naca npo法人アートコアあおもり
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That is what I say

佐藤広野

略歴
1982 青森県生まれ
2006 北海道教育大学函館校芸術文化課程美術コース 卒業

2004 第72回独立展初出品・入選
2005 第73回独立展初出品・入選
   同期生である若松綾と函館ぎゃらりー807にて絵と陶器による二人展

アーティストのステートメント

That is what I say
私はこれまで油彩画によって、一つの作品を提示してきました。つまり、作品はあくまで一枚の絵画であった、ということです。
今回試みたのは、その絵画作品の完成に至るまでの過程を一つの作品として空間に表現することでした。
具体的には、普段自分が絵を描く時に「していること」、そして絵を描いている最中になっていく「状態」をありのまま見せることです。例えば、私は絵を描く際に音楽をかけています。音楽をかけていた方が自分の中に時間軸を作って、リズムを保って制作出来るからです。
私は気分が乗らなくなるとギターを弾くことがあります。いい曲が出来たらそれに詞を重ねて歌ったりしています。そうして新たな気持ちで制作に臨んでいます。本を読んだりもしています。とにかく、絵を描く時は、なるべく別なことを平行して行うようにしています。これは、音楽をかけることと同じことで、このように中途でアテンションを挟むことで制作の中にリズムを刻んだり、気分の切り替えを容易にしたりすることが出来るためです。
散らかったゴミや、絵を描くための道具などが散乱している状態はいつものことです。また、飛び散った絵の具もよく見当たるかと思います。これも私の制作には欠かせない要素です。実に粗暴。
最後に。作品によって表現したいことは何か、と問われると、よく「他者との完全なる断絶」と答えます。この世界はある意味で自意識の中の世界と言えます。つまり、他者と心を伝え合うことはあっても、入れ替えることは不可能であるのだから、他者を完全に理解することはあり得ないし、存在を証明することは出来ない、という一種の「孤独」であるとも言えます。
絶望的でありながら、しかし私はいつもその裏側で、「ならばいっそ自分が大切に思える人達のために今より前へ」と、一つの生きる希望や確固たる強さを抱いてやみません。剛健に、そしてロックンロールに生きていこうと思います。

 

佐藤広野 絵画の問題
黒岩恭介

二一世紀はカンヴァスに絵の具を塗っている時代ではない、などという一般的な風潮の中で、佐藤のようにまだまだ絵画に執着するアーティストは数多くいるのだと思う。しかし今回新町商店街を訪れたアーティストは、佐藤を除けば全員画家ではない。今は好むと好まざるとに関わらずそういう時代なのだ。絵画に何か新たな展開を求めることはもはや不可能である、と実際僕も思っている。アーティストが新たな価値の創造に立ち向かう存在であるとすれば、絵画という媒体はそれに応えることはもはやできないほど、年老いているのだろう。実に長い歴史を背後に持つ絵画、人類とともにいつもあった絵画はこれからも人類が生存する限り、存在し続けるであろうけれども、そのあり方はおそらく違ったものになる。新たな価値の創造ではなく、古き価値の追認として、描く喜びに応える形式として、芸術の座から降りて装飾としてあるいはテクニックを見せる媒体として存えるのではないか。絵画を考える時、僕はそんな夢想にとらわれる。それはさておき、佐藤はそのような状況にある絵画を今回、どのように見せたのか、これが問題である。ギャラリーに描き終えた作品を単に並べて展示するというのでは、あまりにも脳天気な、語るに値しない所行というものである。古いビルの二階を佐藤はアトリエとして使用した。いつ描いているのか、行ってみるとたいてい施錠されていて、なかなか制作の現場を目撃することはできなかった。確か最初に眼にしたのは、各会場を巡るツアーの時であった。狭い階段を上がると、畳の部屋と板張りとがあり、畳の方に大きなカンヴァスが立てかけられ、制作途上なのであった。周囲の壁には小品のスケッチ類が無造作に押しピンで貼られていた。この場所はまさに制作の現場であり、画家が画家であるためのトポスであった。そこには画家自身は不在であったが、僕の眼にはそれはかつての画家、画家という存在の肖像を見た気がした。しかしそれは新鮮であった。何故か。そこには複雑な意味のレベルが重層していた。そしてまた絵画が何であったのかを、寡黙に語りかけていた。僕は、佐藤のこのインスタレーションによって、絵画を再考する機会を得たのであった。

(naca理事)