naca npo法人アートコアあおもり
青森市大字新城字平岡160-1039 email: info@art-core.net

はじめに
全国アートNPOフォーラムinあおもり実行委員会
実行委員長
 嶋中克之

時代が夢を追い、社会が希望を説かなくなって久しい。
八甲田丸を市民レベルで何とか盛り上げたいものだと、ある映画の自主上映会を企画して春を待ち望んでいた2月、立木祥一郎、三澤章両氏の呼び掛けで数名が集まった。
「全国アートNPOフォーラム」というものがあり、これを是非誘致したいという。聞けばその名のとおり、全国で活動するアートNPO関係者の年次大会で、これまで3回開催されている。そこでは、社会に向けてアートNPOの存在価値を問うと共に、積極的にアートによるまちおこしが議論されてきたということである。過去何度かアートサポート活動に携わり、創作の現場に立会ってきたわたしたちの心の中に“アートによるまちおこし”という言葉が新鮮に飛び込んできた。
それまでは自身の趣向もさることながら、それによる可能性をどうにか社会に展開できないものかと、もどかしくも思っていたのであるが、つくるのはこれまでのように作品ではなく、公共空間としてのまちであり、社会そのものがテーマとなるということで、motive(動機)のフェーズが「個」から「公」へとシフトしたのだった。
青森市は、“コンパクトシティ”の先進的な成功事例として他に紹介されているものの、過日、街と人とが一体となって青春を謳歌していた頃の、あの賑わいを懐しく思うのもまた多であろう。しかし、与えられるのを待ち不平不満を言っていても始まらない。足りないものは何か、行政が主導したハードインフラの整備に併せ、内部から主体的に社会参画(アンガージュマン)して盛り上げるソフトインフラも必要だと思っていた矢先であった。そしてまた、ちょうど青森にはアートの風が吹いている時期でもある。“青森県立美術館”のオープンを控え、それと同期して、弘前や八戸でもアートNPO関係団体による大々的な展覧会も企画されていた。これらの美術体験を求めて、全国各地から大勢の人が青森にやってくるのは目に見えていた。これを街で迎え入れようというのである。津軽人のホスピタリティー精神が疼き出す。それを経済効果にまで転化できないだろうか。2010年には新幹線もやって来る、来てしまってからでは遅いのだ等と、興奮しない訳にはいかない。抱えていた自主上映会の企画をスタートイベントに「八甲田丸青春劇場」と銘打ち、一連の事業を開催することになった。
県美のプレオープンイベントであったものがNPOに引き継がれている「キッズアート」、この春立ち上がったばかりのアートNPOが主催する「アート井戸端会議」、メインの「上を向いて歩こう」という、4つの社会実験プロジェクトを行い、来る全国アートNPOフォーラムにそれら成果を提供し、中心市街地がアートをツールとしてどこまで元気になれるのかを検証、討議しようという内容である。
「上を向いて歩こうプロジェクト」を説明する立木氏の、「街に20人のアーティストが住み込んだら、この街は変る!」という言葉に魅了されている中、事務局長の「怒濤よっ、怒濤っ!」の掛け声で「怒濤のっ!あおもりアート商店街」というイベントタイトルが付けられ、すべては動き出した。その時、霧笛一発八甲田丸が出港したような錯覚を覚えたのだが、行き先はまさに霧の中、とにもかくにもガクンと出港したのだった。
いざ事業スタートとなるや、高樋忍事務局長、斎藤誠子副実行委員長、嶋中靖朋実行委員を中心として、各委員の働きは目覚ましく、このような人材がこの地にあることを改めてうれしく思うと同時に、日々立ち現われてくる事業展開には、立場も忘れて一人惚れ惚れと傍観するばかりであった。このことは仲間内でほめ合うことの禁を破ってでも、地域の貴重な人的資源としてここに披露せずにはいられない。
この人達の熱意が協力と協賛の輪となり、それが波紋のように広がって、地域各商店街のみなさまは元より、中にあって“あきんど隊”という最強のまちおこし有志グループの積極的な参画を得るに及んで、活動が勢いづいたことは大きい。そして、さまざまなセクションで専門的、且つ実際的な助言・協力を頂いた行政関係のみなさまや、何かする度に手弁当で駆けつけてくれた沢山のボランティアのみなさんと、今までコネクションのなかった人の協力のネットワークが、まるで自己拡大するウェブの様に構築され、その様はまさに怒濤のごとくであった。
