川柳名句集

・1997年7月18日より、私の独断と勝手な解釈で川柳を取り上げ、感じたことを書いてみようと無謀にも思いました。多分、句の作者は大迷惑だと思いますので、あらかじめお詫び致します。(敬称略)


1999年掲載分

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■誰も見てくれない足の裏である ・熊谷岳朗

誰も見てくれなくても、しっかりと自分の納得が行く生き方で大地に踏ん張って立っている、それで良いという岳朗さんらしい前向きさを感じる句でした。(1999.12.31)


■かけおちのようで眠れぬ明日の旅 ・柳沼秋子

子供の頃から遠足や行事がある前日は、なかなか眠れないものですね。「かけおちのようで」が、ドキドキワクワク感を一層増幅させますね。そんな新鮮な気持ちをいつまでも持っていたいです。(1999.12.24)


■半生は予報はずれの道ばかり ・しろ章子

人生の道はなかなか思い通りには行きませんね。気象庁とどっちが当たる確率が高いのだろうか‥‥。

■バラ一輪愛しい方に向いて咲き ・高橋 道

「バラと愛しい」が少しつき過ぎかなと思いますが、人間もバラもみんな同じなのですね。好きな人の方を向いていたいのですね。なぜか普段は恥ずかしくて言えないことも川柳では言えてしまう。(1999.12.17)


■酔いどれて顔を忘れてきた男 ・斎藤茂生

酔った時くらい普段の顔を忘れたいものですね。酔いが醒めれば、また元の顔をつけなければならないことの哀しさを感じます。

■石投げて水面はいつか雨になる ・真田義子

誰かの心の水面でしょうか‥‥。石を投げてみたくなることってありますよね。あるいは自分自身の心の水面かも‥‥雨模様は悲しさの涙‥‥。(1999.12.10)


■またお会いする約束でさようなら ・松橋義彦

表現としては平凡そうではあるが、何回か読んでいるうちに人と人との出会いと別れの切なさをひしひしと感じてくる。川柳界でも突然の別れが多すぎる‥‥。

■桃も僕も腐りはじめてから速い  ・加藤 鰹

とてもデリケートな作品で、鰹さんの心の奥を覗いたような気がします。男って腐りはじめると速いんだろうな‥‥。(1999.12.3)


■この痛みガンかも戒名考える ・川久保睦子

この句には二通りの捉え方があると思います。一つは深刻な状況。もう一つは、早とちりの状況。私は後者の方として鑑賞しました。身体の痛み→ガン→戒名という連想が早とちりでユーモラスですね。でも、あくまでも本当にガンではないということが前提でのことです。(1999.11.26)


■風笑うはは笑ってる蕎麦の花 ・野口一滴

風も笑い、母も笑っているという素朴さが蕎麦の花と重なって微笑ましく感じました。

■シャボン玉のような指切り忘れたか ・遠藤正静

しゃぼん玉のように光を受けると七色に輝く美しさと、すぐに壊れてしまう脆さを含んだ指切り。純粋性を秘めていた頃の約束なのでしょうね。(1999.11.19)


■よく出来た仮面で現世まっしぐら ・菅原道雄

仮面を表現した句は今までにも数えきれないほど沢山作られて来ましたが、下五の「まっしぐら」の語で、この句は活き活きとしているのだと思います。暗さや邪心がなく、あっけらかんとした雰囲気があって小気味良いです。(1999.11.12)


■一本の杖あればまた西行忌 ・古谷恭一

内容の大きな句だと思いました。旅人だった西行への思いがひしひしと伝わって来ます。一本の杖は体力や気力、時間であり、旅への憧れではないかと思います。「また」の言葉はかつての人生的な漂泊への賛美でもあるのかも知れない。人々の心の中では、いつまでも漂泊への思いは尽きないことでしょう。(1999.11.5)


