川柳語録集

・川柳に関わって行く上で、あるいは川柳に興味を持つ上で、先達者の言葉(名言)には興味深いものがあります。ここでは私が知る限りの先達者の有意義で貴重な言葉(名言)を紹介して行きたいと思います。週?単位で少しずつ増やして行く積もりです。一部旧仮名遣いです。(1997年12月12日)

 


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■どんな作品でも必ずどこかに道化の魂を込めていなければ、作品として落ち着かない思いがするのである。  古谷 恭一


■言葉の向こうにあるものを鑑賞者に伝達できなければ意味がないのかもしれないが、より多くの読者を得るために書いているわけでもない。文学性の追求や大衆性を意識することより、内面エネルギーの発散が勝る時期もあるのだ。文学の凱歌とはどこかに痛みを伴うものである。  清水かおり


■すぐれた詩には常に対立するイメージや概念の相克があって、暗示的に述べられているという。愛や憎しみ、生と死、永遠と一瞬、美と醜などが多くの抒情詩のテーマである。一句においても、いかに対立関係にあるものを巧く配合するか、が秀句の条件であろう。  古谷 恭一


■川柳は人間の知性、悟性よりも、むしろ人間の想と像を通して実現されるものであるし、それは言語表象を通して形式が生み出す一種独特の美をもっていると思う。  片柳 哲郎


■作品の背景を想像し、そこから独自の世界を広げていく、この瞬間がたまらなくいとおしい。結果として何か形に残せたら、こんな幸せなことはないだろう。  山本 三香子


■現実の一点との係わりを残したいというのが、私の川柳観であり、逆にそれは、私の川柳の限界でもある。  岡田 俊介


■私達が肉体を得るまで何百年、何千年と「生命の核」の進化を目指しながら宇宙を彷徨い、更に胎内にいるとき記録された絶対的価値の論理「生命の核」の中で性の選択を自ら行うと言われている。そして誕生後の人生のプログラムを自身で作製するという。こうしてみると私達は自分で作ったプログラムの純粋な絶対的価値の中で川柳を書かなければならない宿命を負うているのだと思えてくる。  伊藤 律


■発熱するエネルギー源は内へ内へと「個」「孤」の世界へと迷い、この詩型を毀つけ己を毀わす哀しみを噛みしめている。川柳は真に曲者で退治できないのは私だけであろうか。  伊藤 律


■わたしのいうプロというのは、それで食うとか食わないとかいうこととは別の、作者としての純粋性のことです。  尾藤 三柳


■川柳が、作る楽しみだけを先行させて、作品そのものの文学的価値を高めようとする努力に欠けるのは、よく言えばアマチュアリズム、くだいて言えば娯楽追求、これでは作品が客観的鑑賞に耐えられる純粋性を獲得することは難しい。  尾藤 三柳


■技巧とは、飾ることではない むしろ飾らぬこと 若しくは飾ってはならぬことである  川上三太郎


■句会が川柳作品発表の唯一の場だと考えるなら、その選者は常に良い作品の書ける実力作家でなくてはならない。良い作品を選出する力は指導力でもあるから大事と思って欲しい。  墨 作二郎


■(再び!言う!)川柳は誰にでも出きる だから誰にでも出きる川柳は書いても無駄であり 書いてはならぬ  川上三太郎


■川柳でいちばん良い句は「平明で深い」句だと信じています。わかりやすい言葉で奥深いことを言い表すのは、とてもむつかしいことだからです。  新家 完司


■よい批評家であるためには詩人でなければならない‥中略‥詩人の多い文芸ジャンルで批評家も評論家も居ないのは川柳界だけであって、川柳家に限って暗中模索が永遠につづくのであろうか。  片柳 哲郎


■俳句・短歌・詩・小説すべての分野に心通う友がいてくれる。ジャンルは異にしても、たちまち相通ずるものは正常な狂いの精神ではないかと思う。‥‥子を愛し、孫の誕生に涙する人間の営みの中で、「私」という個を失わない生きざまを友に見るとき、私はいのちが躍動するのを覚える。凡にして狂たる世界が私には安住の場所である。  時実 新子


■私らは、川柳の黎明は川柳人各自の黎明であることを強く意識したい。そして川柳を作る前に、まず私の頭を黎明の清気に洗礼させねばならぬ。そこに詩の世界の序幕があり、芸術の展開があると信ずる。  田中五呂八


■人の生き方は百人百様であるわけですが、その源流にはその人の心が係わっているのです。事の善悪、ものの美醜、哀しみの深浅等々その人の基準があるのです。その基準の線上で揺れながら生きて、そこに生涯と言う作品が書かれるのです。  鈴木 宏


