川柳名句集

・1997年7月18日より、私の独断と勝手な解釈で川柳を取り上げ、感じたことを書いてみようと無謀にも思いました。多分、句の作者は大迷惑だと思いますので、あらかじめお詫び致します。(敬称略)

 


2006年〜

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■双眸課題吟「顎」2006年 柴崎昭雄選

佳作
笑われた四角い顎が宝物  鶴賀一声
顎のあたりで男の自負が痙攣する  春口倭文子
顎を引く目は決断に注がれる  八嶋栄助
地吹雪に引っ掛けられた細い顎  木村花江
嘘がずり落ちる男の細い顎  瀧 正治
ロダンの顎地獄の門を考える  本多洋子
新雪のしずくが顎に落ちてきた  西浦小鹿
ゆっくりと咀嚼毒にも薬にも  山ア蘭草
めし粒のひとつ位は乗る顎だ  中山恵子
イカロスの顎を真白く描きあげる  吉田州花
もろくなった顎 商店街の冬  高田和子
顎の髭ルオーといるとほっとする  森田栄一
うどん屋へ流れついた父の顎  高見宏子
未だ顎を使いこなせず落椿  高見宏子
三日月の顎どんでん返し信じよう  北沢はまお
少うし疲れて未だロダンの顎  前田芙巳代
顎に紐かけて右向け右しない  森 朝日
唐突にいくさ始まる顎の髭  柳沢花王子
寄席に来て顎こきざみに加熱する  飯田 昭
顎がはずれたあたり しぐれする  前田芙巳代
顎ふたつひとつは死刑廃止論  鳴海賢治
自惚れの顎に腐蝕がはじまった  木暮健一
下顎も上顎もまた春になる  伊藤我流

特選
偽装重ねて正面を向かぬ顎  宮本夢実
みんなわがままで顎が痩せてゆく  舟橋 伸

「はずれた顎」人それぞれが失ってゆくもの。また老いてゆくこと。しぐれるとともに沁みてくる。顎のひとつは死刑廃止論だが、もう一つの顎はそれを言い切れない深刻さがある。顎が「腐蝕」してしまっては何も噛めなくなって自滅へと突き進む。自覚がないだけに厄介である。「また春になる」上下の顎。絶妙の噛み合わせは信頼感ゆえなのだろう。
特選二句、偽装を重ね、責任のなすりあい。納得のいかぬ顎の向き。テレビや新聞のニュースからはいろいろ主張がされている。肯定できるものもあるが、明らかに胡散臭いもの、わがままなものが氾濫している。歯ごたえのあるものが噛めなくなってゆく顎。

 

■双眸課題吟「ペットボトル」2006年 柴崎昭雄選

佳作
ペットボトルの軽さと愛情の重さ  春口倭文子
空きペットボトルの山を振り向けぬ  八嶋栄助
真空ですかペットボトルのなかのなか  西浦小鹿
ペットボトルで悪を飲みくだす  前田芙巳代
十三階段へつづくペットボトルの滴り  高見宏子
変身を続けるペットボトルの夢  中木未香
ペットボトルの行方老人と海  佐藤俊一
ペットボトル獲得学徒動員  佐藤俊一
猫に捧げるペットボトルの乱反射  高見宏子
脳天揺れてペットボトルを離さない  中木未香
溺愛やペットボトルにしてしまい  伊藤我流
わたくしの手品ペットボトルの中の闇  高田和子
満たんのペットボトルと羊水と  流 奈美子
ペットボトルのロケットでいい平和論  中山恵子
転がしたペットボトルが沖へ向く  赤松ますみ
ペットボトルほどの軽さで生かされる  木暮健一
野たれ死の枯野に立っているボトル  森 朝日
ペットボトルの口を塞いだ春の月  本多洋子
晩年はペットボトルになるらしい  佐藤幸子
裸婦の形でペットボトルは捨てられる  舟橋 伸
ペットボトルしゃぶりつかれる愉悦する  宮本夢実

特選
ペットボトルたちの靖国参拝  北沢はまお
空っぽのペットボトルと深い呼吸  舟橋 伸

 佳作。枯野に立っても朽ちることのできぬ悲しみ。春の月も何かの口かもしれない。ペットボトルはちょっとやそっとでは朽ちはしない、頑丈な晩年。かつてのコカコーラの壜も女性の形だった。ちょっと露骨かも知れないが、「しゃぶりつかれる」、「愉悦」に、ペットボトルを超えた生身の生々しさを感じる。ペットボトルだからこそ、却って嫌らしさが無くていい。
特選。既製品のペットボトルのように特定の「靖国参拝」というレッテルを貼り、毅然と靖国神社へ参拝する。あるいは標榜する。やがては全く同じペットボトルが大量生産されてゆくかも知れない。深い呼吸によって、空っぽのペットボトルの虚無感が更に深化するように思えた。誰もが持っている負の息遣いとオーバーラップしてゆく気がした。

 

■川柳作品集「空の魚」 西田順治

家族日誌吹雪の夜に繙かれ
空青し絶筆となるその日さえ
踏切りを越えて紛れもない嗚咽

絶筆の句は、その言葉が持つ意味の重さを超えた、ある種の吹っ切れた爽快感さえ感じられる。「空青し」が現実の空でもあり、内なる光景でもあるように思えた。「その日」への不安感や恐怖心を乗り越えた達観の境地さえ感じる。十五歳から重い病と闘い続けている西田さんの強さでもあると思った。それは吹雪の夜に繙かれる「家族日誌」の温もり。踏切りを越え嗚咽するほどの試練を経験されたからこその表白。

ありふれた午後に銀河葬の予告
生き抜いて水槽に青空 空に魚
ひらひらと生きる痛点などはなく

「ありふれた午後」という何気ない設定がかえって現実味を帯びてくる。日中は見えない銀河での厳かな葬が妙に身近に思える。生き抜くことは容易いものではない。水槽の青空、空の魚の逆転に作者の自由な発想と無限の空への憧れを思う。痛点などはなくひらひらと生きる、の句もまた、その裏側にあるペーソスを感じずにはいられない。

少年に戻りたそうな空の魚
雪眩しいのちを惜しく思うとき
人工呼吸器と水惑星を生きている
からからな魂満たす海遥か
急流を恐れぬ母子舟光る

全身を使って勢いよく、力強く泳ぐ魚の感覚が、より生命力があり、活発な少年時代に重なったのだろうか。いのちを惜しむ思い。水惑星で生きる意味。魂を満たす海。それらはすべて繋がっているのだと思う。
作品集の最後、細川不凍氏が跋文の中で、
―句集『空の魚』は第一に母に捧げられるべき至純の書である。中略、「急流」という逆境を恐れずに、運命を共にしてきた母子の絆は強靭だ。「母子舟光る」と順治さんがすくやかに表白したのは、母への感謝の念いの顕われなのだ。―と述べられている。僕もその言葉に深い共感を覚えた。僕自身もそういう思いで創作をしているからである。西田さんの作品が多くの方に読まれることを心より願う。

