naca npo法人アートコアあおもり
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こうのとりたちずさんで

出月秀明

略歴
1975 横浜移住
1996 小平市移住
2000 ゴールウェイ移住
2001 ベルリン移住
2006 ダブリン移住

アーティストのステートメント

こうのとりたちずさんで

プロペラは反時計回りに、1分あたり3回転に回転します。 それは、慎重な動きであり、浮いている印象を持たせます。 中に人形が乗せられるくらいに精巧に出来た模型列車が、時計回りに走ります。プロペラの回転とは逆方向になります。 模型列車の客車と機関車は、1回転あたり1回、切り離されてまた連結します。 その動きは優雅に、また奇妙にも思えます。 この作品は、空間、時間の概念への問いです。また、吊されており浮遊する印象がありますが、浮かぶことも地面に接することもありません。 そして常に回転し続けます。 日本のアイデンティティの探求は、この放浪しているイメージに似ています。 それは私たちの立ち位置です。 この仕事は、おもちゃのような微笑ましい外観の裏に、日本がどのようなものであるかを表しています。

歩き続け、立ち止まり、また歩く:出月秀明
近藤由紀

今回は作品のみの参加であったが、出月がこのプロジェクトで果たした役割は大きい。国際芸術センター青森の2004年秋のアーティスト・イン・レジデンスに参加した出月は、その後も青森と関わった制作を続けており、2006年に参加した越後妻有アートトリエンナーレでは、青森で知り合った人々がその作品制作/設置に関わった。こうした縁で、今回のプロジェクトについて事務局から打診を受けた出月は、自分が参加できない代わりに信頼できるアーティストを紹介し、プログラム期間中もアーティスト、事務局の両方と連絡を取り、事務局にとっては心強い存在であったという。
今回のプロジェクトでは、≪こうのとりたちずさんで≫(2000年)、≪奥山≫(2005年)そして5枚の写真作品が展示された。≪こうのとり〜≫は、白く塗られた木製のリングの下で3機の白いプロペラがゆっくりとした速度で回転している作品である。この中空に浮く(浮いているように見える)木製のリングは、出月作品に頻出するモチーフでもある。木製のプロペラがゆっくりと回る様子は、ハイテクというよりは、昔のあるいは物語の中の飛行機のように、どこかロマンティックな雰囲気を持つ。リングの上には線路が敷かれており、プロペラの回転とは逆方向に、二両編成の模型電車が小さな音を立てながらその上を旋回する。上下の回転のずれは視線を揺さぶり、見るものをその回転に引き込んでいく。じっと眺めていると目の前の光景のリアリティが剥奪され、一種の瞑想状態に陥っていくかのようである。出月は、この回転し続ける電車にさまよえる日本人のアイデンティティの探求を重ねる。放浪し続けるということは出月作品で繰り返される主題ではあるが、旋回し続けるこの作品は、より内向きで、終わりがないことを印象付ける。 一方≪奥山≫は、これとは逆のベクトルを持っているかのようにみえる。引出しのついたテーブルの両脇には白と黒のウサギの毛を巻いた小さな椅子が置かれ、少し開いた引出しの中は蜜蝋で満たされている。引出しの中にはランプが仕込まれており、その熱によって蜜蝋は少しずつ溶け、暖かさと甘い香りを空間一杯に広げていく。テーブルの上には2本の白いミニチュア木が、冬の広野に佇む休み木のように置かれており、このミニチュアの木、テーブル、椅子の尺度の微妙なずれが全体のスケール感を狂わせ、テーブルは広野を囲んだ巨人たちのチェス盤、あるいはラウンドテーブルを夢想させる。
出月の作品に≪アランの毛糸帽子会議≫という、火を囲むという理想的牧歌的情景を脈絡なく日常生活に持ち込むことで、集い・留まるという「体験」を共有する作品がある。ありふれた日常や所作に意味を発見する可能性を追求し続けてきた出月は、それらを旅(=放浪)という非日常の道程やそこでの偶然の出会いに見出そうとする。放浪し、内に向かって回り続ける≪こうのとり〜≫に対し、≪アラン〜≫や≪奥山≫は、その中での「出会い」あるいは「小休止」であり、一方で光と匂いの発散や体験の共有という性格からか、留まっているにも関わらず外向きで開かれた印象を与える。旅の中で旅人は、この外向きの精神の体験と内向きの精神の体験を繰り返しながら先へ進んでいくといえるのではないだろうか。すると無関係に並べられたような5枚の写真は、なんでもない場面が日常の中でフラッシュバックして何故だか時々無性に心を揺さぶる旅の記憶のように思えてくる。

(ACAC学芸員)