naca npo法人アートコアあおもり
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吉田 榘 子の世界
黒岩恭介

 吉田さんに初めてお会いしたのは、吉田さんがアーティスト・イン・レジデンスの調査に青森にお出でになったときで、2004年の8月のことだ。亡き夫吉田克朗のアトリエをレジデンスとして生かしたいと言うことだったと思う。そのときは確か恩師の斎藤義重の話だとか、吉田克朗の話だとか、滞在して制作を行ったベルギーのレジデンスの話だとかを興味深くお聞きした。その後しばらくしてゼフィルスで吉田 榘 子さんの展覧会の企画が持ち上がった。その時は実現を見ずに終わったのだけれど、今回西衡器製作所の記念事業として実現することになり、発足して間もないnaca(npo法人アートコアあおもり)がお手伝いをすることになったのである。吉田 榘 子さんというアーティストを理解する上で、どうしても彼女と弘前のつながり、そして家族のことを話しておかないと済まない気がする。
 吉田さんの父方の祖父母はご両人とも弘前の人である。祖父武平は日本郵船の外国航路のキャプテンとして世界各国を巡った。40代で船を降りた後は東京に暮らし、インドの哲学者と思想のコレスポンダンスをしながら神智学を研究した。日本人離れした風采の持ち主で、菜食主義を通し胡桃ばかり食べていたという。祖母綾は現在弘前の養生幼稚園を経営している伊東家の出身で、気丈な人だったらしい。彼女のエピソードは文学の上で二つ知られている。ひとつは司馬遼太郎の『北のまほろば』に出てくる。学生時代の身寄りのない孤独な川端康成をわが子のように遇した話。川端はそのことを一生多としていた。もうひとつは保田與重郎の『現代畸人傅』の「狂言綺語の論」に語られる晩年の綾お祖母さんの、これも美しい挿話である。長男の今東光が春聽上人として大阪の天台院に住していたころの話である。綾お祖母さんの物語る幻視体験に基づく「狂言綺語」こそ「真実の極致を語る」ミュトス(神話)として文学の本筋をなすとは、保田與重郎の結論であった。
 吉田さんの父は直木賞作家で初代の文化庁長官を務めた今日出海である。子供のころ鎌倉のお宅には小林秀雄とか永井龍男とかが良く訪ねてきて、遊んでもらったそうである。
 吉田さんの夫は吉田克朗である。モノ派のメンバーとしてユニークな作品を発表していたが、惜しくも1999年に他界した。青森との関係で言えば、三戸にある町立の現代版画研究所の立ち上げに尽力したのはこの人である。
 吉田さんの子息吉田有紀は「日本画」の新たな地平を開く気鋭の画家で、先月まで東京都現代美術館のアニュアル展に出品していた。
 吉田さんご本人は多摩美術大学を卒業したが、最も影響を受けたアーティストは、多摩美術大学で教えていたこれも弘前生まれの斎藤義重である。卒業あたりから略年譜にあるように、さまざまな展覧会に出品している。モノ派の関根伸夫や吉田克朗、菅木志雄、小清水漸たちと一緒の展覧会に出品していた。しかし結婚とともに家庭に入ってしまった。アートと決別する葛藤などはなかったという。そして数十年のブランクを置いてこれもまた自然にアートの制作に戻ってこられた。力むところのひとつもない自然な態度は天性のもので彼女の世界そのものと言える。吉田さんが育った文学や美術の豊かな芸術環境なくしてはこのことは説明しようがない、と私は思っている。
 今回の展覧会の作品はすべて版画である。しかし同一性を保持するエディションを前提にした版画ではない。版画という間接的な技法の可能性を個人的に楽しんでいるような制作態度である。同一の版でも刷りによってかなりの変化が認められ、エディションというよりヴァリエーションと言った方があたっている。また出品作品に見られる表面的な多様性もいろいろ実験する必要から来た結果であろう。吉田さんのリトグラフ作品の最大の特徴は制作にコンピュータを介在させていることかも知れない。自らの手で描いたイメージをスキャナーで一旦パソコンに取り込む。それからフォトショップというソフト上で操作を加えて、吐き出し、ふたたび手の作業を経て刷り上げる。フォトショップを版画制作のツールの一つとして使用するというのは、考えてみれば当たり前の時代に来ていると思う。それがモニター内の映像として作品化するのではなく、手に取ることのできるモノとしての作品を制作しているのがうれしい。中でもGLOSSY(光沢のある、という意)のシリーズは最も手が込んでいると聞いている。制作再開後今回が初めての個展である。そのことからも分かるように、吉田さんの芸術との付き合いはせっぱ詰まったものではなく、どこかゆとりがある。でも彼女の作品のすべてを見ているわけではないが、大学卒業当時やっていたような本格的な作品を今からでも制作して欲しいものだと、私は心の中でつぶやいている。

(naca理事)