(現代川柳「触光」掲載)

 

■句集「なつかしい呪文」 倉本朝世

家系図で包む大きな燐寸箱

この句の燐寸箱が血脈の根幹の存在を感じさせる。幾千本のマッチという魂が詰まった家族の器としての箱は脈々引き継がれてゆくのだろう。

焦げ臭い系譜を押せばくぼむ桃

焦げ臭い系譜とくぼむ桃の組み合わせには脱帽。綿々と続いてきた系譜へのある種の疑問だろうか。それは自分自身への問いかけに繋がるような気がする。くぼむ桃のイメージもうまく言葉にできないが「脆さ」が作者へと重なってくる。

命日の鍋をときどき掻き混ぜる

命日の鍋とは故人のいろいろな思い出、数多の記憶。掻き混ぜることで再び鮮明になってゆく。

空き家から大きな心音が漏れる

かつてそこに住んでいた家族の息遣い、生命の痕跡‥‥。もしかすると自分自身の心音そのものか。自分自身が生き続けている限り、心音は止まないのだろう。

化粧する修理不能のオルゴール

今でも、これからもずっと音を奏でたいオルゴール。如何なる修理をしても手立てはない。最後には化粧という魔法があった。強い人間性を感じる。

ラップごしだから戦争はなめらか

戦争を起こす人間はラップごしだから手も汚れない。この句の中の「なめらか」の言葉が鋭利な響きを持っている。

なつかしい呪文のようにエルサレム

聖地の魔力は心を惹きつける。生まれ変わったとしても、なつかしさは消えないだろう。いつの時代かエルサレムに居たのかもしれない。

 

■句集「ささめごと」 古俣麻子

さくらさくらひとり連れ去り咲く桜

桜といえば、どうしても別れのイメージが強い。大切な人との離別、死別。桜が咲くたびに大切な人への思いが蘇ってくるのだろう。

毀してもみたい卵をあたためる

可愛さのあまり齧りたくなるという心境か。大切に守ること、毀してみたいという両極の感情が、思いの強さを表している。

君がいて静止画像となる雑踏

静止画像に見える、それはその人しか見えていないという強い意識。雑踏の中でさえ、君だけはすぐに見分けることができる。

この子抱く抱かれたかったように抱く

子への思いと親への思いの複雑な親子関係を感じる。切なさと愛情の表白。

あやまちのひとつやふたつ夏野原

若気の至りもあるし、分かっていてもあやまちをおこすことは多々ある。それでもそれをも吹っ飛ばすパワーを感じる。夏の野原で手足を思いっ切り伸ばして人生を楽しんでいる印象。作者らしい一句だ。

 

■川柳文学コロキュウム発足三周年記念誌上川柳大会(20号)・柴崎昭雄選

特選 ビクターの犬を終日甘やかす  一戸涼子

人々の価値観の錯綜はますます極端になって行っているような気がする。がらくたと思えるモノが、誰かにとっては宝物であり、驚くような値が付いたり、グロテスクな生き物へ深い愛情を注いだりもする。「ビクターの犬」も一つの象徴として、人によっては溺愛の対象であることの喩えでもあると思う。ビクターの犬を甘やかす気持ちも分かる気がする。

秀逸 夏蜜柑ごろりやっぱり世間体  ひとり静

夏蜜柑の転がり具合にさえ世間体を気にする一方、ゴミ屋敷としてテレビで放送されている家もある。しかし、世間体を気にする人の方が圧倒的なのだろう。滑稽でもあり哀しくもある。

恥ずかしいものが詰まっている左脳

一般的に左脳は論理的で判断力をつかさどると言われている。それでも「恥ずかしいもの」が詰まっているのも事実である。教師や警察でさえ恥ずかしいことで逮捕される昨今、哀しいかな人間の真理を突いている句なのだ。

八月十五日 ラブホテル満室

日本は極端な少子化へと突き進んでいる。今頃になって国も焦っているが、戦前も別な意味で産めや増やせやを奨励していた。何となく、その当時と現代はリンクしている気もする。

地球儀がまるいと困る人がいる

世界情勢がますます怪しくなって来ている。その国の都合や利害によって、言いたいことを言い合っている。正当だと思って言っていることが、相手には不条理だったりする。きっと、国によって地球儀の形も違うのだろう。

回転ずしの皿から落ちてしまった父

父権の低下とともに、父親の立場はどんどん悪化するばかり。居場所さえなくなることもある。ペーソスとユーモアの入り混じった複雑な心境に句である。

 

■柳誌「しらゆき」第31号より雪炎集鑑賞・柴崎昭雄

私が住む町も同じ雪国ということで、しらゆきを開き雪の句、春を待ち望む句などを見つけるととてもうれしくなって親近感も湧いてくる。こういった地域の個性も大切にしてゆきたいと日頃から思っている。温暖化の影響か、降雪のバランスが崩れかけている。もしかすると数十年後には雪が降らない雪国も考えられる。それも杞憂に終ることを祈りつつ、未熟ながらも興味深く今回の鑑賞をさせていただいた。

さとうきび齧ると島唄が流れ  播本充子

その土地で育った植物は、その地の風土や記憶をも内に吸収しているのかもしれない。そこで育った人間も同様に思える。それらを口にする時、人々の営みも再生されるのではないか。

冬の雨百人ほどの愚痴になる  石川鮎郎

十人でもなく千人でもなく百人の愚痴がいい。一つの音としてイメージが湧いてくる。愚痴は北国の遠い春への鬱憤か、温暖化による異常気象への嘆きか。冬の雨は不安定な心理にも繋がると思う。

歩き出しそうな裸木春立ちぬ  谷沢けい子

言い得て妙で、そういう今にも歩きそうな裸木を見かけることがある。春になると、やがてその裸木は緑の服を着て、花のアクセサリーをつけるだろう。秋には紅葉のコートを着るかもしれない。

雪燃えて人のいのちに灯を点す  松田ていこ

雪国の人であれば、雪燃えて、をイメージできると思う。雪灯り、温かい雪、雪はその地に住む人々に様々な表情を見せる。雪は人の心をも燃え上がらせ、いのちに生きるための灯を点す。

コメディーに仕立て直しをする涙  北澤百代

涙をコメディーにしてしまうことはなかなかできないが、それができれば少々のことではへこたれない。この句そのものが、悲しさを吹き飛ばすようなコメディーに仕立て上げているから面白い。

