川柳名句集

・1997年7月18日より、私の独断と勝手な解釈で川柳を取り上げ、感じたことを書いてみようと無謀にも思いました。多分、句の作者は大迷惑だと思いますので、あらかじめお詫び致します。(敬称略)


2000〜2001年掲載分

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■恋愛もダブルクリックして終わり ・荻田飛遊夢

簡潔ではあるが比喩が鋭く、力強さがある。現代社会の一面を切り取っていて、読者に問いかけるものがある。電脳世界も変化が激しく、様々な人と人との係わり合いが見えてくるようで、ネット界の中に居る者にとっては他人事ではないのかもしれない。(2001.7.20)


■まだじゅるい傷だで あんませせくるな ・加藤 鰹

この句を読んだとき、なぜか解説なしでも伝わるものがあった。作者に尋ねると、私が感じた内容と方言が合っていたので嬉しくなったのを覚えている。「じゅるじゅると」まだ乾いていない傷口をいじるな、という意味なのだが、静岡の言葉がとてもやわらかく、あたたかく伝わってきて、微笑ましくさえ思えた。方言の良さが出ている作品である。(2001.7.13)


■不条理を噛めなくなってきた奥歯 ・内山 弧遊

若い時なら少しくらいの不条理なら噛み砕くが、年齢と共に不条理に対する抵抗力が低下してきたという心理的な比喩を感じる。奥歯という肉体的な面と心理面とは関連していて、比例しているのかも知れない。噛めなくなってきたという自己分析にペーソスを感じるが、誰にでもやってくる老いをも指摘していて、それがこの句の奥深さでもあると思う。不条理があふれている現代、奥歯(精神面も)を鍛えなければ‥‥!(2001.7.6)


■これほどの努力を他人(ひと)は運と言う ・石沢 三善

その人の努力は、その人自身しか知らない。その人が何かで認められた時、他人は「あいつは運が良いからな……」というかも知れない。殆どの場合、そうかも知れない。この作品は人間の心理を突いた、とても鋭い句である。また、自分の中の信念を自分自身に問うているようにも感じられる。本当に努力した人間でなければ出てこない一句だと思う。(2001.6.29)


■タイタニックと知って私と乗れますか ・西 恵美子

男性が読むとドキッとするのではないでしょうか。ある種の踏み絵にも思えなくもないが、「冗談だよ〜」と言って、ペロッと舌を出しそうな遊び心が見えてくる。なかなか面白く、心理戦とも言える鋭い句である。さて、男性のあなたは何と答えるのだろうか。笑って誤魔化すか、真剣に答えるか‥‥ そして、女性なら一度は質問してみたいことなのかもしれない。(2001.6.22)


■病むことに慣れて苺の匙静か ・宮崎 慶子

病むことに慣れた「静かさ」とは一体なんだろうか‥‥。病と闘い続け、それを乗り越え、そして自分なりの静寂を見つけ出したのかもしれない。それは心の強さでもあり、安らかな気持ちでもあると思う。その「静か」の中には、他人には計り知れない心の痛みなど、様々な要素が含まれていると思う。だからこそ今、「静か」と言えるのだろう。一度でも病気や怪我をした人間であれば、勇気付けられるに違いない。苺を運ぶ匙が、とても穏やかに感じられる。(2001.6.15)


■春の雪誤解はされたままである ・ふじむらみどり

誤解されたままであることと春の雪が妙にマッチしているように感じる。ある種の軽い悲惨さがあり、それでいてあっけらかんともしている。春の雪は湿気を含んでいて重い。その「重さ」と誤解されている心の「重さ」との重なりが、この句の味なのかもしれない。しかし、すぐ先には雪解けがあり、本当の春の訪れがあると思う。(2001.6.8)


■太陽がまぶしい生きて行けそうだ ・福井 陽雪

太陽のまぶしさとは何だろう。ある意味では当然なのだが、生きている実感として、太陽をまぶしく感じることは、日常的にどれほどあるのだろう。忙しい日々に流され続け、天気にまでは気が回らない日もあるのではないだろうか‥‥。そんなことを気づかせてくれる一句であるが、この句にはまた、それ以上の意味もある。作者は若くして目の病に罹ってしまい、視力を失くしてしまった。そして、この句は、退院する時の心境を詠んだものであるという。作者がその時、体全体で感じた太陽のまぶしさだと思う。そして、心から「生きて行けそうだ」と感じた一瞬だと思う。(2001.6.1)


