naca npo法人アートコアあおもり
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あどふぎフォーラム  〜これからの活動に向けてのヒント〜
高樋忍

 実行委員会は、十月に行われた全国アートNPOフォーラムでは十分掘り下げて議論できなかった「青森という街と アートの関係」と「活動の今後について」、また事業自体の反省などを、実行委員会と商店街・行政という異なる立場では あるが青森に暮らす者たちで、今一度議論の場を設けることとした。
 十二月十三日に行われた議論の場は、「あどふぎフォーラム」と名付けられた(「あどふぎ」津軽弁で、「なおらい」 「反省会」を意味する言葉)。約五十名程度の参加者の半数近くが市職員であったことは、新幹線開業や、改正まちづくり三法 を受けた中心市街地活性化基本計画策定中の青森市にとって、市民の側から湧き上がった本事業のようなムーブメントに対する 期待やヒントとなるものだったからであろうか。
 本フォーラムでは事業そのもの達成の満足、市民などの興味を十分にひきつけることができたという成果に加え、地域商店主の意識の変化や中心市街地の知られざる逸話・トピック・資源の存在など、街の持つストーリーに改めて気付かされることがあったという報告がなされた。また、手探りの状態からプロジェクトを進めるに当たり、周辺を巻き込む体勢をつくれなかった事務局に対して、責任・負担と応分の役割分担の欠落があったのではないかというと苦言。さらには、市の縦割り組織の弊害で、実行委員会が無用の労力を要することになったことに対し、今後はこのような状況に陥らず、よりよりパートナーシップを築き上げるべく、この不足を目に見える形での善処をすべきではないか、という要望などが投げかけられた。
しかしながら、この社会実験が所期の目的を達成したのか・しなかったのか、あるいはこの部分では達成し・どの部分では未達であったのかといった検証・議論までには、残念ながら及び得なかった。ただ、フォーラムの空気としては、単発の社会実験として閉じることなく、継続こそ本望というベクトルを、参加者一同が共有したと推測された。

 さて、今回の「怒濤のっ!〜」へ協力いただき、また「あどふぎフォーラム」へも参加してくださった商店主・アーティスト・市職員の中から、各一名の方に感想や意見、提言を寄せていただいたので、ここに紹介する。

 福原 英樹(古美術「元禄」店主・実行委員)
「まちがアートで、アートがまちで」(映画「転校生」より)
 その昔、商店街で買うことができたものは、「東京の空気」でした。
いつもの生活の中では同じものに囲まれ、同じ人と同じ感情を使い続ける。でも商店街に行けば、いつでも新しい空気と見たことも無い物が手に入りました。コンビニエンスに特別な物を入手できていたと思います。しかし今は、全国どこでもコンビニエンスに入手できるものは、どこかで見たものばかり。商店街も、なかなかお客様をビックリさせることができなくなりました。
私は、今回の企画が始まって、看板屋なかざきさんのお店に入った時、おそらく三十年以上も前の、子供の頃の、あの商店街の中で味わったヒヤッとくるような驚きと、モヤモヤが吹っ飛ぶような、サッパリ感を味わいました。店主中崎さんも、若いのに人生経験豊富で、昔の人のようです。
その後、彼が帰った後、近所に変わった人はいなくなりましたが、商店主としての自分の役割が少し変わったような気がします。
ありがとう、中崎さん。

 橋本尚恣(美術家・実行委員)
 ここに集まる人たちの核には「アート」がある。アートとは「何か」、の問いに正解というものはない。それでも何かを伝えたり、期待と予見を誘うアートに人々は集う。そして作る人も手伝う人も一緒になって街へ出た。街もアートと同じく、その有りように正解はないが、昨日と明日を繋げるヒトとモノのウゴメキが必要となる。街とアートの関係に着地点は見えないし、そんな表面的なものなどどうでもいいと言うべきだろう。成功などという甘い完結もない。それはアートだからだ。アートに結論などない。いつも現在形の闘いがあり、累々とした亡骸だけがある。しかし、意味のない亡骸はひとつもない。自分たちの街にもそこかしこで見えない闘いがある。闘いのあることで知った街の見え方は変るだろう。或は何も変らなくてもいいのか?あなたの街だ。街もまた闘っているのである。展示された作品には、見えないもの隠されたものを露にしたい作家の衝動が刃のように隠されている。単なる賑わいの商品やモニュメントではない。街のこととアートのことは本来は別なことである。しかし街に居住し制作し展示を計画した時から「街」は少なからずそのテーマとなりコンセプトとも絡む。この時に街は作家にとって加味される要素となった。アートで街が大きく変貌するわけでもなく、アートもまた街の雑踏のノイズとして不確かに残響を刻すのみだろう。しかし人と街との共時性を掴み出し、そして繋ぐこともアートの機能であることと、街が人とアートの触媒を内包しているという共存的な関係であることを忘れてはいけない。アートが他者と対話すらできないでどうして街との交歓など出来るだろう。またアートに耳目を傾けることのない街もまた、交流を生産できないに等しい。
 ここはいい街である。