陽炎の中の謎解きやめられぬ  吉本君枝

人間の好奇心はどこまでも旺盛かもしれない。大袈裟にいえば、広い意味での謎解きは生きる上での必須条件か。しかし、実態のない陽炎の中、となれば厄介な部分もある。陽炎に惑わされることも人間の性なのだろう。

ちちははの家遥かなる雪の嵩  井上文子

雪国の過疎化、高齢化は加速度的に進んでいて、政策が追いついていない。一世代前、二世代前の故郷は、遥かなる雪の中で眠っているのかもしれない。父母への思いと雪の嵩とのせめぎあいは切なくもある。

ドクダミは清しく咲いて人ぎらい  滋野さち

清しく生きるのもとてもしんどい。ドクダミも時に気を抜いて、破目をはずせば楽になるのに。しかし、そうした生き方しかできない場合もあるのだろう。切ないものだ。せめて、人を好きになれれば楽しい。

天国から聞こえる亡夫の応援歌  小出蕗女

天国からの応援歌ほど残された者にとって心強いことはない。生前のご主人との信頼関係が想像できる。きっと、お互いの絆は今でもしっかり繋がっているのだろう。

裏口をそっと開けとく母の愛  村山芳司

昔はそういう広い心で迎え入れてくれたり、逆に逃げ道を与えてくれるやさしい母がいた。それもまた子供を成長させる愛情の一つであろう。ほのぼのとした光景である。現代社会ではそういう愛も減少する危機感がある。

たわむれて姉と取り合う母の膝  蕪木奈嫁

まさしく微笑ましい光景。殆どの人が自分の子供の時と重ねあわせるだろう。逆に母親の立場から見ても微笑ましい。兄弟といえどもライバルである。

舌は一枚毅然と筋を通す  稲垣ひな子

一枚の舌が毅然と筋を通すのであれば文句の付けようもない。頑固一徹。曲がったことが大嫌い。そんな人物がイメージされて快い。

忙中閑銘菓で緑茶飲む夜中  佐藤 都

世の中は二十四時間動き続けている。一般的な生活の中にも浸透している。夜中であろうが美味しいお菓子とお茶でホッと一息つける時間があれば幸せである。それにしても、なぜか夜中に食べるものはとても美味しく感じる。

雪晴れて行き交う人の声弾む  村山英雄

ぶあつい雪雲から開放された時の爽快感は至福の瞬間でもある。青空を見上げるだけで気持ちも晴れやかになる。それだけ冬の雲はそこに住む人々に重圧感を与える。雪国の人々が忍耐強くなる理由が分かる。

褒めてやる姑の自慢をする嫁を  保坂 巌

人間関係をうまく結ぶコツがあるとすれば、褒めたり、自慢することも含まれると思う。誰かを素直に褒めたり自慢したりするのは新たなパワーを生むのかもしれない。この句に接すると不思議と誰かを褒めたくなってくる。

しんしんと修羅降り積もる雪の闇  宮 一能

雪の闇の部分も否定できない一つ世界だと思う。人間の力が及ばない世界があるという事実も人間には必要で、人間の無力さを実感することができるし、自然の存在を敬うことができる。

機の街雪街みんな人が好き  湯沢すみこ

人の声があふれ機の音が活気ある賑やかさをイメージさせる。みんな人が好きで、笑顔がたくさんあって、絵になる光景を想像するだけで生命力があふれて楽しくなる。

いゝひと日またネまたネと手を握る  星名ハルイ

「またネ」と手を握ることは、相手への感謝の気持ちや再び会うことへの願いなのだろう。一日の大切さを感じることは、生きる楽しみを増やすコツでもあると思う。「またネ」と手を握ってみると分かる筈。

雪の日は鬼千匹と対峙する  反り目恋昇

雪国に暮らしていると、雪は鬼にも般若にも見えてくる。しかし、それと対峙する知恵も持っている筈である。雪の日が続くと周囲に鬼が増えてゆく心境かもしれない。

クロスワードあとひとマスが埋まらない  村越勇気

そのじれったさが世の常である。クロスワードパズルは日常のあちこちに潜んでいる。升目を埋めるまでは油断禁物だ。

もったいないな故郷の見える丘  堀田芳枝

丘から景色をあの人にもこの人にも見せたい。その景色はその人が背負ってきた人生の風景でもあり、いつまでも変わらぬ思い出の故郷なのだろう。やがてその丘も人間の手が入る日がくるのだろうか。「もったいない」って素敵な言葉だ。

ほっこりと雪夜を照らす屋根の月  音羽響子

「ほっこり」の持つニュアンスがとてもあったかい気がする。雪夜を照らす屋根の月は、作者の心をホッとさせたのだろう。ほっこりのぬくもりが伝わってくるようだ。

三月だ予報がどんなに降ろうとも  清水一覚

本当に三月は心強い。雪の予報があろうが、しょせんは三月の雪。これが二月だったら大変なことだが、三月ともなれば雪の威力は低下する。春間近のよろこびの心境が垣間見られる。

緩やかに介護がじわじわ近づいて  譜音香流

誰にでも訪れる介護という現実。緩やかに、しかし、気付くといつの間にかすぐ側まで来ているかもしれない。安心できる状況であればいいが、そうもいかない現実に、この句の恐怖心が伝ってくる。

ふたありで歩けば雪にも彩がある  中村和星

人の心理とは不思議、同じ状況の中でも、相手がいると負が分散されたり、楽しさが二倍になったりする。雪に彩があってもいい。心強く、信頼し合えるふたりなのだろう。

スタートの線が記録を待っている  岡村照治

ものごとはやってみないと始まらない。結果ばかりを考えても仕方がない。記録を待っているスタートの線にユーモアを感じる。

故郷の燈火だんまり牡丹雪  高野キヨ子

故郷の燈火は静かに人々を見守っている。だんまりの静寂がよりいっそう牡丹雪の存在感を強調される。春の訪れも間近ことを知る。

ほろ酔いの背筋が伸びる寒の月  中沢光路

お酒でぽかぽかと温まった体も、冬の外に出るとその寒さに一気に酔いも覚める。ぞくぞくっとする背筋を伸ばすと凛とした寒の月が微笑んだ。

野越え山越えまだまだ越える坂がある  庭野花露

この前向きな一句元気をもらった。自分もまだまだ越える坂がいくつもあるのだ。まだまだこれから、そう思わせてくれる魅力がある。

向う岸でよかった並ばなくてもいい  西郷かの女

向う岸でよかったという安堵感が伝わってくる。いつかは向う岸のできごとが、すぐ側になるかもしれないが、並ぶことなくマイペースであればベストなのだ。繰り返し鑑賞すればするほど、深い一句であることが分かる。