■葡萄一粒が転がっている僕の夕暮れ ・千島 鉄男

一粒の葡萄に言いしれぬ孤独感を感じてしまう。夕暮れであれば尚更その思いが募ってくる。人間誰もが一度はそんな思いの中に浸ってしまうことがあると思う。逆に、それ故に一房の中の一粒である社会の中の、家族の中の自分の存在に気づくのかも知れない。自分を見つめる時間は決して無駄ではない筈である。(2001.5.25)


■麦を踏むこの子もやがて麦ならむ ・工藤 寿久

麦は踏まれるほど良いというが、それを子供への思いと重ね合わせているところに、寿久さんの子供に対する厳しい姿勢と、それ以上の愛情を感じさせる。この句から人間としての姿勢を教えられた気がする。2001年3月13日、その寿久さんが逝ってしまった。残念でならない。凛としていて、それでいてとても優しい方であった。心よりご冥福を祈ります。(2001.5.18)


■父の掌のさくら匂うと そうであろう ・酒谷 愛郷

父が咲かせた桜はどんな桜だろう。生き下手で不器用で頑固一徹な桜だろうか……。 たとえどんな桜であっても父は必死で桜を咲かせた。そして、その桜を見た時、匂いをかいだ時、 子として父の気持ちに気づかされるものなのかも知れない。父の存在が心の底に、いつまでも残る、 そんな気がします。 (2001.5.11)


■目を覚ますそこにいつもの妻が居る ・西谷みさを

何気ない平凡な日々こそが、実はとても難しく大切な日々でもあると改めて実感している。そのある種の安心感、幸福感は、ともすれば麻痺しやすく、簡単に失ってしまうことがあるからである。例えそのことに気づいていても失うことさえある。(2001.5.4)


■児と生きる伊達には揺れぬイヤリング ・安田 豊子

「伊達には揺れぬ」に母としての活き活きとした逞しさを感じます。私の余計な鑑賞がない方が、読者に伝わりやすいと思います。句全体に悲愴感はなく、「イヤリング」で華やかさを出していると思います。(2001.4.27)


■たったいままでの命の有難味 ・松尾 馬奮

「たったいままでの命」とは不思議な表現である。誰かが亡くなったことを詠んだのであれば、そうでもないが、たぶん、この句は自分自身を詠んだものではないのだろうか……。もちろん自分自身はまだ生きているのだが、そんな気がしてならない。それだけ、命という掛け替えのないものの大切さを本当に知っているからなのだと思う。(2001.4.20)


■さみしさを洗う水音高くして ・佐藤とも子

台所での光景なのでしょう。お皿などを洗っている時、ふと感じた、あるいは、ずっと胸の中にあった孤独感を消し去ろうと、水道の水を更に強くして「さみしさ」を洗う。その場面が妙に鮮明に脳裏に浮かんでくるのは何故だろうか……。(2001.4.13)


■春がまだ止まったままの指の先 ・木村 花江

川柳を始めて数年の作者ですが、それ故に作品に込められた純粋性を感じます。こういう作品に触れると幸福感とともに心が洗われるような気がします。春を感知する指先が新鮮です。こんな気持ちを持ち続けたいとしみじみ感じます。(2001.4.6)


■借金苦しゃがめば蟻の列がある ・古谷 恭一

重いテーマでありながら、「蟻の列」が妙に感慨深く、ユーモアを感じる作品である。蟻の列をしゃがんで見れば、そこには違った世界があり、しかし、それほど人間社会と遠くはない蟻の社会がある。ふと、蟻の世界にも「借金苦」はあるのだろうか、とバカなことを想像してしまう。あるいは、人間と蟻の共通性を問いかけて、生きることの意味をも訴えているのかも知れない。大袈裟ではあるが、そう思えてならない。(2001.3.30)