■芒野で影の濃淡まといけり ・河瀬芳子

芒野ではたった一人の自分の姿に気づくのかも知れない。そして芒野は内面的な場所であるのかも知れない。影はもう一人の自分であり、客観的に見た自分だと思う。強い孤独感を感じます。影の濃淡で不安定な自分、迷いや葛藤、孤独な中での自分を見つめ続け、「まとう」ことによって自分を労っているのかも知れない。様々な解釈があると思いますが、そう思えてなりません。そんな影をまとうことが、人間故の試練であり、人間らしさなのか‥‥。(1999.10.22)


■生家もう吾かくまえず彼岸花 ・酒谷愛郷

父や母、祖父母、兄弟が居た家。やがては祖父母が他界し、父が老い、母が老い、黄泉の世界へと旅立ってゆくだろう‥‥。兄弟も独立し、お互いに老いる。「かくまえず」に哀しさと家族への思いが揺れている。そして彼岸花だけが静かに見守っていてくれる。しかし、歳月の流れの中には今でも厳然と生家は存在する。(1999.10.15)


■梟の夢に抱かれ風の地図 ・野々圭子

毅然としていながら悠然とした梟の姿が見えるようです。その梟の夢に抱かれるとは緩やかな風に気持ち良く揺れているイメージが伝ってくる。そして未来という地図が展がる。あるいは自分が歩んできた過去の地図だろうか‥‥。その風は過酷かも知れない。それでも地図は展げられる。梟の夢にはなぜか安心感を覚える。(1999.10.8)


■コスモスと母と揺れつつ今を抱く ・松本佐知子

コスモスのような母、母のようなコスモス。仲睦まじい母娘の姿が見えるようです。「揺れつつ」に母の優しい笑顔と、その母を労る作者を感じます。それが大切で幸福な日々であることは、「今を抱く」で十分に伝わって来ます。改めて「揺れつつ」という言葉が温もりを含んでいることを感じます。(1999.10.1)


■生きるとはひとひらの花神の水 ・長町一吠

人間というひとひらの花は神の水で生かされているのかも知れない。そしてその水は支えてくれる家族であり、信頼できる友であるのだと思う。ひとりでは生きることのできないひとひらの花は、温もりのある水によって生き続ける。(1999.9.24)


■喧嘩相手がひとりもいない秋の月 ・吉田州花

喧嘩相手と一緒にいると煩わしく、訳もなく腹が立ってきてついつい喧嘩をしてしまう。それでも、いざ喧嘩相手がいなくなると寂しくなり、なんとなく物足りない気分になってくる。それが夫婦であったり姉弟であったり、親子という長く一緒に暮らしてきた仲であれば尚更である。死別や結婚、就職などなど‥‥。その言いしれぬ寂しさは仲の良さの証しでもある。そんな時やけに月の美しさが身に沁みてくる。(1999.9.17)


■きみと逝きたし夏の終わりの喉仏 ・細川不凍

夏の終わりには心理的な空間があると思う。夏を乗り切ってホッとすると同時に、気づかない心理的ダメージが残っていたりするのかも知れない。喉仏という男の性(さが)の激しく人を恋う思いが「きみと逝きたし」に込められていると思います。そこには純粋な思いだけが存在している。ただ、人を恋うことの素晴らしさと切なさも存在している。この作品は、春でも秋でも冬でもなく、夏の終わりだからこそ、伝わるものが深いのだと思います。(1999.9.3)


■一面のれんげ畑に抱きとられ ・松田ていこ

一面のれんげ畑に抱かれるとはどんな心境なのだろう‥‥。れんげの花に包まれるような安心感だろうか‥‥。不安など何もかも忘れられる瞬間なのかも知れない。「抱きとられ」という受動態が更にその思いを強くさせます。そんなれんげ畑のような存在の人はあなたの側にいますか?(1999.8.27)