 

■柳誌「しらゆき」第22号より雪炎集鑑賞・柴崎昭雄

間もなく雪が降り、北国には長い冬の季節が訪れる。新潟は日本有数の豪雪地帯であり、私が住んでいる青森と自然環境が似ていることもあって、とても親近感を覚える。遥か昔から日本海交易を通じてつながりがあるため、尚更身近に感じるのかもしれない。

しらゆきの雪国の独特の作風もいつも楽しみに、そして興味深く拝見させていただいている。

対岸に母はいますか ホタル飛ぶ  滋野さち

ホタルの光と魂のイメージが重なる時、対岸という彼岸に居る筈の、やさしかった母への思いが募ることを感じた。

真うしろに蝉の木があり影騒ぐ  大谷晋一郎

作者自身が背負っている生き様とも重なるような気がする。内面的な生命の木かもしれない。

真直ぐに立てば亡母の娘となるや  松田ていこ

凛とした亡母の姿を受け継いだのだろう。何か決意を秘めたものを感じる。そして母娘の強い絆も永遠であることを。

一本の螺子の律儀を疎んずる  井上文子

螺子に刻まれた溝の精密さが、人間の律儀さに通じる。精密さゆえ、律儀さゆえに生きにくい時もある。他人であれ自分自身であれ、疎ましくなる葛藤。

死ねないわ九月の雨がやさしくて  吉本君枝

ほんの些細なことで気持ちが動くことがある。何気ないことで救われることもある。九月の雨は誰かに似ていたのだろうか。

どのこが欲しい みんな無口なペットショップ  谷沢けい子

人間の都合でペットを選び、必要なければ捨ててしまう。人間のエゴはとどまるところを知らない。鋭い指摘である。

増税へ怒りませんかヒツジ達  稲垣ひな子

飼いならされたヒツジ達は、自分たちが置かれた状況に気づいていない。少しは怒ってもすぐに忘れてしまう。増税問題はやがて憲法問題へも転換するかもしれない。相手は手練手管の手品師である。

盆踊り済んでそろりと冬支度  反り目恋昇

北国は盆踊りのあとは急激に冬へと駆け足になる。果たして今冬は大雪か暖冬か心配は尽きない。

盂蘭盆や生まれ来し川遡上する  村山英雄

先祖や自分のルーツへとつながる盆の時期。その川を溯上するのも自分探しかもしれない。

妖精がそっと撫でてた合歓の花  湯沢すみこ

見方によっては、合歓の花は妖精が集まっているようなメルヘンチックな趣がある。妖精が撫でてたと言われても、その想像性がまんざら嘘ではないように思えてくる。

夕焼けの滲む白壁妻は病む  保坂 巌

夕焼けによって白い壁はだんだん赤くなり、やがては闇の中へと埋れてゆく。妻の病気への不安感や恐怖感と重なってゆく心理を思わずにはいられない。

結婚は見えぬギャンブルかも知れず  中村和星

確かに結婚は人生の中でも大きなギャンブルである。早々と諦めて解消するか、最初は大勝しても最後には大敗するか、負け続けていても、最後の最後に大きなどんでん返しがあるかは誰にも分からない。分からないから良いのかも知れない。

現実と夢織り混ぜて曼荼羅図  村山芳司

現実ばかりでは生きることに幻滅したり疲れてしまうかも知れない。僅かではあっても夢があることによって無限のパワーが生まれる。

ひとり住む日に幾度のありがとう  星名ハルイ

ほんの些細なことにも感謝の思いがあれば楽しくなるような気がする。当たり前のことが当たり前でないことに気づくと「ありがとう」と言える気がする。

神楽舞守って過疎を生き残り  堀田芳枝

地域の小さな祭りさえ後継者不足で存続が危ぶまれている。人口の一極集中が将来的にどうなるか心配でもある。過疎に生き残る人たちの表情が豊かな気がするのは私だけではないと思う。

おとうとにキスする姉の嬉しい瞳  村越勇気

姉弟の仲が良ければ良いほど、拉致事件の悲劇の傷は深くなるばかりである。「嬉しい瞳」にやりきれない思いが募る。

酔いどれの萬斎狂言月笑ふ  音羽響子

野村萬斎なのだろう。狂言の杯の飲み干し方、笑い方には独特の仕草や呼吸法があって狂言を一層面白くさせる。狂言の「棒しばり」を彷彿とさせる。

千鳥足約束事を置き忘れ  岡村照治

「置き忘れ」に何ともユーモアがあって良い。大事な約束なら大変だが、あとでも可能なことなら少々のことは許されそうな作者の眼差しを感じる。

インスタントに馴れて此の世を軽く生き  庭野花露

食べ物に関して、インスタントに馴れることの健康上のデメリットはかなり大きい。しかし、便利さに馴らされた今となっては、便利さを優先させてしまう。いつかその便利さ、手軽さのしっぺ返しがあるかも知れない。

毎日がドラマチックで疲れます  佐藤 都

毎日の事件や事故、出来事を伝えるニュースには驚かされる。ちょっとした小説やドラマなど到底敵わない。疲れることの多い現実の今後が思いやられる。

愛のほか何も知らない母でした  清水一覚

母の愛は与える無償の愛なのだろう。余計なコメントはいらないほど、読者に伝わってくる一句だと思う。そう言える作者も素敵だと思う。

つくり笑いのままピエロの突然死  宮 一能

生きにくい社会では、つくり笑いは一つの防御である。しかし、その防御を長く続けると誰にも気づかれないまま、自分でさえも気づかずに自分自身を蝕んでゆく危険もある。

どんぐりの森で駿馬となる少年  蕪木奈嫁

殺伐とした現代社会とは対比となる光景。のびのびとした時間が過ごせる環境にホッとさせられる思いである。

メッセージ託して雲の行方追う  中沢光路

雲ならずっと遠くまでメッセージを届けてくれるかも知れない。そう思うだけでも、ちょっぴり元気が出て来そうである。

弟の手術わたしの毒薬花となれ花となれ  西郷かの女

一つの祈りでもあると思う。花となれのリフレインが効果的に伝わってくる。肉親への深い思い、作者自身の境涯への凛とした姿勢が、この願いの言葉を生んだのだろう。

 

 

■角田古錐川柳句集「無伴奏組曲」(2006年秋・東奥日報紙掲載書評)

この度、角田古錐さんの川柳句集「無伴奏組曲」が上梓された。白い灯台が立つ岬の素朴な味わいの絵が表紙を飾っていて、春夏秋冬の四章で構成されている。また、各章の最初のページにある、それぞれの版画作品もとても味わい深く、優しさや力強さ、ほのぼのとした懐かしさを持っていて魅了する。