■生きるとは四十五度に散る桜 ・北野 岸柳

敢えて西行は引用しないが、散る桜とはこれほどまでに死生観に影響を与えるのでしょう。そして「四十五度に散る」と言い切ったところに、この句の醍醐味があると思います。「四十五度」とは、読者それぞれの主観によって解釈してよいと思います。生きるとは、と断言する事によって逆に自分自身(読者)に問いかけてくるような気がします。(2001.3.23)


■ひとりでは抱え切れない青い空 ・佐藤とも子

空は一人では抱え切れないのは当然である。しかし、この一句では、人は誰しも一人では生きられない、いろいろな人に支えられて生きている、「青い空」であればあるほど、みんなが分かち合っている、と言っているように感じられてならない。(2001.3.16)


■古い詩集にひっかかってる白い雲 ・板東 弘子

「古い詩集」とは実物の詩集というより、昔、影響を受けた内面的なものだと思う。「白い雲」という自由さが、とても心地よく感じられる。多感な時期の詩集は終生、心のどこかにひっかかっているものなのかも知れない。それぞれがそれぞれの古い詩集を持っていることでしょう、みなさんも古い詩集を開いて見てはいかがですか。(2001.3.9)


■身の内の褪せゆくものと真っ直ぐに ・狩野 満子

「身の内の褪せてゆくもの」とは何だろう……。幼い頃から持っている夢、エネルギー……か、あるいは魂……肉体。その中には「老い」という誰しもが避けられぬ現実がある。若い頃には気づかないことがいっぱいある。しかし、年を重ねることで気づいたり、現実に突きつけられることが沢山出てくる。この作品はそれらのことと対峙し、「真っ直ぐに」進むという前向きな力強さがあり、読者も力が湧いてくるのではないだろうか。読者にパワーを与える一句だと思う。 (2001.3.2)


■シアワセって退屈ですねお月さま ・多田 幹江

退屈であることが大切なこともある。それは大抵、失ってから気づくことが多くて、「シアワセ」の渦中にいると、それには気づかない。皮肉と言えば皮肉だが、お月さまに語りかけるところにユーモアがあってこの句は活きてくる。退屈な方はいらっしゃいませんか?(2001.2.23)


■組み立てが終わり余ったねじ一つ ・佐田 好凡

自動車の専門学校に行っていた頃、クラスメートとエンジンの分解と組み立てをしたことがあって、最後にネジが一つ余り苦笑いをしたことがあった。佐田さんの句は人生に通じるものがあって、必ずしもつじつまの合った人生でなくても良いと思う。ねじが一つくらい余った方が楽しい生き方のような気がする。(2001.2.16)


■誕生日何にも掴んでない両手 ・内山 孤遊

誕生日を迎える度に自分は何をしてきたのだろう、何をしているのだろうと、今までの人生を振り返ることもあると思う。そう言えば、自分は自分の人生の中で何も掴んでいないことに気づく。ただ、この作品は何も掴んでいないことを、それほど嘆いていないような気がする。何も掴んでいなくても、自分の信じる道を進めば、それで良い、と言っているような気がするのである。(2001.2.9)


■かたつむり生年月日だけはある ・新岡二三夫

ひたすら前へ進む。取り立てて人へ誇れるものはないが、地道な努力ならある。人は笑うかも知れないが、一歩ずつ歩む生き方を選ぶ……そんな姿が見えてくるようです。しかし、その生き方は思ったほど簡単ではないと思う。「生年月日」という生まれた証だけを背負い、ひたすら進み続ける。尊敬せずにはいられない。在りし日の二三夫さんの笑顔が浮かんでくる。(2001.2.2)


■横向かぬ木馬の群が来る純夜 ・清水かおり

「横向かぬ木馬」という言葉に一途な思いを感じました。そして、この強烈な印象が作者の純粋性を見事に表白していると思います。これほどの表現のできる川柳作家は数少ないと思います。その純粋性故に様々な葛藤や思いも生まれてくるのでしょう。また、この作品の持っている静なるエネルギーの大きさも感じずにはいられません。(2001.1.26)


