川柳名句集

・1997年7月18日より、私の独断と勝手な解釈で川柳を取り上げ、感じたことを書いてみようと無謀にも思いました。多分、句の作者は大迷惑だと思いますので、あらかじめお詫び致します。(敬称略)


1998年下半期掲載分

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■枯れるものみんな枯らして宴の十指 ・桑野晶子

どちらかと言うと先々週の梅村氏の作品に近いかも知れない。枯れるモノは枯らしてしまって、あとは宴と行こうか‥‥。しかし、これは本当の宴ではなく、十指の宴なのである。主婦の日々働く手の指への思いやりなのだと思う。或いは言い聞かせているのか‥‥。いずれにしても十指の宴とは何と楽しい表現だろう。十指に力が漲ってくるような気がして励まされます。これからは水が冷たくなって行くので、この句を暗誦してみては如何でしょうか?(1998.12.25)


■金いろの銀杏並木を子守唄 ・松井文子

鮮やかな金いろの銀杏並木の下を子守唄を歌いながら赤ん坊をあやす姿が浮かびます。きっと若いお母さんなのでしょう。もしかするとそのお母さんも、子供の頃にそのお母さんに子守唄を 歌ってもらったのかも知れませんね。子守唄を聴いた子供は、並木道を通るたびに子守唄を想い出すことでしょう。そして自分がお母さんになった時に、自分の子供にも聴かせるのでしょうね。銀杏の並木が存在する 限り受け継がれてゆくことを考えると、胸の辺りにあったかいものを感じます。(1998.12.18)


■どうせならゆっくり枯れて風を待つ ・梅村暦郎

この潔さは何だろう‥‥。今の若者には(私も含めて)、これほどの毅然とした姿勢がとれるだろうか‥‥。作家の赤瀬川原平(名前が違っているかも(^^;)は、老いてゆくことを逆手にとって、「老人力がつく」 と、老いることを悲観せず、老人の力が付いたと高らかに宣言している。「どうせなら」という言葉を力強く感じました。風もきっと吹く筈です。励まされる作品でした。 (1998.12.11)


■十二月あなたを洗ってあげますか ・小野寺令子

この作品は実際にあなたを洗ってあげる、も含まれると思いますが、それ以外の多くの意味も含まれていると思います。例えばもうすぐやって来る新しい年を気持ちよく過ごさせてくれるような‥‥。 また、師走の忙しい時期の彼を労うとか‥‥。ん‥‥何故か解説してしまうと野暮ったくなりますね(^^;これでやめておきましょう。男の私の解釈では的外れになるかも‥‥。それぞれの読者の中の女心を感じてみてください。 (1998.12.4)


■生きるべし爪一本を地に残し ・片柳哲郎

この世に生きた証として何が残るのだろうか‥‥何を残せるのだろうか‥‥。人それぞれに違うとは思いますが、足跡一つだったり、指紋一つ、 あるいは何一つ残せないかも知れない。しかし、「生きるべし」という力強く潔い言葉の前には、すべてを超越した作者の渾身の力をふりしぼる姿が見えてきます。爪一本だけ地に残して、それだけで良いのだという満足感が、 作品に触れた者を勇気づけてくれる気がします。必死に生きれば、それはそれで良いのではないかという力を与えてくれます。 (1998.11.27)


■りんご置く何も産まなくなった部屋 ・吉田州花
■林檎たわわに忘れたきこと多し ・吉田州花

子供たちは巣立ってしまって、ふと気づくと部屋にぽつんと一人でいる。もうここからは何も産まれないことに気づく‥‥。真っ赤なリンゴだけがニコッと笑って励ましてくれる。そんな一場面が浮かんできます。 逆に、たわわに実ったリンゴの迫力は壮観とも言える。威圧的でさえある。そのリンゴの数だけ、もしかするとそれ以上に忘れたいことがあるのかも知れませんね。不思議なことに、覚えていたいことは忘れてしまうし、忘れたいことは頭にこびり付いている‥‥。 (1998.11.20)


■火炎まとうて待ちぶせている君を ・岩間富士子
■カルメンの血が欲し赤いバラを買う ・岩間富士子

2句とも内に秘めた烈しさがあり、そんじょそこらの男達はタジタジになるかも知れません。逆に、これくらいの情熱がないと今時の男は頼りなくて、女性の方がイライラしてくるかも知れませんね。また別な見方をすれば、待ちぶせもカルメンも一途で健気な乙女心かも‥‥。 世の殿方はいかがですか?。この方が案外うまく行くかも!!(1998.11.13)


