川柳名句集

・1997年7月18日より、私の独断と勝手な解釈で川柳を取り上げ、感じたことを書いてみようと無謀にも思いました。多分、句の作者は大迷惑だと思いますので、あらかじめお詫び致します。(敬称略)

 


1998年上半期掲載分

<<前の名句ページへ         次の名句ページへ>>

■鳥墜ちる この世の蒼の行き止まり ・はざま みずき

この世の蒼の行き止まり、とは空の行き止まりであり、海の行き止まりであると思う。まさに壮大な作品である。そして、殆どの人間が一度は考えてみる空の果て海の果てある。この先はどうなっているのだろうか、何処まで続いているのだろうかと憧れ、夢、好奇心の果てでもある。それは宇宙にも通じるようで、人間の心の中にも通じている気がする。「鳥墜ちる」はある種の喪失感だろうか‥‥破れ果てた夢や希望だろうか。作者は作者、読者は読者のそれぞれの「鳥」が存在すると思う。この世の蒼の行き止まりは壮大でありながら、実は一番身近な空間のように思う。(1998.6.26)


■生きて生きてこれっぽっちの母の骨 ・まえてる

余計な飾り気もなく、作者の思いがストレートに表現されていると思います。「これっぽっち」の言葉に人間という存在や死に対する儚さを感じ、切なく胸に迫るものがありました。苦労続きで必死に生きた母と、その母を思うやさしく温もりのある気持ちに感動しました。そういえば親孝行していないなあ‥‥と反省しきりです。(1998.6.19)


■男の背で作りつづける紙吹雪 ・吉田州花

作者は男の背で紙吹雪が作り続けられるという。これは男(お父さん)に対する賛辞ではないだろうか。人生の舞台、男の花道に降り注ぐ紙吹雪。その紙吹雪が日々男の背中で作られるとは、作者の発見ですね。世のお父さんがんばれ!!みんな応援しているぞ!!ユーモラスでちょっぴりペーソスがある、応援歌でもあると思います。(1998.6.12)


■純愛の一断面に とぶかもめ ・岡田俊介

二人で空を眺めているのだろうか‥‥それとも好きな人のことを、ふと考えながら青い空を見つめているのだろうか‥‥。その空、あるいはその瞬間を「純愛の一断面」と表現した作者の感性の透明感に感動しました。飛ぶかもめの鮮やかなコントラストも、その瞬間をいきいきとさせていると思います。読者の純愛の一断面は如何に‥‥?(1998.6.5)


■立ちあがると 鬼である ・中村冨二

人間の内面に棲む鬼だと思う。この名作は私などが批評するのもおこがましいかも知れない。それぞれが心の中にある鬼の存在に気付いた時、人間は戸惑い、嘆くだろうか‥‥。それとも鬼の存在に鼓舞され、意気盛んになるのだろうか‥‥。この作品の鬼は必ずしも悪を意味するものではないと思う。人間が生きる上での無限のエネルギーでもあるのだと思う。(1998.5.29)


■姿見に母が重なる重い帯 ・松本佐知子

作者のお母さんの姿見なのだろう。お母さんは病気で闘病中なのだろうか、それとも、亡くなってしまったのだろうか‥‥。そしてその姿見に映る自分の姿が、母親の若い頃にそっくりなのか、逆に自分にも老いが迫っているのを感じているのか‥‥。いずれにしても母と娘の強い絆を感じる作品だと思います。特に作者の母に対する思いが「重い帯」に込められていると思います。また、「重い帯」には母の病状を受け止める覚悟が込められているのではと思いました。(1998.5.22)


■わが弱き掌のうえにあり昼の月 ・長町一吠

闘病あるいは落ち込んだ時、そしてそれぞれの肉体的精神的などん底の時、人それぞれの対処法があると思いますが、この作品の場合その掌のうえにポッカリと白い昼の月があるという。昼の月は何を語りかけて来たのだろうか‥‥。あるいは月に何を語りかけたのだろうか‥‥。あっけらかんとした昼の月はきっと励ましてくれたのだと思う。なんとなくそう思えてならない。(1998.5.15)


■コーモリ傘と出かけたままの父の背 ・高田寄生木

何故かコーモリ傘と父親のイメージがピッタリくる。その父は、最近はあまり見なくなった?コーモリ傘と同様にちょっと古いタイプの父親像だと思う。コーモリ傘同様に骨がゴツゴツしていて、強そうな感じさえする。今とは違って、父の存在感が確固とあった頃の想い出でもあるのだろう。コーモリ傘を見ると仕事に出かける父の背を思い出す。作者の気持ちがひしひしと伝わってくる。その父も既に‥‥。それぞれの父親像を重ねて見ては‥‥。ペーソス溢れる作品だと思う。(1998.5.8)