■軍艦が来るかもしれぬ水たまり ・西秋忠兵衛

忠兵衛さんの想像力の世界に、いつも引き込まれてしまいます。「水たまり」から来るかも知れない軍艦。現代では、それに匹敵するほどの驚かされるできごとが起こっている。この「水たまり」は、ある意味では何が起こるか分からないという恐怖心や好奇心の表れではないかと勝手に想像してしまう。軍艦という新たな戦争の時代、あるいは少年時代の追憶……。戦争が絡むと恐ろしくもあり、別な楽しい展開を想像するとワクワクもする一句である。(2001.1.19)


■鍵穴を覗いてあまりにも眩し ・古谷 恭一

鍵穴とは未来だろうか、それとも覗きの範疇だろうか、あるいは自分の中の理想の世界だろうか。いずれにしても「鍵穴」という響きは人間の心の底をくすぐる言葉である。作者の人間の根本にあるものを見抜く眼差しの鋭さを感じずにはいられない。鍵穴の向こう側の「眩しさ」に「覗いて」しまう人間の弱さも見え隠れする。そう言う意味でも辛辣な一句であると思います。(2001.1.12)


■人間をつづけているとお正月 ・白藤 海

何ともあっけらかんとしていて小気味良い作品である。しかし、「お正月」が人生の終焉でもあるような気がして一瞬どきりとする。何気ない一句であるが、その中に凝縮されたものを感じてしまう。それにしても「人間をつづけていると」とは何ともユーモラスである。(2001.1.5)


■遠ざかる 父のでこぼこははのでこぼこ ・峯 裕見子

父や母のでこぼことは、父母の生きてきた証や想い出なのでしょう。20世紀に起きた様々な出来事の中を歩んだ父と母……遠ざかることのもの悲しさが胸に迫ります。また、作者の優しさも伺われます。「でこぼこ」という表現も温もりを感じさせ、きっと、子供思いのお父さんお母さんだったのでしょうね。(2000.10.6)


■にんげんはきょうもにほんのはしでくう ・高田寄生木

二本の箸は食べることの象徴でもある。それが当たり前であることの「にんげん」。それが現代では、そうとは限らなくなっている。フォークやスプーン、箸の代用品はいくらでもある(昔からあるのですが)。ただ、現在も尚、象徴的な意味での日本的な心を持ちつづけているように感じてならない。(2000.9.29)


■限界の独楽はしきりに首を振る ・上野しん一

必死に生きている人間像が見えてきます。ただ精一杯生きている、それが誠実にも思えて感動しました。川柳の大先輩である作者ならではの迫力を感じます。もう7、8年前の作品だと思いますが、はじめて出会った時から私の頭から離れませんでした。名句とは、そんな句のことをいうのかも知れません。(2000.9.22)


■流されて石は仏の顔になる ・西谷 大吾

斬新ではないが、殺伐とした現代を思うと心がホッとする一句である。流されて所構わずぶつかり、角が取れて表情が丸くなる。齢を重ねるほど、人に優しくなれるような、そんな印象を受けます。また、こうでありたいという願望も。(2000.9.15)


■人生はよいしょこらしょにどっこいしょ ・工藤 甲吉

微笑ましい人物像が見えてくるようです。かけ声とともに前向きに生きている、それだったら、少しくらいの苦労も吹っ飛ばせそうな気になります。元気の出る川柳も良いですね。(2000.9.8)


■ぬぎすててうちが一番よいという ・岸本 水府

あまりにも有名な一句なので、今更私が取り上げるまでもないが、やはり名句中の名句。日本の良き時代の雰囲気が伝わってきます。しかし、最近は「うちが一番よい」と言える家庭がどれほどあるかは分かりませんが(苦笑)。ただ、この句の優しさ、心地よさ、あたたかさは未来へと伝えたいものである。何度味わっても名句は色褪せないものである。(2000.9.1)


■当分は生きるつもりの短打主義 ・岡本かくら

いわゆる、細く長くというマイペース型だろうか。しかし、これがなかなか難しいもので、ついつい心身に無理をさせていることが多い。そして、作品として表現されると、なんともユーモラスに感じられるから面白い。特に「当分は」に、好々爺、あるいは一徹さが含まれている気がして好感を持ちました。(2000.8.25)