■ハミングを重ねる薄いスープ皿 ・松井文子

幸せに口ずさむハミングで重ねるスープ皿‥‥しかし、重ねられた薄いその皿は、とても脆く、壊れやすい。幸せとはそういうモノなのかも知れない。それでも、そんなことは想像しないままどんどん重ねられてゆく。 途中で割れたりするかも知れないし、壊れず割れずにすむかも知れない‥‥。日常の生活も、それとは知らずに薄い皿を積み重ねているのだろう‥‥。あなたなら割れても構わず皿を重ねるだろうか?それとも慎重に慎重に恐る恐る重ねてゆくだろうか‥‥。(1998.11.6)


■抽斗のどこか嗚咽が洩れている ・古谷恭一

どこの抽斗だろうか‥‥少年時代の想い出をしまった抽斗だろうか?学生時代の失恋をしまった抽斗だろうか‥‥。父が大病で入院をした時の抽斗だろうか‥‥。 それとも、台所に立つ母の小さな背中に気づいて理由もなく切なかった時の抽斗だろうか‥‥生きている上での様々な別れであろうか。読者それぞれの抽斗の中を覗いてみては如何でしょう‥‥耳を澄まして。(1998.10.30)


■一度も風を掴めなかった 墓だ ・佐藤幸一

風が地位や名誉や成功だとしたら、人生の中で一度も風を掴まずに一生を終えることは珍しいことではないと思う。しかし、風を掴むことが幸せに繋がるとは限らない。 自分のスタンスで一歩一歩進み、自分なりの人生を送れたら、それで満足ではないか‥‥。この作品のように「墓だ!!」と言い切ってしまうと何故か小気味よい気持ちになってしまう。それで良かったのだ!!しっかり生きたのだ、と思えてしまう。(1998.10.23)


■逆立ちをしても涙は下に落ち ・福井文明

重力の関係で人間が泣くと涙は下に落ちる。しかし、もしかすると逆立ちをすれば上の方に落ちるのでは‥‥というあまりの哀しさにそんな切ない考えをしてみた。 でも、やはり涙は下に落ちてしまった。哀しみをこんなユーモアで表現した作者に脱帽です。(1998.10.16)


■君は日の子われは月の子顔上げよ ・時実新子

作者は前回紹介した故川上三太郎の門下生の一人で、現在の川柳界で指導的立場にあり、多くの優秀な作家を育て上げている。君は日の子、即ち日輪、太陽の子、そして私は月の子、という表白によって、相手に対する尊敬、憧憬の気持ちを表しているように思う。そして「君」の中に奢りのない 誠実な人間性を感じてしまいます。「顔上げよ」の言葉に勇気づける思いやりがあり、逆に自分自身をも鼓舞する力強さも感じます。この作品に触れると元気が出てくるのはそのせいでしょうか。 もしかすると「君」が意味するモノは特定の人物ではなく、この作品に触れたすべての読者を指すのかも知れませんね。もちろん、私の鑑賞以上に、もっと広がりがあり、深さがあると思います。この句は、青森県下北郡川内町に文学碑として建立されております。作者の初めての句碑であり、対岸の津軽半島の龍飛岬にある師である川上三太郎の<龍飛岬佇てば風浪四季(春)を咬む>と向き合っています。一度訪ねてみては如何ですか?(1998.10.9)


■子供は風の子天の子地の子 ・川上三太郎

昭和の六巨頭の一人として活躍し、その門下の殆どの方は現在の現代川柳の世界で指導的な存在として活躍されている。 この作品は半世紀以上も前のものですが、その内容は現代の作品以上と思います。風の子までは分かりますが、天の子地の子に到ってはある種の衝撃を受けます。子供への愛情、子供の持つ可能性、希望、神秘性を 感じます。現代では風の子は少なくなりましたが、この作品には日本の古き良き時代の子供たちのパワーを感じ、無限の明るさを感じます。耳を澄ますと子供たちの歓声が聞こえてくるようです。子供時代の想い出がふと脳裏を過ぎります。(1998.10.2)