■なわ飛びの歳月ばかり老姉妹 ・古谷恭一

縄跳びの歳月とはユーモラスである。そしてちょっぴり哀しくもある。老姉妹の波瀾万丈の歳月が脳裏を過ぎります。あるいは、私たちが想像もつかない苦労があったのかも知れない。そして現在の穏やかな表情の姉妹が目に浮かんできます。きんさん、ぎんさんにも通じるような気がします。(1998.5.1)


■君というところどころで眠ります ・田口文世

以前、<長居してしまうあなたの暗がりに>という句を取り上げましたが、それに通じるところがあります。「君」という存在自体が気の休まって眠れる場所なのだと思う。ところどころ、という表現も存在の大きさを表している。う〜ん、余計な解釈はいらないのかも知れない。読者それぞれの「君」を見つけてくれれば‥‥。(1998.4.24)


■あきらめて歩けば月も歩きだす ・小林不浪人

既に故人である先達者の長年語り継がれている名作である。私なんぞがいろいろ解釈するのもおこがましいが、胸の底に芽生えた感動と励ましてくれるぬくもりを、沢山の方に知って頂きたく思います。この作品は「あきらめて」と上五で言っておりますが、決して絶望ではなく、気持ちの切り替えを言いたいのだと思っております。いったん沈んだ気持ちではあっても、いつまでもくよくよしていてもしゃあないな、ぐらいの前向きな気持ちを感じました。「ほら、月も一緒に歩いて励ましているよ」と。「月も歩きだし」に、よっしゃ、やったるでぇ、という思いが湧いてきます。作者の懐の広さとやさしいお人柄をひしひしと感じます。(1998.4.17)


■不器用に生きてるそんな人が好き ・北野岸柳

不器用だっていいじゃないか、そんな明るい気持ちにさせてくれる作品である。不器用な方が人間味があってあたたかく感じられる。スピード時代の現代にもマイペースでゆっくり生きているような気がする。そんな不器用な人を好きな人も、また不器用なのかも知れない。「下手でいい、下手がいい」とある絵手紙作家が言っていた。不器用でいい、不器用がいい、と言いたくなってくる。(1998.4.10)


■からっぽになってしまったすなどけい ・斎藤茂生

砂時計は人生に喩えられることがありますが、もっとグローバルに考えると地球そのものだとも言える。適量の砂が存在して、規則正しく時を刻んでいた砂時計(地球)は少しずつ砂が減り、不規則な時間を刻み始めている。人の心の荒廃や環境の悪化を人間は気付いているのに、適切な処置をしようとはしない。やがては砂時計の砂はからっぽになり、滅んでゆくのだろうか‥‥。鋭い指摘だと思う。(1998.4.3)


■ゆでたまごどこまでつくり話だよ ・徳田ひろ子

ゆでたまごのようにツルンとして捕らえどころのない話ばかりあなたはする。作り話だとは最初から分かっているのに、何故か憎めない。問いつめているのにだんだん可笑しくなってくる。いつもこの手でごまかされてしまうのだ。そうこうしているうちにゆで卵まで憎たらしくなってくる。頭にきたのでぺろんと食べてしまった。(1998.3.27)


■やっと落ち着く火葬場の日向ぼこ ・いず守 和穂

この作品は人の死をないがしろにしているのではなく、人間の死の尊さを言いたいのではないかと感じた。人生を全うした死を見送ったのではないかと。そして死者自身もあの世でホッとしているような、ほのぼのとした作品だと思う。火葬場という重い言葉を使っていながら「日向ぼこ」という柔らかな下五が、この作品の救いであり、ぬくもりだと思う。その人の人生を辿ってみたくなったりもする。(1998.3.20)


■こぼさずに揺らさずに海抱いてゆく ・矢本大雪

この作品の海とは何だろうか、大切な夢だろうか、家族だろうか‥‥。その海をこぼさぬように揺らさないように抱きかかえて生きてゆくという。自分が生きてゆくための糧であることは確かであるいと思う。人間にはそんな海が無くてはならないのだろう。(1998.3.13)


■とうふ崩して迷いがふかくなるばかり ・渡辺裕子

食事中にいつの間にか上の空で豆腐を箸で崩している。今、迷っていることで頭がいっぱいで、ついつい無意識に箸が動いていた。そんな一場面を何気なく表現している。迷いとは家族のことだろうか?それとも異性のことだろうか‥‥?「どうしたの?」と声をかけられて我にかえる。そして「ううん‥‥何でもないの」と応える。迷いは深くなるばかり‥‥季節としては早春かな‥‥。(1998.3.6)


■長居してしまうあなたの暗がりに ・はざま みずき

あなたの暗がりに長居してしまう。その暗がりとは静寂だろうか、相手の存在の中の謎だろうか。あるいは人間的な翳の部分だろうか‥‥。現代は相手にやさしを求めることが多いですが、それから少しずれた「暗さ(暗がり)」も必要なのかも知れない。安心して落ち着ける部分なのだろう。「暗がりに長居する」という表現がけっこう気に入っているのだが‥‥。(1998.2.27)