■とても暗いと腕を伸ばしてから思う ・海地 大破

腕を伸ばしてから闇に気づくとは、どれほどに心細く、戸惑うだろう……。腕を伸ばすまでは確かに明るかったのに、突然に襲ってくる暗さ……、何故か私自身の記憶と重なって胸に込み上げてくるものがあります。しかし、たとえ暗くとも、これからも歩き続けなければならないのである……。とても繊細でありながら、ある種の力強さも含まれている作品だと思う。(2000.8.18)


■象の眼にたった一日桜咲く ・大島 洋

この句からは、なぜか孤独な象のイメージが湧いてきます。たった独りで歩み続けている象の姿……。やはりこれも一人の人間の姿に重なってしまいます。その眼に一日だけ咲く桜は、一日だけ故に潔く、そして壮絶な桜を想像してしまう。あるいは、それは誰もが心の中に持っている孤独感なのかも知れない。そして象という大きな対象でありながら、どこまでも弱く儚いものを感じる作品だと思う。(2000.8.11)


■とんぼ死す目玉に百の空残し ・野沢 省悟

もし自分が今わの際に、脳裏に思い浮かべるとすれば一体何だろう……。それほど強烈な想い出があるだろうか……。もしかすると、「そう言えば中学生の時に兄貴とケンカしたっけ……」というような他愛もないことかも知れない。こういうことはその時になってみないと分からない。 それにしても、この句の「目玉に百の空を残す」が与えるインパクトはスゴイ。複眼であるとんぼの眼に映された空(思い)を思うと胸にジンとくるものがあります。これはとんぼの死であり、人間の死であると思う。(2000.8.4)


■おぼろ月呼ばれたようで返事する ・真田 義子

私もそんな経験をしたことがあります。誰かに呼ばれたようで反射的に返事をしてみたが、周囲には誰も居ない……。ぼんやりとした月があるだけだ。気のせいと思い直して再び歩き出す。作者を呼んだのは誰だったのだろうか……ぼんやりとした月だったのかも知れない。あるいは異界につながる空間が……などなど。私はこの句を読んでみて、とても大らかなものを感じて気持ちが落ち着く思いがします。きっと、大切な人が話しかけてくれたのかも知れないですね。みなさんも夜空を見上げて歩いてみては如何でしょうか。(2000.7.28)


■父のいろいろ母のいろいろ花のいろ ・石川 重尾

まず、この「いろいろ」のリズムの良さが心地良く感じる。そして「父のいろいろ」、「母のいろいろ」を考えると何か切ないものを覚える。これは読者それぞれの父や母に対する思いによっても違うと思うが、私の場合は何故かそんな印象を受けました。大袈裟に言えば、父や母のこれまでの一生を考えたり、苦労をかけたりの苦い想い出が蘇ってくる。それでも父母の青春時代や楽しい想い出も考えたりと、イメージがどんどん広がってゆくので、この句が活き活きとしてくる。下五の「花のいろ」も効いていて、父や母にも花のようにそれぞれの色があるのだろうと思いを巡らしてしまった。あなたの色はどんな色でしょうか?(2000.7.21)


■僕にしか見えない花火打ち上げる ・高瀬 霜石

自分にしか見えない花火を打ち上げるという……。他人には見えない、しかし、それで良いのだろう。自分が納得して生きてきた道なのだから不満はない。たぶん、これからも、そんな生き方しかできないかも知れない。でも、それで良いのだ。という、そんな潔い印象を受けました。自分の内面へと、どんどん花火を打ち上げてがんばって欲しいです。読者の側も、励まされる内容ではないでしょうか。(2000.7.14)


■ママが好きパパもおまけのように好き ・松尾 馬奮

受け売りではありますが、「陸奥の快翁」と全国的に慕われた川柳の大先輩で、没後三十余年が過ぎる。現在でさえ沢山の大ファンがいるほどで、ぬくもりのある作品を創作した先達者です。上記の作品もユーモアがあって、あたたかい家族像をイメージさせます。全然古さを感じさせない内容が、作者の懐の深さを如実に語っていると思います。ニッコリしたママと、ちょっとむくれたパパの顔が浮かびます。(2000.7.7)


