同じく「商品」を明確にすることだった。
何を売るか?この問題にアートが概略的に語るのは難しい。しかし、この問題にクリアーな回答を出さない限り移動する人々 の行動パターンに関わることは望めない。そこで、私が担当した空き店舗では「不安によって人々の想像力に語りかける 物語」を「商品」とすることにした。
私が担当したスペースの大きさは他の店舗と変わらず、時間にして歩行者との出会いは僅か3秒程である。その僅かな時間 に人々の意識の中にこの物語を届けるために選んだ「イメージ」が「S10」である。

ところで、私も含めこの文章を読んで下さっているすべての方々に考え ていただきたい問いがある。
この「商品」は何と「交換」されたのか?

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佐藤広野(1982 青森県生 北海道教育大学函館校芸術文化課程美術コース 卒業)

That is what I say

私はこれまで油彩画によって、一つの作品を提示してきました。つまり、作品はあくまで一枚の絵画であった、ということです。

今回試みたのは、その絵画作品の完成に至るまでの過程を一つの作品として空間に表現することでした。

具体的には、普段自分が絵を描く時に「していること」、そして絵を描いている最中になっていく「状態」をありのまま見せることです。例えば、私は絵を描く際に音楽をかけています。音楽をかけていた方が自分の中に時間軸を作って、リズムを保って制作出来るからです。

私は気分が乗らなくなるとギターを弾くことがあります。いい曲が出来たらそれに詞を重ねて歌ったりしています。そうして新たな気持ちで制作に臨んでいます。本を読んだりもしています。とにかく、絵を描く時は、なるべく別なことを平行して行うようにしています。これは、音楽をかけることと同じことで、このように中途でアテンションを挟むことで制作の中にリズムを刻んだり、気分の切り替えを容易にしたりすることが出来るためです。

散らかったゴミや、絵を描くための道具などが散乱している状態はいつものことです。また、飛び散った絵の具もよく見当たるかと思います。これも私の制作には欠かせない要素です。実に粗暴。

最後に。作品によって表現したいことは何か、と問われると、よく「他者との完全なる断絶」と答えます。この世界はある意味で自意識の中の世界と言えます。つまり、他者と心を伝え合うことはあっても、入れ替えることは不可能であるのだから、他者を完全に理解することはあり得ないし、存在を証明することは出来ない、という一種の「孤独」であるとも言えます。

絶望的でありながら、しかし私はいつもその裏側で、「ならばいっそ自分が大切に思える人達のために今より前へ」と、一つの生きる希望や確固たる強さを抱いてやみません。剛健に、そしてロックンロールに生きていこうと思います。

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松田辰地(1982 長崎県生 武蔵野美術大学大学院院彫刻コース 在籍)

テリトリー

遠景の公団住宅やニュータウンを眺めていると、ずっと昔からあるよう な、今突然立ちあらわれたような、あいまいな感覚に陥ることがある。 整然と並んだシンメトリーな構造を持った棟の中には、当たり前に私と は全く関係のないそれぞれの生活や営みがあるのだが、あたかも建築物 自体がそこに生活(棲息)しているような佇まいに見える。 私のこれまでの作品は都市や建造物をモチーフにしたものが多々あり、 制作していくなかで徐々に、私の興味の対象の核というべきものが「空 間の密度」と「継続」のふたつに明らかになってきたように思う。 都市やマンション群が疎密に在って、まるでそれら自体が淡々と棲息し ているかのような空間の密度と日常の継続。言い換えるならば、私、そ して他者の立っている「ここ」から、勝手に続いているであろう「そ こ」の間にある何らかの乖離を表現したい。 今回の青森での音と映像の作品は、特殊な録音方法で臨場感を強調した 普段の生活にある音をあえて暗い室内でヘッドフォンで聴いてもらうこ とによって、オープンな場の音をクローズドに(私のいた普段の空間を 追体験)することで、日常を異化したいという狙いがある。 それは、滞ること無く続いている何気ない日常の音は鑑賞者の日常にあ る音であるが、同様に私の日常の音でもあり、音が鳴っているヘッド フォンの向こうには私がいた空間の音が鳴っていて(鳴っていた)、録 音時の私の耳(当時の日常であり、鑑賞者からすれば他者の空間であ る)、鑑賞時の鑑賞者の耳(現在の日常でありパーソナルな空間であ る)は継続されている空間の密度という点において私と鑑賞者からのあ いまいな乖離である。

