川柳の偉人たち

・川柳界の偉大な、先達者たち。


■川上三太郎

・明治24年1月3日生まれる。本名・幾次郎。
・大正3年、吉川雉子郎(後の作家・吉川英治)と共に『大正川柳』の編集に携わる。吉川雉子郎とは親密な交流が長く続く。
・昭和5年、国民川柳会(昭和8年、川柳研究社と改称)を創設、『国民川柳会報』(『川柳研究』の前身)を発刊。
・読売新聞時事川柳欄をはじめ、多数の選者をつとめた。

・『孤独地蔵』、『雨ぞ降る』、『おそれざんぴんく』などの代作があり、句集『天気晴朗』は、門下生にとってバイブル的な名著であった。また、詩人・高村光太郎にも支持されていた。
・昭和43年12月26日、心筋梗塞のため死去。
「鴉の子わたしは月の泣き黒子」が絶筆となった。
・現在の川柳界でご活躍されている川柳作家の多くは、川上三太郎から大きな影響を受けていて、また、その次の世代へと受け継がれている。

・新潟県十日町市智泉寺山門脇に《しらゆきがふるふるふるさとのさけぞ》、そして、青森県の龍飛岬には《龍飛岬立てば風浪四季を咬む》の句碑がある。