タイトルが「無伴奏組曲」であることから、古錐さんがかなりの音楽好きであることが伺える。写真や版画も長年のキャリアと、数々の入賞歴もお持ちである。音楽的リズム、写真や版画の対象物への確かな観察・洞察力と、それを自分の感覚で切り取り、伝える表現力。これらは川柳を創作する上でも重要で、それらを兼ね備えた古錐さんの豊かな感性は、自ずと作品に反映されている。

春うらら四分音符のバスに乗る

金魚ゆうらり妻が焼き芋買ってきた

春の章二句。四分音符のバスに乗る軽快さと、ゆうらり金魚の心境で妻の焼き芋を喜ぶ絶妙なユーモア。

遠い恋つるりつるりと心太

ひっそりと泣きたい夜にネブタ来る

夏の章二句。遠い恋とつるりと喉を通る心太の対比に、また、泣きたくてもネブタの賑やかさに感応してしまう津軽人の性としてのペーソスを感じる。

部屋中に仮面が並ぶ僕がならぶ

クシャミ一発こんな明るい月だった

秋の章二句。幾つもある仮面、どれも自分で、どれも自分ではないという葛藤。それを吹き飛ばすような一発のクシャミとあっけらかんと明るい月が微笑ましい。掲載句以外でも、人生の大先輩である古錐作品は懐が深く、伸び伸びと泳げる安心感がある。

電柱がずらっと並ぶ物忘れ

雪五尺読み終われない私小説

最後に冬の章二句。電気を伝えるための区切り区切りの電柱。あたかも不変ではない記憶のための神経細胞ニューロンのようでもある。これからも、古錐さんの雪五尺の私小説(作品世界)の続きを楽しみにしている。この句集のご一読をお奨めする次第である。

■金山英子句集「うたかた」より

片柳哲郎氏の序が金山さんの作品世界を丁寧に解説されていて、絶妙なコラボレーションとしてとても心に響いてきた。
特に好きな句。

曼荼羅や水の襞より生まれし 裸
忘恩や荒れ化野の水を飼う
母と頒かつ真水泥水籍半ば
ゆりかごも母もうつつよゆれやめば
はなびらと生まれし非なり春死なん
一椀の雨期とまどろむ父は凪
夢や七夜の父の肋に吊るランプ
突き上げる孤高の指や父ゆずり
十年を水語りして飢餓原野
月にほどよき坂よと姉の小面は
送り火は昨日 夜泣きの娘は二十才
いっせいに花は二十才の全山ピンク
父の忌のゆめか逢い急く水の靴
わたくしの赤を尽くして還らぬ幻月
かげろうはやさしく病んでわたくし忌

深い愛情、強い絆、過酷な運命‥‥作品が訴えかけるパワーに時間を忘れる。墨作二郎さんの跋文も愛情が感じられ、また、金山さんの歴史の一部分を拝見した思いがする。


 

■『永遠のぶらんこ乗りー「細川不凍集」を読んでー』

邑書林という主に俳句や短歌を得意としている出版社から、「セレクション柳人」シリーズが昨年2005年から続々と出版されている。川柳界にとってもとても画期的な企画である。そのシリーズの中の一冊として細川不凍集が刊行された。細川不凍ファンにとっては、「雪の褥」以来の待望の作品集である。一冊の中には第一句集「青い実」抄、第二句集「雪の褥」、第三句集として「凍裂」、そして散文と細川不凍論も収録されており、正に多くの方々が待ち望んでいた個人的作品集であるとともに、川柳資料的価値の高い一冊である。

第一句集「青い実」抄より

形に髭生え父母を煩わす
飛ぶ術を覚えて闇に放たれる
囮にされて口笛がよく吹ける
ガラスの指ふって一瞬の虹だった
振り返る術なし発車ベルを押す

 

 「人形に髭生え」の句は、ある意味、自分自身を冷静に客観視しているように感じられた。しかし、それでも生命力を持ち、そこには滔々と血が通っているのだ。私の母も私のことを、「手足は動かないのに、髭と爪だけは伸びるのが早い」が口癖のようになっている。闇の中での思考は鋭敏になりやすい。身体が思うままに行かない場合は尚更で、闇の中の思考を「飛ぶ術」とは言い得て妙である。「口笛」の句も、それに通じるところもあり、自分が置かれた状況の中で、心身が反比例することもある。ガラスの指さえ、もしかすると幻だったのかも知れないが、一瞬の虹に何か見出し、前へ進んで行くきっかけになることもある。作者にとって「発車ベル」は強制的なものだったかも知れない。前掲句の「虹」を秘めて、不凍氏の原点を見た気がした。
  今回の細川不凍集が刊行されるまで、「雪の褥」以前の不凍作品に触れることはできなかった。第一句集「青い実」の存在を知ってはいたが、「青い実」は既に入手することは困難だった。それ故、この度の細川不凍集に、第一句集「青い実」の作品が収録されたことは、不凍氏初期の作品を読みたかった私にとって、貴重な四十一句であり、念願叶ったわけである。おそらく、その気持ちは私だけではなく、多くの不凍ファンの念願でもあったと思う。
  細川不凍氏の存在を初めて知ったのは、私が川柳を始めて一、二年くらいの時で、かもしか川柳社に参加させていただいた頃だった。それは不凍氏の句集「雪の褥」に出会った瞬間でもあった。

第二句集「雪の褥」

「第一回川柳Z賞受賞作品」より
流氷接岸 心カタカナにして臥す
生き継いで濁音ばかり吐く枕
雪七日 音を無くしている楽器
蝶死んでわが眼球におさまりぬ
てのひらで隠せる月よ父の忌来る
ゆで卵ツルリと剥けて父の忌過ぐ
地球儀を回す力は残っている

 

 その後、また現在でも、「心カタカナにして」というフレーズが心から離れることはなかった。それはこれからも同じである。また、その繊細な表現は多くの人にずっと語り継がれると思う。血管の中を通る血液の流れる音、心臓が血液を血管へと送り込む音を拡大すると、まさにゴーゴーゴーという力強い濁音になる。生々しいほどの生き継ぐ音である。雪は音というものをことごとく吸収し、消し去ってしまうことがある。雪が七日も続けば気力さえも消耗する。楽器である自分の内面も同様に。蝶というもう一人の自分がそこにいる。その蝶の死(失われたもの)、それはもう一人の自分を封印することではないか。理不尽な死を遂げた蝶の破片は常に視界の中に存在する。
  てのひらで隠せる月。人の死も、肉親の死でさえ、いつかはてのひらで隠せるほどになってしまうのだろうか。それでもてのひらの向こう側の、その存在は消えることはない。ゆで卵の「ツルン」という感覚が、この句を読むと体をすり抜けるような気がした。その感触が妙に体内に残る。「地球儀を回す力」は、物理的な力もさることながら、精神力のことでもあると思いたい。そういう力はきっと何かを生み出す。