■ご一緒に泣きましょうかと水たまり ・中野 京子

水たまりにはもう一人の自分が映っていて、自分に語りかけているのかも知れない。あるいは雨上がりの青空が映っていて作者を励ましているのかも知れない。「ご一緒に泣きましょうか」という言葉に作者のお人柄を見る気がする。「泣いている」作品なのだが、何故か読後感が爽やかである。(2000.6.30)


■人波に押されて墓地へ出てしまう ・工藤 寿久

人間社会の中で生きて行くには、仕事のことや人間関係など時には疲れることも多い。「人波に押されて」という表現は絶妙だと思う。「墓地」は、亡くなった身近な肉親、あるいは亡くなってなお作者の心を支えている存在ではないだろうか‥‥。人間には自分の弱さを晒せる場所が必要だと思う。(2000.6.23)


■泣いていい銭湯の湯は出放題  ・夕 凪子

やさしさが溢れる作品である。全体を包み込んでくれる。銭湯の特徴を上手く捉えていて完成度も高いと思います。泣けるだけ泣いて良いよ、と言っているようで、泣きたくなったら何度でも繰り返し読んでも良いかな‥‥励ましてくれるような気がする。(2000.6.16)


■説得力あるキューピーの脱ぎっぷり ・上藤 多織

この絶妙なユーモアには脱帽である。作者が女性であることでまさに説得力がある。「脱ぎっぷり」は精神的な豪快さでもあり、さばさばとした性格のあらわれでもあると思う。意外と男性よりも女性の方がさっぱりした性格の人が多い(私の周りでは)。この句はキューピーを持ってきたことで成功している。愛らしいキューピーの脱ぎっぷりの良さに意外性があり、活き活きとしてくる。(2000.6.9)


■国宝の磁器にうつったオレの顔 ・村上 宏

国宝の磁器に映った自分の顔はどんな風に見えたのだろう‥‥、一体何を語りかけてきたのだろう‥‥。何千万円、あるいは億単位の値がつく国宝の磁器‥‥その価値観への風刺性と、「オレの顔」というペーソスが絡み合い独特の作品世界を作っています。一つの物と一人の人間との対峙が、作者がこれまで生きてきた人生の奥深さを感じさせます。もし自分の顔だったら‥‥と読者の皆さんも想像してみてください。(2000.6.2)


■人を斬る舌がこんなにやわらかい ・新岡二三夫

舌が人を斬るという‥‥刃物よりも言葉の白刃がより一層心の奥底までダメージを与えることもあります。そんな舌がこんなにやわらかいと言う作者の発想には脱帽である。そのギャップの強烈さが、この作品の醍醐味でり、川柳の持つ凄さだと思う。作者の二三夫さんととても柔和で優しい方でした。二三夫さんが亡くなってもう一年が過ぎました。この名句はこれからも語り継がれてゆくと思います。(2000.5.26)


■ほんとうに別れたい日も碗洗う ・高田和子

長い間、夫婦をやっていると必ず一度は本気で別れたいと思うことがあると聞きます。そして女性はそう思ったとしてもなかなか口には出さず、内に秘めているというイメージを持ってしまう。実際はどうかは分からないですが‥‥。そんな時でも女性は家事をしなければならないのだろう。いつもと変わらない日常を過ごす‥‥。それを思うと女性の精神的な強さを感じてしまいます(違っていたらゴメンナサイm(_ _)m)。(2000.5.19)


■もう一度コートを脱いで側にゆく ・田村千可子

一度帰ることを、あるいは別れることを決めてコートを着たのだが、その決意が一瞬にして崩れ、再び彼の側にゆく、という‥‥。「もう一度」というところに心の機微を感じる。頭では分かっているのに、そうしてしまう気持ちが上手く表現されています。ドラマの始まりを思わせる作品だと思います。(2000.5.12)


■忘れることは生きてゆくこと椿落つ ・野沢省悟

生きてゆくには、沢山の辛いことや嫌なことを忘れなければならない。忘れることが生きてゆくことだという‥‥。椿の花が落ちるようにぽとりと忘れることができたらどんなにか良いだろう‥‥。歳月が忘れさせてくれることもありますが、どうしても忘れることができないこともあります。それでも生きてゆかなければならない‥‥。それが分かっているだけに、この作品の深さが増してくると思います。(2000.5.5)