■ぶどう粒ごくっと呑まねばならぬこと ・竹内ヤス子

一読するとユーモラスに感じられる作品ですが、何度も読んでいるうちにペーソス溢れる作品になっている不思議さがある。ぶどう粒を味わうこともなく呑み込んでしまうことが、いろいろな意味を含んでいるように思う。現代人の慌ただしい生活や突然の出来事に対する人間の対応ぶり、納得のいかないことでも自分を押し殺さなければならない社会などが切なくもある。少し深読みかも知れないが‥‥。(1998.2.20)


■子は母の背丈越えゆく 愛一輪 ・西条真紀

親にとって子供が自分の背丈を越えてゆくことは一つの喜びでもある。ああ健康に成長してくれたんだな、という思いは母親の方が強いのかも知れない。「愛一輪」から子への愛情(感謝)とぬくもりが感じられる。これ以上は私の余計な批評はいらないと思う。(1998.2.13)


■実直な父親でした方眼紙 ・山村牛車

方眼紙のような父親とはどんな父親だろうか。直線的で曲がったことが嫌いな筋金入りの頑固者。それでいて不器用で実直で無口で‥‥この頃、こんなお父さんが少なくなったような気がする。若い頃は父親に反発をすることもありますが、自分自身が年齢を重ねるごとに少しずつ父親を理解していくのではないだろうか。方眼紙のような父親も愛すべき存在なのかも知れない。(1998.2.6)


■どう描いてみてもたたかう眉になり ・高田和子

働く女性にとってのお化粧は家と外との区切りをつける大切な儀式なのかも知れない。その中でも眉を描くことが一番難しいと聞いたことがある。その日の気分がそのまま眉の形にあらわれる。この句の「たたかう眉」は仕事に対する誠実さでもあり、男中心の社会に対する決意なのかも知れない。そして母性的な強さもこの作品には内包されている。眉ひとつでドラマを生み出す作品の深さがある。また、私の解釈とは逆にユーモラスなとらえ方をしても面白いと思います。(1998.1.30)


■残り蝉おたおた 母の灯を守る ・墨 作二郎

残された蝉は作者自身だと思う。母の存在は「灯」そのものなのかも知れない。そのことは母を亡くしてから一層、心に染みてくるのだろう。「おたおた」するという表現に母の死が信じられない気持ちと、深い慟哭が感じられてならない。しかし、「母の灯を守る」という言葉の中に救われる思いと力強さを感じた。

■母の死と煮崩れ芋の 泣き比べ ・墨 作二郎

二句目も「煮崩れる芋」という何とも言えない比喩にペーソスがあり心を揺さぶる。そして「泣き比べ」というストレートな言葉が母に対する思いを強く語っているように感じられた。肉親の死を詠むことの大変さを改めて思った。(1998.1.23)


■眼を閉じるとみんな優しい芋の花 ・神川敦子

眼を閉じるとそこに映るのは母だろうか?父だろうか?それとも祖父母や兄弟姉妹だろうか?みんな芋の花のように優しかった。そんな小さく可憐な白い花にたとえた作者の気持ちも、またもう一つの優しさだと思う。あたたかさを感じる作品である。

■眼をつむるやさしい顔になるために ・福力明良

前掲句が回想的な作品だとすると、2句目は自分自身の内面的な句であり、ある種の爽快感と誠実さを感じた。好きな人に対する優しさだろうか。殺伐とした世の中からは遠い世界である。

■優しさの中で気泡になってゆく ・本郷千代子

3句目はちょっと甘い作品ではあるが男の包容力を感じる。この作品の「やさしさ」には単なる優しさだけではないものが含まれているような気がする。そして女の安心感だろうか。今週は「やさしい」句を3句取り上げてみましたが、似ているようで全く違った印象の3句だと思います。(1998.1.16)


■人間のかたちを誰も疑わぬ ・遠藤正静

この作品の場合、外見というよりも内面的なものなのかも知れない。鋳型の教育や鋳型の社会など、世の中は「かたち」にこだわり、その鋳型に合わない人間ははじかれてしまう。中にはそのことに疑問を持つ人もいますが、大多数は人間のかたちなどに疑問を持たない。ときどきは隣の人の「かたち」を確かめてみては如何ですか?作者の誠実でありながら鋭い視点を持つお人柄が伺える作品である。外見の場合は少しくらい歪なかたちの方が味わいがある(笑)。(1998.1.9)


■元旦の樹のてっぺんに置くいのち ・細川不凍

元旦という一年の始まりに、客観的に「いのち」を考えて見るのも大切なことだと思う。「樹のてっぺんに置く」という表現がなかなかユニークである。それでいて生命の尊さを感じるのは作者の力量だと思う。(1998.1.2)


<<前の名句ページへ         次の名句ページへ>>