「雪の褥」より
台風一過 あとにさみしき男の歯
たましいはほつほつ点り木の痛み
川は枕の下を流れ きのうへながれ
炎昼のまっくらがりとなる傘か
喪服から蝶が生まれる蛇が生まれる
手花火のあとのしじまを妹と
冬たんぽぽひらく病母の睡りの中

 

 台風一過、必死で食いしばった男の歯の痕跡に誰も気づいてくれない、あるいは男の歯の存在さえ、すぐに忘れ去られてしまう。それでも男は、これからも歯を食いしばって行かなければならない。木は一筋の家系であろうか。その木に父、その父の父、また、母やその母の母。兄弟、その子供らのたましいは点り、やがて消えてゆく。「木の痛み」が、たましいが存在したことの証になる。
  歳月という川は留まることを知らず流れ続ける。もちろん、その流れを誰も止めることは出来ないが、記憶だけは逆へ流れることも出来る。昨日へ、子供の頃へ。炎昼の傘という、ある意味でナンセンスな取り合わせが、逆に人間の心理を衝いているように思えた。たとえまっくらがりになろうと、人の思いは説明のしようがない矛盾を孕むことが多いように思う。雨には役立つ傘は、炎昼では重苦しかったり、不安をもたらしたり、案外涼しかったりするのかも知れない。
  喪服から「蝶」や「蛇」が生まれるとは、人間が生まれ、生きて死ぬことの過程で、至極当然であると思う。この句は、人間の持つ様々な業の世界を鋭く指摘している。手花火の句はとても鮮明な情景が浮かんでくる。切なさもあるが、自分を支えてくれる「妹」という存在への様々な思いも溢れている。この句には解説の言葉はいらないと思う。たんぽぽの明るい黄色は心の内側からエネルギーを溢れさせてくれるような気がする。冬という季節であれば尚更である。病んでいる時でさえ、母の存在はそれほど大きいのである。

 私が「雪の褥」に出会った時、こんな力強く、やさしさや切なさを持った川柳もあるのかという衝撃を受けた。川柳を始めて間もない駆け出しの私に、川柳の奥深さを知るには十分過ぎる作品群であった。今回改めて読み返して、その当時の感動が蘇ってきた。その後、不凍氏とはご縁があって、「とまり木」、そして「新思潮」と、作品発表の場でご一緒させていただいている。柳誌が出る度に新しい不凍作品を拝見できること、これ以上のうれしいことはない。

第三句集「凍裂」より

点滴の海の向こうのいくさの火
老いすすむ人も夕日もでで虫も
どくだみの夕べつくづく人嫌い
男の骨は軽きものかな夜咄小咄
尋ね来るあなたも縷々と五七五
蝶は野へ男は沖へ身を捨てに
一病を得てより夏はだしぬけに
きみと逝きたし夏の終わりの喉仏
秋を漕ぐぶらんこ乗りは永遠に
桃すするわが口中のあべまりあ
光りたきひとと花野を見にゆかん
空拳となるかやすすきの隊列は

 

 この世にいくさの火が絶えることはなく、数え切れないほどの戦火に塗れている。また、それとは違った、自分自身や病と闘うといういくさもある。点滴の海と対峙した時、自分はどんないくさができるのだろうか。老いすすむ。初めて自分の体力の衰えに気づいたのは何時だったろうか。自分の小さな老いを意識するだけでもショックである。人だけではなく、夕日もでで虫も老いてゆく。しかし、真価を問われるのはそれからである。人嫌いになることは気にすることではないのかも知れない。しかし、そんな自分と葛藤している自分がいる。そんな自分に、どくだみが微笑んでくれたのではないか。男の骨の軽さは男自身が知っている。その虚しさは時に滑稽な語りになって、笑い合うこともある。
  尋ね来る友(同志)への気遣い、感謝、やさしさ、労わりの心境が満ち満ちている。五七五を通じての、またそれを超えた絆がある。蝶は野へ、男は沖へ身を捨てにゆく。そういう風に出来たなら本望であろう。自分らしさを貫き通すという意識がひしひしと伝わって来る。病んでみると季節感や時間的感覚が鈍ることがよくある。病室で過ごしたり、自宅での長期療養、人間関係の一時的な停止、外出などの物理的な制限や内面的なアンテナが、時に鋭敏に、時に狂ってしまうのかも知れない。そんなトラウマが夏をだしぬけに運んで来るのではないか。その夏への思いの中で、心にいつまでも消えない人の存在もあるのか。「きみ」という一生消えない存在が、夏とオーバーラップする。
  「秋を漕ぐぶらんこ乗り」、不凍作品の中でも私が特に好きな一句である。この颯爽とぶらんこを漕ぐ姿は、人間の持つすべての感情、強さ弱さ、喜怒哀楽を受けれつつも永遠に漕ぎ続ける心の強さを持っているような気がする。桃をすする行為に、強烈な生命力とエロティシズムを感じた。その力強さと「口中のあべまりあ」が対照的ではあるが、どちらも生きる者の根源を言い得ているようでドキリとさせられた。
   「光りたきひと」にしばらく思いを巡らせてみる。それは生きる上での、身の内にほんの僅かでも、光の兆しではあっても、それを持っている人ではないかと思った。そういう意識を持っているだけでも、「光りたきひと」ではないか。そして作者、読者それぞれが心に秘めている人ではないだろうか。
   「空拳」とは、「くうけん」と読み、「手に何も持たず拳だけが頼りとなること。からて。すで」のことだという。芒に覆われた道を通ると、芒の穂が空拳よろしく、隊列となって通る者を打ち付けるのだろうか。その設定がとても面白く、やがて恐ろしくさえ思えて来る。世の中にはそれとオーバーラップすることがけっこう多い。
  不凍氏は私にとって川柳作家としての大きな目標である。境涯が似ているからというわけではなく、それ以外の面での影響の方が大きく、川柳に対する誠実さなど、多くの刺激やアドバイスをいただいている。

もののふであれと未明の凍裂は
月光淡し父の行年近づけば
ぐるり雪家霊ばかり肥えてきて
水いらずの茣蓙をひろげて待つさくら
家族とや夕焼け小焼けの赤まんま
寧日の父なよなよと髭ありぬ
ダイヤモンドダスト父の遺言のいまさらに
元旦の樹のてっぺんに置くいのち
生の章綴るや真夜の朴念人
駱駝倒るかのあこがれの空閉じて
身の果ての星はありけりうたありけり

 