■謎ひとつ解けて一目散に 春 ・加藤鰹

雪ではなく「謎」が解けて春になるという発想がユニークですね。「一目散に」というところがまたまた面白い。いろいろな謎、あるいは悩み、疑問が解けた時のすっきりとした気持ちは良いものですね。こういう勢いの良い作品に出会うと読んでいる方も元気が出てきて励まされます。作者の気持ちの広さを感じます。(2000.4.28)


■あっち向いてホイおちおち寝てもいられない ・福井文明

一時期「あっち向いてホイ」という遊びが流行りましたが、なかなか思った通りには行かず、相手の指の向きの方を向いてしまう。それで悔しさも倍増し深みにハマってしまう‥‥。この遊びはムキになればなるほど相手の指の方を見てしまうという厄介な遊びである。 その遊びを上手く作品に取り入れていて、なかなかに面白いと思います。そして人間が生きてゆく上でのペーソスを感じる句でもあります。(2000.4.21)


■一生青春冬の戸口に佇んで ・成田順子

冬の戸口という北に住む厳しさを象徴する表現を使って、「一生青春」と言い切るパワーがとても頼もしく感じられました。今までも、そしてこれからも一生青春は続くのでしょうね。同じ北国に住む者として嬉しく思いました。読後感がすっきりする作品です。(2000.4.14)


■くちびるに ゆきのあたたかさをのせる ・高田寄生木

雪は冷たいものだという先入観がありますが、もちろん科学的には雪は冷たいのですが、あたたかさを感じる場合もあります。簡単に言葉では説明できませんが、作者の置かれた立場や心理的状況、それは苛酷な自然環境であるのかも知れません。くちびるに「あたたかい」雪をのせることによって感じた心理的な安らぎ‥‥ホッとした気持ちを、この句から感じて頂ければ幸いです。あるいは幸福感そのものかも知れません。 そして、私の解釈にとらわれずに、読者それぞれがいろいろな思いを感じて頂ければ嬉しいです。(私の鑑賞で、かえって混乱しましたらあしからずm(_ _)m)(2000.4.7)


■仕事仕事なんだこの汽車窓がない ・平山虎竹堂

「汽車に窓がない」のである。しかし、この汽車は実際の汽車ではなく、作者の仕事に対する内面的な感情だと思います。仕事仕事の毎日の閉塞感であるのでしょう。がんじがらめの気持ちを表白したこの句の問いかけが他人事ではない読者も多いのではないでしょうか‥‥。「なんだこの汽車」の「なんだ」に、知らず知らずにここまで来たという苦笑いも見えてきそうです。(2000.3.31)


■少し背をのばして今日は父である ・新岡二三夫

威厳を失ってしまっている現代の父は大変なのかも知れない。「少し背をのばす」という意味を考えると切なさがあり、涙ぐましい?努力を感じてしまう。また「今日は」という言葉には、明日はいつもの父に戻る、日常に戻るんだなあと思いました。「今日だけは」の思いは父親としての優しさなのかも知れません。今は故人となられた作者の優しい笑顔が脳裏に浮かんできます。(2000.3.24)


■今日はきょうの思いで返すフライパン ・宮本めぐみ

機嫌の良い日、悪い日、楽しい日、そうでない日‥‥などなど毎日違った心理状態になることは珍しくありません。そんな日はフライパンの返し方も違うと言う。きっとリズムに乗って、弾むようにフライパンを返しながら鼻歌もまじえるのでしょうね。明日は明日の風が吹く、ではないけれど今日はきょうのフライパン!!なのでしょうね。(^^)(2000.3.17)


■月曜の象もわたしもややうごく ・西秋忠兵衛

勤めている方にとっての月曜は辛い一日なのでしょう。休みあけの気怠さを引きずって仕事場へ向かう‥‥。自然と足の動きも鈍くなる。実感している読者も多いのではないでしょうか‥‥?ゆっくりと動く象と対比させた作者の表現に敬服します。