■カナカナとなき もういいかいもういいだろう ・酒谷愛郷

蝉のカナカナと鳴く声が聞こえる夕暮れが脳裏に浮かぶ‥‥。「もういいかい、もういいだろう‥‥」は家族の会話だろうか‥‥数十年連れ添った夫婦かも知れない。阿吽の呼吸とで言うのか、それぞれの思いが無言のうちに伝わっている、そうんな気がする作品である。蝉の声がカナカナと響く光景に、老夫婦、あるいは家族の姿がいつまでも佇んでいるような気がします。(1999.8.20)


■熱帯魚育てあぐんだ子に似たり ・紀 二山

何ともユーモラスな句である。熱帯魚を育てるには大いに手間がかかり、愛情がなければとても続かない。その苦労を子育てと対比させ、その上、「育てあぐねた」と言っている。その「あぐねた」が絶妙に効いている。その後の子供と熱帯魚はどうなったのだろう‥‥と、想像力が膨らんでゆく。なんとも楽しい作品である。子供を育てあぐねている読者はいませんか‥‥?(1999.8.13)


■人一人産む屋根白く明けかかり ・川上三太郎

現代では殆どが病院で出産するようですが、30年40年前(あまり詳しくはないですが)は、自宅での出産が多かったのではないでしょうか。家族がその瞬間を今か今かと待ち望んでいる、そんな光景が目に浮かびます。その家を支えてゆく新たな生命なのですから尚更だと思います。屋根が白く明けてゆく様は、家族の様々な思いとともに始まる生命への賛歌ではないでしょうか。(1999.8.6)


■じゃんけんぽ一椀の湯の冷めるまで ・安藤キヨミ

一椀の湯が冷めるまでという短い時間を、じゃんけんをするという微笑ましい光景が思い浮かびます。新婚夫婦のようでもあり、数十年暮らしたご夫婦のようにも思えて楽しくなります。殺伐とした現代の中で、こういう作品に触れると嬉しくなります。(1999.7.30)


■水の匂いの妹の手を曳いて ・泉 淳夫

水の匂いの妹‥‥どうしても透明感のある美少女を想像してしまう‥‥。しかし、兄から見た妹となると純粋な妹への愛情を感じる。すべてのことから妹を守り通すという、意志の強い少年の姿が見えてくる‥‥。それは逞しくもあり、頑ななような気もする。大先輩の作品を私のような若輩者が感想を言うのもおこがましいが、沢山の方に触れて頂きたい作品だと思います。(1999.7.23)


■かくれんぼ誰も百まで数えない ・高橋はじめ

子供の頃は誰でもかくれんぼをして遊んだと思います。そして鬼は百まで数を数えてから他の子供達を捜して追いかける。しかし、この句の場合は子供の世界ではなく、大人になってからのかくれんぼだと思う。いや、実際のかくれんぼではなく、現代社会という意味での‥‥。大人になってから、子供の頃にあった何かを失ったり、忘れてしまったり‥‥。そんな大人の中にある矛盾や建前ではないのか‥‥。深読みかも知れないがそんな大人の哀しさを感じました。五十くらいまで数えている人がいるかも知れないけど‥‥。たまには百まで数えてみるのも良いかも(^^)(1999.7.16)


■たっぷりと夫婦茶腕に愚痴を言う ・川久保陸子

たっぷりと夫婦茶碗に愚痴を言うとは何ともユーモラスである。要するに結婚生活に不満があり、その不満を夫婦の象徴でもある夫婦茶碗に文句を言う。やんわりとしていて、案外効き目があるのかも知れません。きっと旦那さんに通じていると思いますよ(^^)旦那さんは耳が痛い??それでも、このユーモアが通じるようであれば夫婦仲は健在なのかも知れませんね。(1999.7.9)


■こぼさずに揺らさずに海抱いてゆく ・矢本大雪

こぼさずに揺らさずにそっとそっと海を抱いてゆくという‥‥それほどに大切な海とはなんだろう‥‥。一番大切な人だろうか、それとも自分の中にある思いだろうか‥‥。器に海を入れたような(実際には不可能ですが)ゆらゆら感を感じる不思議さがあります。何とも言えない満たされた感覚‥‥。この作品は読者それぞれの内にある大切な海を想像してみてはいかがでしょう‥‥そっとそっと、抱いて‥‥。(1999.7.2)


