八甲田丸青春劇場
嶋中克之
数年前、有志のみなさんと八甲田丸を借りて、アート・フォーラムを開催した。その準備段階で初めて知ったのだが、その会場は、ロバートキャパと沢田教一の常設写真展の場であった。それまで見落としていたことの意外さは感じたが、その時は今すべきことに忙殺されてしまった。 フォーラムを無事終え、やれやれと、同じ八甲田丸の船首側にある喫茶コーナーで休んだ時のことである。 多少の充実感と覚めやらぬその興奮の内に、コーヒーを飲みながら船窓から外の景色を眺めていたのだが、海側からまちの佇まいを見ていると、だんだんと込み上げてくるものがあった。 「そうだ!このまちは海に向かって栄えていたのだ」 なのに今は、海に背を向けてとても悲しそうに見える。 歴史を語るまでもなく私たちの少年時代、この連絡船の桟橋に来るだけで、別世界への旅立ちの興奮を感じて、自分が乗るのでもないのにワクワクと心躍るものがあった。 そして実際、青年時代には、夢を胸にこの船に乗り込んだこともあったのだ。そんなことを思い出し、今半ば忘れ去られているようなこの青函連絡船というまちの歴史の象徴を、私たちの手で甦させられないかと強く思うのだった。 その頃、ある報道特集で「一ノ瀬泰造」を取上げているのを見た。 若くして戦場に散ったカメラマン、『地雷を踏んだらサヨウナラ』で有名だ。 彼を駆り立てた想いは一体何だったのだろうか、世界の一角で起こった戦争という不条理に憤りを感じる人は多い。しかしそこにわざわざ危険を冒してまで突き進む人間がいる。彼の真っ直ぐな生き様に眩しく羨望の気持ちを覚え、八甲田丸の船窓から、グレーにくすんだまちの影を見た時に思ったものとが心の中で共鳴し合った。 聞けば、一ノ瀬泰造のドキュメンタリー映画『TAIZO』があるという、それも自主上映会に貸し出すことを目的としている。ここで先のロバートキャパと沢田教一との糸が結ばれた。 後はやるしかない、泰造を駆り立てた想いと、私たちがこのまちの為に何かしたいと思うことの間に何か共通項があるはずだ。 また、「TAIZO」から私たちに働き掛けてくるメッセージはきっと多くの人の共感を呼ぶだろう。 まちの歴史的象徴がここにあるのだから、私たちはそこにふたたび自身の手で光を与え、貴重なまちの資産として後世に引き継がなければならないと考える。船が動かないのであれば、私たちがそのエンジンとなろうではないか。 心の錨を上げいざ出航の時!
・・・・・・・・ 『実施報告』 ● 映画「TAIZO」 2003映画『TAIZO』製作委員会 (株)チームオクヤマ提供 製作:奥山和由 監督:中島多圭子 音楽:深町純 声の出演(一ノ瀬泰造):坂口憲二 http://www.teamokuyama.com/taizo/film/introduction/index.html 日時:2006年7月30日(日)開場12:30 開演13:00〜 会場:青函連絡船メモリアルシップ“八甲田丸” 1F車輌甲板 (実際に車輌が積み込まれている船倉で、高さがあり、周囲の剥き出しの鋼板と配管などが鈍い銀色の輝きを放つ非日常空間) 他プログラム:上映後、奥山和由プロデューサーと中島多圭子監督によるトークショーを開催 入場料:1,000円(トークショー含む) 入場数:97名(前売り81名、当日16名)
MC:佐々木淳一 ボランティア:田中紀子、青森大学陸上部、他、商店街および市民有志 上映機材提供:青森県映画センター 協力・助言:あおもり映画祭実行委員会 (敬称略)
企画段階から「映画上映会は難しいよ」と言われていた。そのとおり、結果興行的には失敗である(期待入場者数200名であった)。 しかし、敢えて述べておきたいのは、困難に挑戦しなければ何も新しいものは生まれないということだ。やったこと自体が市民有志の結集の成果であると同時に、これは経験値として確かに刻まれた。今回、無理な状況下で実現できたのは、励まし、助言を与えてくださった方々(上記、難しいぞと忠告を頂いた方々が率先して力を貸してくれた事実)、そして協賛を頂いた企業また個人のみなさんは元より、設営・実施において時間と労力を提供して頂いたたくさんのボランティアのみなさん、この他ひろく有志の存在である。 以上、参加して頂いた方々を含めすべての方々に感謝を申し上げます。 ありがとうございました。 全国アートNPOフォーラムinあおもり実行委員会 実行委員長 |