 もののふであれと凍裂は叱咤激励する。極限の気象条件のもとに起こる凍裂と、精神性の高さの結びつきに気持ちが引き締まる思いがする。第三句集のタイトルの「凍裂」に、作者の凛とした思いが込められているのが分かる。父の行年に近づくことは、その年齢時の父がどんな考えを持っていたかを、ほんの少しでも確かめることが出来るような気がする。あの時の父は、こんなことを考えていたのではないか‥‥と。自分自身が年齢を重ねることで、見えて来るもの、気づかされることが多くなって来る。淡い月光に心が安らぐ。
  不凍氏は「北緯43度より」の最後で、〈ぐるり雪家霊ばかり肥えてきて〉の句について、「積もりに積もった雪を見ていると、時間が停滞し、やがて逆行していくのを覚える。そして、自分の躰の奥深い処に潜んでいる遠い記憶のようなものが、一つの風景となって蘇る。自分の生きざまを通して雪を見ることの多い僕だが、近頃は雪を通して人生を見ることの大切さを感じるようになった」と触れている。この句と文章を読んで、不凍氏の躰の奥深い処に秘めた、精神風土の毅然とした姿勢を見ることが出来た。それは読者にとっても、良い意味でシンクロされてゆく部分でもあるのではないか。
  「水いらずの茣蓙をひろげて」には、現世の家族はもちろんのこと、彼岸の親族一同の束の間の「水いらず」という意味が含まれている気がする。北国のさくらの季節は待ち遠しいものである。赤まんまのつぶつぶの花は、あたかも家族が寄り添っているようにも見える。夕焼け小焼けの中の家族の団欒が脳裏に浮かぶ。
  寧日の父は、とても穏やかでやさしい表情なのだろう。そして痛いような、くすぐったいような髭の感触さえ蘇る。そして自分の顎にも手をやって確かめてみる。なよなよと髭がある。ダイヤモンドダスト、気温がマイナス十五〜二十度くらいになり、よく晴れていて風がほとんどないような、冬のとても寒い日、空気中の氷の結晶に太陽の光りが当たり、ダイヤモンドのように輝いて見えることから、こう呼ばれている。胸の中で父の遺言もキラキラと輝き、存在感を増す時があるのだろう。
  「元旦の樹のてっぺん」にいのちを置く、それだけでも私は清々しい気持ちになった。この一句の中にそんな力が秘められている気がした。生の章を綴る朴念人とは、これほど不器用ながらも必死に生きている姿勢はないと思った。共感を覚える。駱駝は長い長い過酷な旅をして来た。いくつもの困難さえあった。それでもあこがれの空があったから旅を続けてこられた。たとえそこへ辿り着けなくとも果てない空は確かにあったのだ。身の果ての星があり、うたがあり、そして一歩一歩進み続ける。


  散文として収録された、「現代川柳の病巣」、「いま自己啓発を」、「北緯43度より」の三篇を読むと、不凍氏の川柳に対する誠実な姿勢、自分自身への厳しいまでの真っ直ぐな態度、文学への造詣の深さが伝わって来る。「現代川柳の病巣」では、他ジャンルを含めた川柳界の現状を分析し、作品内容の軽さ、作句者の眼差しの浅さを指摘しているし、「いま自己啓発を」でも、創作上の作者自身の自己の捉え方のこれからを懸念している。「北緯43度より」は、氏の自己への表現者としての眼差しが向けられている。
  そして読み終えると、不凍氏の言葉を通じて、読者自身の川柳に対する思いが具体的な形となって見えて来ると思う。きっと、それぞれが違った印象や考えを持つと思うが、必ず川柳を続ける上でプラスになる筈である。
  最後に次の句について一言。

秋を漕ぐぶらんこ乗りは永遠に

 私 が以前、川柳木馬誌が特集している昭和二桁生まれの作家群像に取り上げていただいた時、この句を愛誦句として挙げたところ、後日、不凍氏直筆の、この句の色紙が届いて驚いた。そのお心遣いに私は大いに感激し、興奮したのを今でも忘れることが出来ない。それ以来、その色紙は私の宝物であり、いつも私の側に置かせていただいている。改めて御礼申し上げ次第である。不凍氏の作品集について書く機会を与えていただき大変光栄です。ありがとうございました。そして沢山の方に細川不凍集を読んでいただきたいと思う。

(現代川柳「双眸」掲載)


 

■本間美千子川柳作品集

「暴れていい?」
雲がまっしろだからうつむいて――おんな
・潔白、表白、自白、明白、空白。白はある意味で圧迫感を持っているのではないか。道徳的、正義、晒す。私もうつむいてしまうかも知れない。

遠い国のあかい血を見たうたにした
・「うた」の力は無限。あの「あかい血」を伝えなければ。ただただ、伝えなければ‥‥。

にはか雪 花ぬすびとは素手さらす
難産で産んだと聞いてから嫉妬
冬にもやす恋いはマッチの火でなけりゃ

・本当の温もりを持った炎。木が燃えて、体の芯まで温もる火。偽りのない真の火。

あなたよりあなたを知った厳冬に
祈りの掌 おんなでなければならない掌
かまえれば嘘のたしかさナイフの柄

・何と対峙したのだろう。自分自身だろうか。ナイフの柄の感触に愕然とし、安堵もしたのだろうか。たとえ嘘であっても、確かなものならば、受け止めることができる。

十字切る 玩具を持たぬ児に似せて
恋うゆえの坂の途中の流人塚
冬の藻のたゆたい 何処にかくす鍵
共有の 白い帽子は よこしまな

・よこしまな心の共有は、より強い絆を築くだろう。白い帽子に次々と詰め込まれるよこしまなものは、共有する者同士だけのものなのだから。

鳩の死かこんでムカシのハナシしましょうか
・鳩の死でも悲しむ人がいるかも知れない。自分の死でも、こうして囲んで昔話をしてくれるのだろうか‥‥。大切な人なら、囲んで話をしよう。

「花芯のおわり」
人間は笑えるものよ乳房喪失
ひとりのゲームなくなる乳首ツンと在る
ひとりぼっちは残る乳房に続く肌
ブランコゆれ乳房がゆれて眠りにつく
「朱」
倒れては たおれては他人でない疼痛

・他人ではない疼痛ゆえのもどかしさ、疼痛以上の苦痛を与えるのでしょうか。

解かれれば鈴の音色を踏みあるく
割れてしまう爪のまだまだ桜色
延命と花ぬすびとはおなじ罪
不発弾かぞえる 残り火貯える
人恋の笛の鳴らない二度の暗

・生と死と向き合った時の心の葛藤は、その人でなければ計り知ることは出来ない。自分の持っている死生観で作品と対峙するだけしか出来ない。それでも、割れてしまう桜色の爪、延命と花、不発弾、人恋の笛、それぞれが放つ切ない思いが伝わってくる。