■銀河から戻る廊下が濡れている  ・加藤久子

幻想的な宮沢賢治の銀河の世界だろうか‥‥。生と死の狭間を駆け抜けるイメージが脳裏に浮かぶ。あるいは生き残った者の死者への思いを銀河へ馳せているのだろう‥‥。そして銀河へと通じる廊下があると言う。その廊下が濡れている‥‥募る思いや悲しみなのかも知れない。言葉ではうまく説明できないが、心の奥底に沁みてくる作品だと思います。余計な先入観がない方が、作品の世界へ浸れると思います。(1999.6.25)


■樋口由紀子句集『容顔』より

石段に座れば見える白いバス

白いバスは日常のいろいろな出来事や時間の経過だと思いました。自分を含めた毎日の暮らし、 そして白いバスに乗っている自分自身。行き先などはどうでも良く、何も書かれていない白いバス、 ただそれだけで良いように思えました。

人形の片頬ばかり化粧する

顔全体を晒すことなく、片頬だけ晒せば生きていけるものだ。そして晒したくはない片方の部分‥‥。 それでも晒す方の片方はしっかりと化粧をする。化粧をしない片頬には痛みがあるのだろうか‥‥。 なぜか化粧をしていない方に思いを馳せてしまう。

ビニール枕のどこか破れて雛祭り

理由のない空虚感を覚えました。どこが破れているのか分からない不安や心細さ。女性だけが秘めたモノかな。

まっさきにぺちゃんこになる副葬品

体一つで葬られることの気安さ。ぺちゃんこになるくらいならいらない副葬品。 「まっさきに」が妙にユーモラスですね。

ビル解体姉のうしろで鳥になる

過去としての家族や家制度の象徴の解体だろうか‥‥。それとも風景としての一場面だろうか‥‥。姉のうしろはいつも安心できる場所で、そして心強い隠れ家。 (1999.6.18)


■恐山ことばごろごろ置き去りに ・工藤寿久

恐山にごろごろと置き去りにされた言葉は祈りだろうか‥‥。先祖や愛する者とのコミニュケーションか‥‥。その言葉が死者へ伝わると思い、あるいは伝わらないことを知りつつ 、願いを込めた言葉を発するのだろうか‥‥。やはり死者へと言葉が伝わることを信じつつ‥‥。 (1999.6.11)


■沼の水澄んではらから散り散りに ・狩野満子

沼の水が静寂の中で澄んでいる。いったいいつからその景色は変わらずにいるのだろう。人間が住み着く遙か昔から現代までを見守って来たのだろう。核家族と過疎化による家族の分散、孤独‥‥澄んだ沼の水は無言のまま人々を見守っている。 これからも無言のまま‥‥。怖いほど澄んだ沼にはどんな未来が映っているのだろうか‥‥。 (1999.6.4)


■弱虫で作り笑いをしています ・坂下一美

自分に自信がなかったり、どうして良いか分からない時にどうしても作り笑いをしてしまう‥‥。外国から見ると日本人は特にそうらしい‥‥。現代は少しはましになったのだろうか。「弱虫」という表現が、 作り笑いの固定観念からずれていて新鮮にも思える。私も弱虫だからな‥‥ついつい作り笑いをしてしまう。(私に会った方すみません(^^;)みなさんは作り笑いしますか? (1999.5.28)


■眠りつくまでを菜の花畑行く ・松井文子

眠りにつくまで菜の花畑を行く‥‥どんな菜の花畑だろうか‥‥。少女時代に駆け抜けた菜の花畑だろうか‥‥。その時の光景を思い出すと何故か、いつの間にか眠りに入っている落ち着く光景‥‥。読者の方々にもそんな想い出の場所はあるのかな‥‥。 それぞれが心に秘めた菜の花畑を大切にしたいですね。 (1999.5.14)