■ドイツ語で働き過ぎと書いてある ・高橋はじめ

この作品はシンプルで分かりやすいが、働く者にとっては身に沁みる作品である。ドイツ語とは医者が書くカルテの喩えのことで実際に「働き過ぎ」と書いている訳ではなく、 年齢を重ねてくると身体のあちこちにガタが来ていろいろな症状がでてきますが、それを医師がカルテに書いた症状を、「働き過ぎが原因」と結びつけているのです。身に覚えのある方も多いのでは‥‥。これも川柳の一つのテクニックです。くれぐれも働き過ぎに注意しましょう。(1998.9.25)


■生から逃げるな蒼い馬を描けよ ・長町一吠

闘病生活を続けている作者の作品には余計な言葉はなく、ストレートに心に届く、いや届くと言うよりも突き刺さり、読んだ者の魂を揺さぶる。私は何度となくその魂に揺さぶられ 勇気づけられた。私の余計な解釈よりも、この作品の魂に触れて欲しいです。(1998.9.19)


■幸せと言う手は少し荒れている ・出村正見

「手が荒れている」は、やはり母の手であるのでしょうね。一昔前の母の印象は、朝早く起きて一生懸命に働き、 そして夜は一番最後に眠る。だから、働き者の母はいつも手が荒れているという印象が強いのかも知れませんね。作者はそんな日常の中に幸せを見つけたのかも知れませんね。「少し」が効いていますね。 平凡な作品に思われがちですが、妙に心にジンとくる句です。(1998.9.11)


■残照にほころぶ姉よ麦の穂よ ・みとせ りつ子

残照にほころぶ姉と麦の穂のオーバーラップで、残照の温もりが伝わってきて心地よいです。 お姉さんを見つめる作者の優しい眼差しも感じます。お姉さんの優しく凛とした姿と、よく実った麦の穂の充実した風景だと思います。 それぞれの読者が、また違った風景を見つけてくれるかも‥‥。(1998.9.4)


■完璧のシナリオだから出る欠伸 ・富谷英雄

物事は何にしても完璧すぎると退屈なもので欠伸の一つも出てくる。考えようによってはやり甲斐や意欲も失われ、不幸でもある。分かりやすい作品ではありますが、 説得力があり読者を頷かせる。こんな時ほど落とし穴に気を付けなければ‥‥皆様も油断召されるな。(1998.8.28)


■笑っても泣いても今日の陽が昇る ・生内愛子

この作品に出会っての印象は、「何をくよくよしているんだ。考えたってしょうがないよ。泣いたって笑ったって陽は昇るんだから、どうせなら笑って暮らそうよ」と言われているような気がした。 そして「それもそうだね」と相槌を打ちたくなった。励ましてくれる川柳もいいもんだなと感動してしまった。皆様も、何か落ち込むようなことがあったら、この句を思い出してみては如何でしょう。元気になれますよ。(1998.8.21)


■手と足をもいだ丸太にしてかへし ・鶴 彬
■暁を抱いて闇にゐる蕾 ・鶴 彬
■墨をする如き世紀の闇を見よ ・鶴 彬

明日15日は終戦記念日である。前回も書いたように鶴彬は戦争中の闇を目撃し、そしてその闇の中に呑み込まれ、獄中で失意のうちに亡くなった。1句目、初めてこの作品に接した時、「手と足をもいだ」「丸太」というストレートな言葉に絶句した。 そこには真実を伝えようとする強い意志を感じました。当時の社会状況から想像すると、作品発表は思想的にとても危険なことだったと思われます。私が作品をあれこれ解説するよりも、この作品を読者それぞれが心の片隅にでも置いて頂ければと思います。
2句目は、悲惨な戦争が終わり、やがて訪れる平和という「暁」を鶴彬は「蕾」として心に抱いていたのでしょう。しかし、戦後というその「暁」は鶴が想像していたものと同じものなのでしょうか‥‥。一度尋ねてみたい気もします。
3句目、偽りの明かりのもと、どれだけの人がその闇に気づいていたのでしょうか‥‥?「闇を見よ」という願いにも等しい言葉は今でも通用するのでは‥‥と、ふと感じました。 8月ということで鶴彬を取り上げてみました。お芝居にもなっているのでご存じの方も多いと思います。50年後も鶴彬は語られているのかな‥‥。(1998.8.14)