「対の毬」
恋慕空間つちふまずから響いてくる

・「恋慕」のちょっとくすぐったいような感触が、つちふまずから伝わってきそうです。

いのちごいのうた 恋猫記 麦の秋
遠ければ恋いうらないの沙羅の月
ほんとうの竹に花咲く五月逝く
手花火のてもとはたしかひと恋し
知るべくして知る水たまり逢いたさの
いっしんが美しければ対の毬
うた断ちぬ一刻もまたひと恋し
画く遺言同行二人の花いばら

・恋の句からは、素直でストレートな気持ちが伝わって来て、切ない恋心でありながら、人を恋うパワーが、とても小気味良いです。

「オウオウと」
オウオウとうすくらがりを吸う樹液

・オウオウは、生きる叫びだろうか。力の限り、生きようとする声なのだろうか。うすくらがりを吸い尽くし、光へと向かうように。

円周をなぞって手あかかぞえうた
背中あわせで鳩のかたちになる夫婦
母の沼の光りにかざすたなごころ
石段の途中で暮れたジャンケンポン

・まだ時間が必要で、まだジャンケンは終わっていなくて、まだ石段の途中なのだ。まだ続けなければならないのだ。まだまだ生きているのだ。
ひとり寝のけしより尖る朱を拾う
聖母マリアの棲まない室にしずくして

「句会など 壱」
だんだん女になってゆくコマネチの微笑

・女になってゆくことのある種の喪失感。その代わりに微笑という鎧が必要になってくる。

折れ釘のちらかる部屋のなまぐさき
・折れ釘は何の残滓だろうか。生きるために曝け出して来た人間の部分か。きっと、人間が孕んでいる獣の部分だろう。

「真水」
真水真闇そろそろほうり出す一生

・川柳集の中にある一連の「真水」は血に近い意味を持っているのではないか。限りなく純粋に近く、深い意識の世界。それゆえに、真闇も同等の深さを持っている。

泣きたい人形の坂を転げて行く速度
・堪えていたものが崩れ出すと転がるだけ転がるしかなくなる。ちょっとやそっとでは止めることの出来ない速度。

ガラスの命に似せて嘘つく五月闇
善と悪と一蓮托生こぼれ笑み
へたな芝居で確かめられぬ仏の冷え

・仏の冷えとは‥‥。それを確かめるためには、並大抵な覚悟ではできない。自らの命をかけるほどの思いが必要なのかも知れない。深読みなのだろうか。

夫婦黙って時刻を見送るかっての祭り
・かつての祭り。それが華やかであればあるほど、楽しければ楽しいほど、黙って見送ることのやり切れなさは計りきれない。夫婦であれば、尚更である。

秋落日 神業ならば逃げ切れず
なぜ今がすべてと問われ茄子の紺
あそびうた だれかの告げ口だから薄暮

「句会など 弐」
十年過ぎた十人逝った目ざまし鳴る

・行き続けることのある種の苦痛なのだろう。生きることは何かに従わなければならないことだと、時々思わされる。

真水の寓話はおまえが産まれた日の寓話
・人が産まれることは何か意味づけがされている気がする。それぞれが寓話を引きずっているのかも。

五月かな薄暮にかかる血の流れ
水の性火の性終るまでひとり
自己愛というものそうめん茹で上げる
一病息災夢見る夢子さんの靴を

・ピカピカでとても素敵な靴。でも、一度も履かれたことのない真新しい靴。これからも履かれることがない靴。そんな儚さを持った靴、そんな気がしてならない。

好きに生きたらええやんあさがお咲くあいだ
・咲く時間が限られているあさがおゆえの、凝縮された「生」を強く感じる。


 

■二宮茂男川柳絵句集「この指にとまって幸せだったかい」より

この指にとまって幸せだったかい
思わず「はい」と返事したくなります。あたたかい句です。

振る度に大きくなっていく尻尾
一滴の涙で育つ思いやり
すぐ笑う鬼と笑わぬ仏様

・振っていると更に大きく振ってしまい、エスカレートしてゆくのが人間の心理です。涙を知ることで、優しくなったり、思いやりを持つことができるのですね。笑う鬼と笑わぬ仏様、逆もまた真なりですね。この句にはユーモアがあります。

思い出を束ねてのびている輪ゴム
結論が先で待ってる男坂
生まれ出る拳の中の小宇宙

・うれしかったこと、辛かったこと、それらを束ねる輪ゴムは伸びて行っているのですね。幸せを束ねる輪ゴムならいくら伸びても良いです。男坂も拳の中の小宇宙も、男のペーソスなのでしょう。

揺れる世を真っ直ぐに来る千鳥足
永遠の愛に浸かった大欠伸
突っ張った骨ひたひたの酒二合

・ 千鳥足の逆説的な表現と風刺が面白いです。大欠伸も大切なことですね。何事もちょうど良い酒二合(笑)。

どこまでも濁らずにいるイロハニホ
かあさんの嘘にはいつか花が咲く
永久に不滅我が家の卵焼き

・イロハニホは、ある意味、健康体だと思いました。かあさんの花が咲く時は、偉大さに気づく時でもあるのですね、きっと。不滅な卵焼きもまた誇れる宝です。

五十年泳いで妻の手に還る
どこからかいい風が来る自由席
きっかけを二人であける缶ビール

・妻の手の頼もしさに気づいたのはいつだったのだろう。これからも頼もしい限り。いい風に気づくことは、とても大切で必要なことですね。気づかない人が沢山いる。缶ビールは平和と友情の印!

好きだから少し離れて席を取る
いい風に乗ったいつもと違うボク
柔らかくなって弾んでみたい石

・本当に好きだと言葉も出ないこともある。近過ぎるとうれしくもあり、苦しくもある。いつもと違う僕の表情が見えるようです。自分にないものに憧れるのも人間の常です。

茶柱が立った二人の鉢合わせ
変わらなきゃ嫌な自分とにらめっこ
運命線の上を酔っ払って歩く

・鉢合わせの二人は思わず笑いあったのかも知れないですね。ユーモアですね。自分とのにらめっこもけっこう新鮮かも。酔っ払いはそれなりに上手く歩くもので、意外と安心して渡りきると思います。

もう起きぬ母を起こしている時計
楽しかったことは内緒の空財布
骨壷へもぐる最後の隠し芸
愉しみな明日が歩いてやって来る

・いつもいた母はもう起きない。時計という設定がより悲しいです。内緒の空財布には楽しい思い出が詰まっている。切ない隠し芸ですね‥‥。でも、その人らしくもあるのでしょう。明日が歩いてやってくる、前向きなユーモアが大好きです!


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