■妻の自転車葱を斜めに関東平野 ・西秋忠兵衛
■ありがとういいやつだった 焚火あと ・西秋忠兵衛

自転車のカゴに買い物の葱を斜めに積んで関東平野を妻が走る。何ともユーモアがあって颯爽としている。「関東平野」という広大さと斜めの葱がなんとも妙にマッチしていて楽しくなる。これほどあっけらっかんとしていて明るい作品は作者ならではの個性だろう。
そして2句目はまったく逆で、「焚火あと」に火葬をイメージさせて亡き友への懐かしい思いがひしひしと伝わってくる。「焚火あと」には、かつて一緒に囲んだことのある焚火への思いもあるのかも知れない。 (1999.5.7)


■にくい男にとろとろカレー煮ています ・宇田川圭子
■あれはたしか昼の情事とチンドン屋 ・宇田川圭子

憎い男にとろとろとカレーを煮ているという、何ともユーモラスな光景である。男の悪口を言いながらカレーを煮ているのだろうか。「とろとろ」という言葉で嫌みもなくなり、逆に作者のちょっとすねたような表情と優しさが伝わってくる。カレーを食べる男は幸せだと思う。 二句目の昼の情事とチンドン屋の対比も別な意味でユーモラスである。滑稽の中に真剣さがあるチンドン屋と秘められた中に滑稽さがある昼の情事が、作者の記憶の中にふと浮かび上がる様は、両方の異なる滑稽さを露見させる。みなさんは昼の情事とチンドン屋から何を感じますか? (1999.4.30)


■さくら花ひららはららと身を尽くし ・吉田 浪

桜前線は只今東北を北上中。桜はひららはららと散っているが、「身を尽くし」となれば印象が違ってくる。華やかに見えていても哀切を感じてしまう。作者の繊細な感性が作品を通して伝わってくる。 もうちょっと大切に桜を眺めてみようかな‥‥。胸がキュンとしませんか? (1999.4.23)


■罪を洗う地吹雪もある故郷よ ・宇田川圭子

地吹雪は試練ばかりではなかったのですね。それぞれの人がそれぞれの罪を背負っている。その罪をも洗い落としてくれる地吹雪とは自然の厳しさの中にも、包み込んでくれるあたたかさがあるのかも知れませんね。これは作者の発見であり、 鋭いながら繊細な感性の持ち主故のことだと思います。青森を故郷とする作者の気持ちがひしひしと伝わってきます。ごうごうと人間を圧する地吹雪と対照的な故郷の柔らかさが心に沁みます。 (1999.4.16)


■ハジメテノ子ノクチゴタエ雲走る ・柳谷たかお
■春の雪チチノシニミズボクガトル ・柳谷たかお

この2句は父と子の対照的な作品のようで、実は密接な関連がある。初めて子に口答えされた時は父親にとって大きなショックだと思う。逆に自分が初めて口答えした時の後味の悪さと罪悪感‥‥。そして父を看取ると決めた覚悟と、子から看取られるであろうと感じた時の頼もしさ‥‥親子とはこういうものなのかな‥‥父に口答えしたことしかない 私は想像でしか語れないが、口答えされること、看取ること、看取られることとはどんな思いなのだろうか‥‥。父を越えることと子に越えられることの悲惨と幸福を感じた2句でした。 (1999.4.9)


■目つぶりあえば女が先に笑いだす ・酒谷愛郷

お互いに目をつぶって向かい合っていると、その緊張感が妙に可笑しくなることがある。それは照れくささであったり、お互いが目をつぶっている姿を想像して吹き出してしまったり‥‥。 この作品では女が先に笑いだすという‥‥男の方がはぐらかされたようで、なんとなくペーソスが漂う。この二人は男の方が彼女にぞっこんなのかな‥‥けっこう幸せなんだな‥‥とか、いろいろと想像を巡らしてしまいます。不思議と楽しくなる作品で、作者の魅力が十分出ていると思います。さすがだなあと感服しきりです。皆様はいかがですか? (1999.4.2)