 相馬政人(青森市新幹線開業対策室)
新幹線開業と中心市街地に関して
 新幹線の開業によって、移動時間の短縮と交流人口の飛躍的な増加をもたらすことが期待されている。しかし、これらの交流人口の増加を引き起こす装置・仕掛けが十分に準備できているとは言いがたいこともまた事実である。一方、青森市中心市街地活性化基本計画(十八年二月策定)が国の第一号の認定を受けて、コンパクトシティー構想に基づくまちのにぎわいづくりにおける全国の先例とならんと目論んでいる。
この二つの大きな流れに乗って、ぜひ、港湾物流都市として発展してきたまちのストーリーを組み立てて、耳目引く集客施策に結び付けていきたいと考えている。
まちの魅力づくり
さて、本市は、夏のねぶた祭と秋の八甲田連峰への観光入込み客数が一年の過半を占めている状況にある。
このためというわけではないが、昨年、従来の春祭りに加え、中心市街地において初の春フェスティバルが開催され、約八万人の集客を達成することができた。本事業は、今後も継続して開催される見込みであり、春の大型観光商品化に向けた取組みが期待される。
また、中心市街地活性化基本計画の中で、冬季観光イベント開催事業が位置づけられていることに加え、新幹線開業に向けて関係者が「あおもり冬の暮らし体験(※1青森商工会議所とJR東日本による共同企画で冬季青森の魅力を観光客に提供する商品)」商品化事業を展開しており、一定の手応えを感じつつ、雪国ならではの事業に成長する可能性が高まっている。
残すところは秋。アートな商店街ならではの、港湾都市ならではの素材を生かした何らかの仕掛けをすることで、曲がりなりにも四季折々の青森の魅力づくりと発信に結び付けてはどうであろうか。せっかくまかれたアートの種と息吹を活用して、全国のモデルとなる仕掛け・装置を、アート関係者・中心商店街・行政・企業メセナスポンサー・老若男女のボランティアマインドなどなど、それぞれが獲得したいステージ・成果の折り合いをつける中で、実現可能性と新鮮な話題として、まさにうってつけでなかろうか。
みんなの手でつかむ
さまざまな事情を抱えつつも、それぞれの地域振興を地域力で解決を目指そうとする地方分権の流れの中で、官民産学共同でそれぞれの得意領域を補完し合いながら事案の解決に当たることは、まさしく的を射たやり方であろうし、実社会の中でのさまざまなステークホルダー( 企業に対して利害関係をもつ人。社員や消費者,株主だけでなく、地域社会を含めていう場合が多い)が正当に主張すべきことであろう。そんな関係性の中で、まちの総合力を高めるために、まちの構成者がそれぞれの意見と労を出し合える仕組みをつくるべきだと思案が行きついた。それは取りも直さずみんなが主人公であり、かつ、サポーターであるという自治の原点なのだと思うまでに至った次第である。
終わりに、行政に携わるものとして、また、一人の青森市民として、このようなプロジェクトを成し遂げた関係者の皆様方に対し、最上級の敬意を表する。
 

 「アート」と「街」は別のこと。しかし、それぞれの放つエネルギーは互いを触発し、または影響し合い、共鳴し合うものだと考えたい。そして、それらを繋ぐには、「人」の存在が不可欠である。そして、その「人」は、カリスマといわれるような特別な「人」なのではなく、「街」を愛し、「人」を尊重し、認め合うことのできるという、至極あたりまえの「人」でいいのだと思う。我々実行委員会にはカリスマなど存在しない。ただ「街」の未来を信じ、「アート」の可能性を信ずる者だけ。我々と多くの市民やアーティストの協力で行われた「怒濤のっ!あおもりアート商店街」が唯一できたこと、成果と呼べることは、多くの「人」の心を繋ぐ、ということだったのはないだろうか。せっかく繋がれた「人」の心を、これから大事に紡ぐこと、それが、これからの我々の新しい活動となるのだろう。活動を紡ぐには、これからも多くの「人」と関わり合い、本気で「街」を考え続けていかねばならない。
 「アート」と「街」は別のこと。もう、そんな寂しいことは言いたくない。

(実行委員会事務局)