■交番のお巡りさんの丸い顔 ・西秋忠兵衛

警察の信用ががた落ちの昨今、この句の丸い顔のお巡りさんも疑わしくなってくる。作者の意図とは違ってくるかも知れないが、作者独特のユーモアを感じます。がんばれお巡りさんと言いたい。(2000.3.10)


■置き忘れた帽子はぼくを探さない ・工藤寿久

何度か読んでいるうちに心に淋しいものが込み上げて来ます。「ぼく」は帽子を探すのに「帽子」はぼくを探さない。当たり前と言えば当たり前なのですが、取り残された切なさを感じます。モノの「存在」と生きている自分の「存在」との対比が心に響いて来ます。川柳で、このような内面の表現ができることにも感動を覚えます。(2000.3.3)


■誰かがきっと悲しい夕日つくってる ・武井 武

作者は私の中学時代の同級生で、彼が川柳を始めて間もない頃に作った句です。ロマンティックで少し切ないところが好きです。夕日は自分の心理状態によって様々な表情を見せますが、「誰かがつくってる」という発想が夢があって感慨深いものがあります。いくつになってもこんな気持ちを持っていたいと感じています。(2000.2.25)


■帽子屋に私の首が置いてある ・角田古錐

作者の創作意図とは異なると思いますが、帽子屋とは実際の帽子屋ではなく、ある象徴だと思います。例えば現代の情報化時代に、自分の知らないうちに自分自身や家族のプライベートな情報が売られ、商品化されて、街に出回っている。子供の教育に関するダイレクトメールなどなど、普通では知り得ない情報が流され続けている。帽子屋に自分の首が置かれていても驚かない時代が来るのかも知れないですね。(2000.2.18)


■堕天使のままで屋根から降りれない ・北野岸柳

堕天使という悪役なのだが、「降りれない」という不器用さがユニークである。ある種の照れ隠しの表れでもあると思う。作者のお人柄が伺えます。私の憧れでもある永遠の少年性であると感じました。(2000.2.11)


■あおあおとわたくしごとを髪の丈 ・桑野晶子

「髪の丈」とは、たぶん人生的な、あるいは日常の中の生活だと思います。「あおあお」という言葉に込められた勢いというか、充実感を感じます。また「わたくしごと」の中に作者の謙虚な気づかい、お人柄が見えてきます。大きな作品だと思いました。見習いた一作です。(2000.2.4)


■月あかり静かに昔 振り返り ・望月満月

想い出の中にある月あかりとは何だろう‥‥。お父さんやお母さんと一緒に歩いた子供の頃のことだろうか、それとも好きな人と月明かりの下を歩いた若い頃のときめく時間だろうか‥‥。「静かに振り返る」のだから、きっと素敵な想い出なのでしょうね。読者のそれぞれの想い出と重ね合わせても良いと思います。月あかり、ってとてもロマンティックですよね。(2000.1.28)


■百人の母が生まれる蕎麦畑 ・工藤寿久

やはり蕎麦畑や蕎麦の花は母のイメージなのでしょうね。現代のヤンママや上品な奥様だとまた違った華やかな花をイメージするのでしょうが、私にとっても蕎麦畑や花は、この句のように母のイメージがあります。百人の母とは、母のいろいろな表情を百という一つの表現として設定したのだと思います。しっかりして働き者の母、お化粧をして出かける綺麗な母、怒った時の鬼のような母‥‥と、いろいろな母がいますね。作者は痩せた土地でも実をつける蕎麦に、苦労をした母のイメージを重ね合わせたのかも知れません。(2000.1.21)


■春は遠し貨車の連なる喉仏 ・大沼清慎

東北に住んだ清慎さんにとっても春は遠く感じられたのかも知れない。また、仙台駅長さんを勤めた清慎さんにとって貨車は身近なもので、この句の中では何かを伝える役目をしているのでしょう。貨車の連なる喉仏は、仕事へ向かう男たちの列なのかも知れない。遠い春のために仕事を求めて東北から大都会へと向かう、それぞれの胸にそれぞれの思い(家族への)を閉じこめた男たちの列‥‥。(2000.1.14)


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