■自愛かな ふふっと新米炊けてくる ・桑野晶子

新米の炊けてくる匂い、ふつふつという音‥‥なんとも微笑ましくて、お腹がグーと鳴りそうで自分でも思わず笑ってしまう。新米という初々しさが心をウキウキさせてくれる。「自愛かな」の言葉がピッタリで気持ちを和らげてくれる。みなさんもこの作品を2、3度暗誦してみてください、ほら、楽しくなってくるでしょう?不思議な作品である。 (1999.3.26)


■背一面泥はねあげて死んでいる ・前田まえてる
■男の背で作りつづける紙吹雪 ・吉田州花

背中とはその人間が生きてきた生き様を映し出すスクリーンであるらしい。背中一面に泥はねをあげていたり、紙吹雪が舞っていたりと様々な生き方、死に方があるらしい。しかし、上掲の2句は悲惨な深刻さと言うよりは、天晴れと言いたくなるような印象を受ける。実際は社会的な過労死や定年など、様々な深刻な問題も含んでいますが、 川柳の特質なのかも知れないが、賛辞を送りたいような気持ちになる。背中一面に泥はねがあがるほど必死に走り続け、ささやかな花道で紙吹雪を浴びる‥‥良くやったと激励したくなる。そして、その裏側のペーソスもおのずと見えてもくる。 (1999.3.19)


■鳥葬の嘴をもて闘えり ・古谷恭一

鳥葬は死者をハゲワシなどの鳥に食べさせ、弔う神聖な儀式である。その鳥の嘴は鋭く獰猛である。ある意味では食物連鎖という自然なことなのかもしれない。この作品は、この嘴をもって闘うという。その嘴の鋭さ、獰猛さで何に立ち向かうというのだろうか。 あるいは戦意喪失的な現代への警鐘、自己の内側にある闘争心なのかも知れない。そして「鳥葬の嘴」という神聖さの中にある、ある種の空虚感なのかも知れない。この作品に触れた瞬間、強烈なパワーを感じたのを覚えています。 (1999.3.12)


■死ぬ人を送り続けて来た雪ぞ ・波多野五楽庵

人間がこの世に現れるずっと昔から雪は降っていたのだろう。長い年月、雪は人間の死を見つめて来たのだろ。そして厳かに送り続けて来たのだろう。雪の降る夜は亡き人を思いだし、懐かしさを胸に抱くのだろう。作品の内容からは少し的が逸れたかも知れませんが、 何故か降り続く雪と死者のイメージが重なってしまう。これからもずっと、雪は死ぬ人を送り続けるだろう。 (1999.3.5)


■雛まつり長女と次女の遠い町 ・高田和子

3月3日雛祭り‥‥わが子は遠い町に嫁いだり就職したり、長女も次女も家から旅立って行った。自立したわが子を頼もしく嬉しい反面、淋しい気持ちも募ってくる。特に雛祭りの時期は、娘の小さい頃の姿が想い出され懐かしくなる。 遠い町に住む二人の娘を思う母親の気持ちがひしひしと伝わってくる切ない作品である。3月3日は、実は娘のことを心配したり、母親のことを思ったりする淋しい日なのかも知れない。 (1999.2.26)


■闇の中ときどき闇を確かめる ・あべ和香

闇の中で闇を確かめるとは見失いそうな自分を確かめることなのかも知れない。光の中で光を確かめるのではいけないのである。光の中での光は見失いやすい‥‥もの。闇の中だからこそ、 それでも闇を確かめねばならないのかという、人間の哀しさを感じました。やはり、闇の中にいると闇に慣れてしまい、闇をも見失うのだろうか‥‥逆に考えると人間の中の最終的な知恵なのかも知れない。 (1999.2.19)