■ふるさとは病と一しょに帰るとこ ・鶴 彬
■売り値のよい娘のきれいさを羨まれてゐる ・鶴 彬
■万歳とあげて行った手を大陸へおいて来た ・鶴 彬

間もなく終戦記念日である。鶴彬は戦争中の闇を目撃し、それを告白してきた川柳作家である。当時の病と言えば現代の医療事情と違って直接死に繋がることが多かった。病気をすると男であれば戦力外と見なされ、肩身の狭い思いでひっそりと暮らさなければならなかった。「病と一緒に帰る」に言いしれぬ寂寥感を感じてしまう。
2句目の句は、当時生活が苦しい家族のために娘が売られてゆくという、今では考えられない制度があった。一円でも一銭でも高く売れることが羨まれる時代とは 、まさに悲惨である。そして強烈な皮肉でもある。「欲しがりません、勝つまでは」というコピーを、戦争を知らない私でも知っていることが切なくもある。
3句目、「八紘一宇」のもと、家族を守るため、お国のため、万歳をして戦場へと向かった兵士は、やがて負傷して日本に帰ってくる。「手を大陸へおいて来た」は、この作品に触れた者に強烈なインパクトを与え、 何かを問いかけて来る。これらの作品を初めて読んだ方が何かを感じて頂ければ幸いである。(1998.8.7)


■愛される予感で蛍飼ってます ・小野寺令子

少し甘すぎる気はしますが、恋愛と蛍を結びつけたところに女性的な表現を感じました。蛍の点滅も恋探しですよね。「予感」とあるので、まだ恋が成就した訳ではないが、恥じらいと初々しさが感じられます。私が男だからこんな解釈しかできないのでしょうか‥‥。女性がこの作品に触れたとき、どんな印象を受けるのか興味のあるところです。(1998.7.31)


■これも正義モグラ叩きに参加する ・徳田ひろ子

正義と名が付けば何をやっても正当化されることが多い。また、少しでも法律に違反していれば、道徳的にどうであろうと一掃されてしまう。正義という大義名分のもと何でもできてしまう怖さもある。こと人々の意識が集中すると取り返しのつかないことも多々ある。それを指摘した作者の鋭い視線に感服してしまう。本当の悪なら、喜んでモグラ叩きに参加させてもらう。しかし、本当の悪は法律に守られて胡座をかき、安寧としていることが多いのも事実である。(1998.7.24)


■生きている証時々手が汚れ ・坂下一美
■やさしさに一番弱い鬼である ・坂下一美

1句目、この「手が汚れ」は、必ずしも悪いことをするという極端なことではなく、ほんの些細なことや心の中に芽ばえたちょっとした不道徳なことでは‥‥。心の片隅にこびりついているような、胸がキュンとする後悔の念ではないだろうか‥‥。こういうことって年々増えてゆくんですよね。この作品を拝見して、そうだよなあとホッとさせられる思いがします。政治屋さんとは大分スケールが違いますが‥‥。
2句目、色々な面で頑固だったり、厳しかったり、世の中で鬼と呼ばれている方々は、意外とやさしさに脆かったりする。意表を突かれてやさしくされるとホロリときたり‥‥鬼の目にも涙‥‥。なんか良い話を聞いたようなあたたかさがあります。(1998.7.17)


■夕焼けを積んで自転車帰ってくる ・西秋忠兵衛

作者は夕焼けを積んで自転車が帰ってくる、という。夕方ののんびりした時間帯が脳裏に浮かんでくる。自転車に乗っている人物像も見えてくる。初老の男性だろうか‥‥。あるいは、まったく逆の遊び盛りの元気な少年かも知れない。現代は秒刻みで動いていると言っても過言ではない。だから、この作品のような光景に出会うとホッとしてしまう。夕焼けの柔らかな温もりが心地良く感じます。(1998.7.10)


■氷噛む祭りの汗に遠く居て ・細川不凍

以前にも書きましたが作者は私が尊敬する川柳作家のお一人です。夏に入りますと祭りの季節でもあります。遠くから太鼓や笛の音が幽かに耳に届き、胸をわくわくさせます。それでも闘病中の者にとっては、その祭りも遠いままの存在でしかない。この作品の「氷噛む」と「祭りの汗」との対比に幽かな切なさを感じさせますが、それだけではなく、ガリガリと氷を噛み砕く力強さも感じます。その力強さが祭りとは遠くあっても、祭りの男性的なテンションを持っていると感じました。(1998.7.3)


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