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橋本尚恣(1957 北海道函館市生 東京芸術専門学校(T・S・A)卒業)

藝術商店街満天星屑

私は版画という手法をその中心に据えて制作していることが多い。普段その版画 は額装され展示される。今回の企画ではその版画に商店街という素材も組み入 れることで「版画と街 あおもり」を想起して行動してみた。 版画は複数刷る事が前提としてある。もともとそういう考えで産みだされた技術 でもある。そこで今回は商店街の中に刷り上がった版画を遍在させたり集中さ せるという作業を行なった。また宗教的な意図は持ち込んでいないのだが版の形 を一般的な「おふだ」に倣ってみた。美術の作品制作などに込める思いと信教 の自由。何かを信じる行為には美術と宗教の両者に地続きなものを感じている。 特定の宗教とは無関係に制作しているが、そのことで多少の警戒とためらいの あったことは今回の作業を通して感じさせられた。

商店街の店先に貼らせてもらう形で点在させた「おふだ」は10月15日現在で三十 三カ所を数えた。(偶然だがおふだと三十三カ所というキーワードは巡礼 を連想させる)私はこれら個々のおふだを点と看做しその点を繋げ、あるいは線 の交差としての「商店の街並」という姿を思い描いている。この場合には「お ふだ」そのものよりもその点在する場所の総体としての街並を作品と看做したい 気持ちが働いている。

貼る際には戸別に伺い頼んでいる。了承してもらう上で店側の意思も関わる。私 にとってこの同意は一緒に何かを共有しているのではないかという漠然とした 共犯意識を生んでいる。おふだを貼ること=協力であり共謀であり私的には密か に布教でもあるかもしれない。(美術の布教だろうか?)重ねて言うが宗教で はない。貼る事のご利益もうたってはいない。美術への加担というよりも私の作 業へのご協力とご理解であると私は曲解しながら深く感謝している。

同時に松竹会館の正面二階ガラス窓を数百枚のおふだで塞ぐように配列した。同 じ版から刷られる版画は少しの刷り加減で様を変えて刷られ(同じに刷る技術 がないともいえるのだが)その1枚づつの刷りむらや時に失敗刷りも含めて「全 部でひとつ」として配置して見せることを考えた。三十三カ所とはまた別であ る。別院か本尊、本殿のようだという感想も聞いた。

これらおふだは見上げる場所でもあり普通に気付かれることは少ない。見せるこ とよりも一連の作業をする上で商店主と私の関わりしかそこにはないのかもし れない。今回の展示は私にとり「版画と街」の最初の手がかり足がかりであり自 分にとって普段と違う版画の形態に踏み出す事の序章と思っている。会期終了 後も一部の店主のご理解とご協力でそのまま継続してこの「おふだ」は貼り続け させていただくこととなった。このプロジェクトがゆっくりと今後も醸成する かもしれない可能性と様相や受け取り方の変るかもしれない行く末を確認したい と思っている。

関係各位に感謝をこめて。

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山田大一(1979 東京都生 武蔵野美術大学大学院造形研究科美術専攻彫刻コース 在籍)

類煙色流流人種群

まず始めに実行委員会の方々や青森商店街の皆さまの助けがなければ展示にこぎつける事ができなかったので、 この場を借りて御礼を言いたいと思います。

今回のプロジェクトには八月の末に話を頂き、九月の中旬に参加意思が固まるような状態でかなりの強行軍となった。 まず青森に着き感じたことは、空と建築物との何ともいえぬ距離感と、行政機関がある街特有の虚無感を感じた。 街の道路はとても広く祭りのために整備され、ひっそりとたたずみ次の祭りを待っている。車に乗り移動すれば郊外には 大型店舗が立ち並び、人々の生活の分散化が感じられる。それは雪国特有の車社会であることの現われなのだろうか。 そして、恥ずかしながら初めてコンパクトシティ青森という構想を知った。その構想について思ったことは、 それにより求心力を持った地方都市は完成するのか、そしてそれは青森の人々、もしくは今回滞在した木村荘周辺の方々の 生活と何時になれば実生活でリンクするのかということだった。それについて私は不安を覚えた。その地でより良くいきる ために人々は働く、ただマクロ化した人々の生活(社会)は人々の欲を集め、その欲は方方する。それに対する答えとして 不安の(普段感じている私自身の不安だが)実像化に取り組んだ結果が今回の作品となった。