■掌から掌へバレンタインの風こぼす ・大西泰世
■本命のチョコへ媚薬の一二滴 ・中平俊子

14日はバレンタインということで、2句取り上げてみました。チョコの話になるとオトコもオンナも急に照れて口数が少なくなる。お互いに思春期に戻ったように俯いたりする。大人の心の片隅にも、まだまだそんな純真な気持ちが残っているのだろう。 1句目の掌から掌へ風をこぼすという表現の透明感、2句目の媚薬の1、2滴という乙女心が微笑ましく感じられます。皆様にもバレンタインに関する作品が1、2句はあると思います。暗誦してみては如何ですか? (1999.2.12)


■悪妻と言われたようで立ち止まる ・本郷千代子

これは何とも小気味よい作品である。自分自身を悪妻と自認?し、ふと呼ばれた気がしたので立ち止まったというのである。ユーモアの最たるものであり、嫌みもなく気持ちさえ弾んでくる。可愛さも伺われる。これほど言い切れば天晴れとしか言いようがない。思わず拍手を送りたい。 世の妻たちも喝采を送るのでは‥‥。そこのあなた、今呼ばれたのではありませんか? (1999.2.5)


■なにもしてやれぬ吾が子よもう寝よう ・相坂酔鬼

25年ほど前の作品である。親の愛情がひしひしと伝わってくる。家族の絆が、今ほど希薄になっていない頃の良き時代なのだろう。逆に今ほどモノが溢れず、便利ではなく、現代のモノが溢れた世の中の到来を孕みつつも物質的には不足していた時代のような気がする。 読者それぞれが、それそれの思いで味わって欲しい作品です。 (1999.1.29)


■窓の下に古い梯子が置いてある ・井出 節

古い梯子とは単なる物質ではなく、かつての想い出、あるいは行動なのかも知れない。窓とはその入口なのだろう。青春時代の奔放さや向こう見ずな遊びなど、古い梯子は大いに活躍してくれた。背伸びしたりを失敗したり、苦い経験も今では楽しい経験だった。 今は窓の下に立てかけてあるだけだが、それだけで何かを語りかけてくるような気がするし、安心感も与えてくれる。あなたは古い梯子をお持ちでしょうか?それともまだまだ使える梯子でしょうか?大切にしたい物ですね。 (1999.1.22)


■冷めた紅茶を温めて飲んで人恋し ・西 山茶花

一度冷めた紅茶を再び温めて飲むという。とたんに人恋しくなる‥‥。冷めた紅茶を温めるように、忘れかけていた人をふと恋しくなる。それでいて作品のリズムの良さが、ベトベトしないサラッとした雰囲気を感じさせてくれる。 心地よさと言っても良いのかも知れない。ゆったりとした時間の流れの中の一場面が映し出されてくる。この初々しさは作者自身の持っている内面的なものなのだろう。‥‥急に紅茶が飲みたくなってきた‥‥。 (1999.1.15)


■かなしみに一対があり冬の椀 ・金山英子

一対のかなしみという言葉が胸に突き刺さってくる。向かい合っているのだろうか‥‥。お互いの椀が痛々しくさえ感じてしまう。冬の静けさ‥‥二人の間には沈黙が滞るばかり。 言葉を発すれば、何かが一気に崩れてしまうかも知れない。その緊張感の刹那に鋭さがあり、存在感がある。その静寂を感じ取ってみては如何ですか‥‥。何かが胸を過ぎる筈‥‥。 (1999.1.8)


■それほどのいのちでないが振ってみる ・伊藤ひかり

いのちを振ってみるとどんな音がするだろうか。からから、かたかた、さらさら‥‥それほどではない命を振ってみるという潔さが小気味良く感じられる。謙虚な中にも清々しさがあります。 あなたも命を振ってみてはどうですか?どんな音がするでしょうか‥‥。精一杯生きているという意志が伝わってくる作品だと思います。新年に相応しいかも知れませんね。今年もみなさんにとって良い年でありますように!! (1999.1.1)


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