さて、各方面のご協力により、ようやくアーティストの居住、制作および発表空間を確保する目処がついたものの、自費でわざわざこの青森までやって来てくれるアーティストはいるのだろうかと、スタート段階から声に出さないでいた不安は、始まってみると杞憂であった。募集開始早々、ワンボックスカーに家財道具と制作機材一式を積み乗り込んでやって来た人を始めとして、50ccのバイクを駆り、東京から三日間掛けてボロボロになりながらたどり着いた人や(彼は当然帰りもそうした)、夜行バスからフラフラになって朝の街に降り立った人、自家用車で何度も行ったり来たりした人など、呼んだ方が不思議に思うほどの情熱を持って、遠路主に東京方面から、若く才能豊かなアーティスト達が次々と初めての青森にやって来た。
彼らはここに暮らし、街を歩き回り、飲み交わし、笑い、サしてたまに泣き、暑い夏の幾夜かをとても真剣に過して、やり遂げてくれた。
「ありがとう。君たちは、わたしたちが忘れていたものを呼び覚ましてくれた」この彼らとの刺激的な日々を通して感じたことは、結果的に“まちおこし”に必要なのは、まず“こころおこし”であり、“こころのコモンズ(共有空間)づくり”ではないかということだ。それは意識の共通項に訴え掛けるもの、ソーシャルキャピタル(人々の絆、お互いの信頼関係)つまりはコミュニケーションの果実であり、その夢を追う姿勢である。
お陰様で、目的の“全国アートNPOフォーラム”では、他県の参加者から「青森はアートの未来形だ」という評価を頂き、盛況裡に終えることが出来ました。その他一連の事業もあわせ報告書としてまとめることで、思いだけで席に着いた者の責任を終えさせて頂く訳ですが、ここでは、“まちおこし”の中心事業であった「上を向いて歩こうプロジェクト“怒濤のっ!あおもりアート商店街”」をとおして感じたことを象徴的に記すに止めさせて頂く。
地域社会に変革すべき課題があることは間違いないが、いまや集権的で一律な政策では「地域の再生」はできないほど、複雑に社会システムは入り組んでしまっている。“地方分権”が進行している所以であるが、その為にはまず住民の心が変わるのが先で、わたしたちは、地域社会にコミットし、歴史を意味づける主体的な住民とならなければならない。外から嵌め込まれ地域社会を覆っているさまざまなフレーム(中央視点で一面的な価値基準で為される地域評価など。残念なことに、そのような外部評価でわたしたちは自分自身を卑下してしまいがちだ)を打ち破るのは、内部の人間でなければ自立性と永続性は期待できないからだ。そこで、地域固有の文化的資源に更に新たなるものを加えて、それが社会価値を生む文化資本となることを、自他に“発信”していくことが「地域の再生」のキーになるものと思うが、そこには「この街はわたしたちの街だ!」という強い自負と自覚に裏打ちされた責任感が要求される。しかし、誰しも自ら変るには何かしらの外力が、悲観を希望へと転換させる装置が必要だ。
そこで、今ここに在るモノを自覚し、更に新たな社会構築の資源へと昇華させるために、アートは力を持つ。それは見慣れたモノへの視点をズラし、想像力を喚起して新たな世界構築へ向けて創造力の源泉となる。
そして、悲観に安住するのは容易くまた心地よいものだが、そこからは私的なもの以外生まれ得ない。次代を切り開くために必要なものは、希望を持って夢を追い続ける明るいパワーではないだろうか。今この社会をとりまく失意と虚脱感は、夢と反対項なのだ。その夢の供給装置として、アートの役割は新たなる社会を育むインキュベーターでもある。
過去を検証し、その不足を埋めていくことも重要だが、それだけでは具体的に描けなかったところまで届かない。まだ見ぬ世界の扉を開ける、その一つの鍵をわたしたちは持った。 “アートは時代の半歩先を表現するもの”と言われるように、この先にあるものを求めて、わたしたちはこれからも進んで行かなければならない。
“わたしたちの八甲田丸”は一夏の航海を終え、見た目には何も変わりなく青森港に係留されているが、その胸躍る冒険の記憶はこの航海日誌に留められている。ひとたび開けば目の前に大洋が広がっていたことを思い出し、また共に追体験できるかもしれない。乗船チケットにはこう記されている。
「手荷物は必要ありません 夢をお忘れなく」
・・・
これが次の航海者の手助けとなるならば、それはわたしたちにとって何よりの幸せである。希望と感謝の気持ちを込めてお届けいたします。

2006年 晩秋

 

青函連絡船メモリアルシップ 『八甲田丸』
青函航路の青森発最終便となった青函連絡船八甲田丸をそのまま利用した日本発の鉄道連絡線ミュージアム。数々の人間ドラマを乗せ、80年にわたって津軽海峡を行き交った連絡線の歴史や船の構造などを圧倒的なスケールで展示。ブリッジやエンジンルーム、鉄道車両を運んだ広い車両甲板など本物の迫力は圧巻。大正時代の海峡文化、ファンタジックな3Dシアター、潮風に吹かれながら青森港を一望できる煙突展望台など海のロマンに触れられる。