*毎日穴を掘りその穴はいつのまにか出ることができないほど深く深くなりました。上を見上げれば信じられない数の 飛行機が飛び交っているようです。僕の位置はGPSで確認してください。2010年に会えると思いますが駄目でもいつか 会えますから気にしないで下さい。それではまた。*

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葛西望美(青森県生)

pp project

松竹会館にある空き店舗の中でも、一番奥に位置し、日中でも薄暗く人目にもつ かない店舗を提供されました。

表通りの賑やかな商店街の中で、かつて店舗とし て使用されてきた気配を感じる空間だけがひっそりと存在している。

その気配感という部分 を作品にしたいと思い、「ppp」 -pianissimo project- として取り組みました。

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住中浩史(1977 広島県生 明治大学商学部卒業)

昭和通り広告主CMプロジェクト

自分は、地域や学校など日常の生活を暮らしている人と関係をつくりながら、その関係においてデキゴトを生み出す活動を しています。
今回、青森市昭和通りに滞在しながら、商店街の人達と関係をもつ中で、商店主達のそれぞれのこだわりや想いに強く惹かれ、 その関係の中でプロジェクトを行うことにしました。

商店主との関係の中で、郊外大型店と違い中心商店街は店主の店に対するこだわりや積み重ねた歴史そのもの、つまり 人がお店の魅力であると考えています。
このプロジェクトは、昭和通りの五店舗(ナンデモヤ・BON美容室・イクロス・パドゥ・渡辺時計店)にその商店主の こだわりや、お店の歴史、昭和通りへの想いを、街行く人に伝えるため、商店主へのインタビュー映像をそのお店の目の前、 店内にそこに映る商店主がいる前で上映します。

プロジェクトの過程で、全店員にお店にまつわる、お店についてのこだわりや接客の姿勢、個人的趣向などを尋ねた アンケートを元にしたイメージ映像・CMがインタビューの合間に入ります。

また、人は自分が人に話した言葉の内容を、より強く意識してしまうという傾向があります。そしてこの傾向はパブリック な場で言葉を発した場合より強くなります。
そういう意味で、このプロジェクトは外にメッセージを伝えるだけでなく、お店への熱い想い・こだわりを言葉にすることで 商店主自身に再認識してもらいたいという、商店主を対象としたプロジェクトでもあります。

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中崎透(1976 茨城県生 武蔵野美術大学大学院後期博士課程在籍)

看板屋なかざき

ある日なにか些細なことに感動したとする。
それがどういった感動であったか、言葉だったり、カタチだったり、色だったり 、 なにか別のものへと定着させてみたい、と、ああだこうだ試行錯誤してみる。 それが僕にとっての作品をつくるという行為である。

その行為は、感動した出来事を定着させ自分自身でそれがどういったものだった のか 再確認するためのごく個人的な要求である部分と、些細な感動を誰かと共有した いと いう他者も介在した部分との両方からできている。あえてどちらが大切なのかと 問わ れてもホントのところどちらかよくわからない。ただ漠然と、些細な感動を観客 とほ んの少しでも共有できたとして、観客が日常に立ち戻ったとき、それまで気にも とめ なかった些細なことに感動を覚えたとする、そういったきっかけをつくる装置と して 機能できたら素敵だなと思う。

ひとつの最終的な理想として、極端ではあるが完全なる感動の共有を目指したい とい うことがある。
一方では、絶対に完全なる感動の共有なんてありえないということを知っている 現実 がある。
そんな中でなぜつくろうとするのか。
感動の、よくできた疑似体験のできる装置をつくろうとしている現実家なのか、 それとも共有できない絶望の上にたち、それでもなお信じようとするロマンチス トな のか。
果たして僕はどちらなんだろうか、むしろどちらかなのだろうか。
最近はわりとそんなことをうだうだよく考える。

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斎藤智(1982 宮城県生 東京造形大学造形学部美術学科・絵画・広域表現指標3年在籍)

non non fictions poroject

日常の浮遊。

0と1の暗号と同じように私の生の中に組み込まれている感覚。

瞬きを止め、黒と染みる光の世界にいるときに似ているきがします。

何台か通るアスファルト。部屋中を満たす女優たち。網戸から抜けてくる夕方の家族の匂い。それらを含めたとき、 私は私の記憶だけの存在になってしまう。

自然の力の中に生き続けたサン=テグジュペリ。失ったものを思い続けた、彼の王子様。私たちの共通するものは そこにあるのかもしれません。

生きる日々のズレから生じた私たちの出会いを、繋げることが今、私の留まる糸口になっているのかもしれません。

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