■作品は、自由な発想で柔軟に書かれてよいだろうと思う。言葉を換えれば、個性溢れた感性を作品に生かしていただきたいと思うのである。これまで多かった<つくりごと>や<正義めいたこと>から、少しは濁っているかもしれないけれど、<ほんとう>を。  渡辺 和尾


■川柳は発見の詩である。その発見、事柄の発見、表現の発見。その発見をするのがうがちの視線である。それ故に川柳はうがちの詩である。思いに流されてはいけない。思いの中で立ち止まるとき、うがちの眼が生き発見がある。  八坂 俊生


■ありのままを生きることと、生きとし生けるものへの愛情を持ち続けたい。それが川柳の心だと信じるから。  山崎夫美子


■川柳を書く人間は何らかの凶器を隠し持っているものだと思う。  倉本朝世


■自己を主観、客観の目で刻んでゆく、自分をうたうのである。それが江戸から現代へつながってきた川柳の形である。そして今、その形が大きくふくらんできている。自己と闘っていく方向、そこから新しい風と希望を見ることができる。風に向かう柳人を見た。  佐藤 岳俊


■川柳を作るといふ事をするには、先づ見聞を廣く深く、時代を察知先行し、常にわが耳と眼を働かせて、わが魂をみがくにあります。言ひ換えれば自己完成であります。  川上三太郎


■俳人の鈴木真砂女は、朝、鏡台の前に座っていると突然句が浮かぶと言い、黛まどかは、私はシャンプーをしているときなんですよ、と言う。川柳家はどんな時に句が生まれると言うのだろう。  八坂 俊生


■次々と句集が出版されている。川柳誌などで、ばらばらに発表されている句も一本に纏め上げるとその作家像が鮮明になってくる。  宮崎 慶子


■俳人飯田龍太に「一月の川一月の谷の中」という名句がある。それを僕は最近まで「一月の谷一月の川流る」と記憶していた。俳句と川柳の呼吸法の違いを改めて認識させられたが、断定的に言い切ってしまおうとする習性が僕には身についてしまったようだ。 細川 不凍


■「もの」であれ「こと」であれ、一句の主題とするからには、当然ながらそこに葛藤が生じてくる。その瞬時の心象が、作品の存在価値に響いてくるのは必定であろう。  須田 尚美


■二十数年前の私の課題吟選句を見て、今の目との違いに驚いたり、情け無く思ったり。特選に選んだ句よりも、秀句・佳作の中に超える句があった。その時々に懸命に選をしていたことだけは確かだが、もっともっと心して選をしなければと思い知らされた。  佐藤加津郎


■川柳が変化していると思えてから十数年も過ぎた。だが変化したのではなく敷かれたレールを何かを発見するために走っていた事に気づいている。  工藤 寿久


■選は難しい。その時々の体調、心情によって微妙に変わるからだ。古い抒情句も好きだが、やはり求めたいのは「いま」を詠った句。格調高い句もいいが、ナリ振り構わず突っ走る、多少破調でもイキのいい句が見たい。  吉田 健治


■いのちとは形ではなく「こころ」であったのだ。川柳もまた「こころ」である。ならば川柳は、それを「いのち」として、にっちもさっちもいかなくなった人だけのものになるかも知れない。そして、そういう人が殖えてゆく予感がある。  時実 新子


■比喩は一般詩壇に於ても、試作の一大要素になってるやうだが、川柳のやうな短詩型芸術にこれを取り入れる時には、余程警抜な詩眼を働かせない限り、多くは平盤なる写実主義に堕し易い。 田中 五呂八


■私は現代の川柳も化粧された「もの」の発生ではなく、「生」の発生であって欲しいと願う気持ちが強いのである。 片柳哲郎


■五年経っても自選のできる人は数えるほどしかいない。それは、自分を他人視するきびしい目の欠如からきているようだ。 時実新子


■作品の無限な喚起力は、もっとも個性的でありながら、普遍性を保っていて、しかも美から脱れなかった作品に限られていると思う。 片柳哲郎


■「先生」、「二人の先生を持たなければいけない。一人の先生についている限り、一生、生徒で終わるだろう。伝統と革新の二つを、よく判断する事で深い学びが生れる」━━時々、こんな古い文章を想い出すのは、多分歳のせいだろう。  中村 冨二


■五七五調だけが十七音字詩ではない。八九調もあり、九八調もあり得るだろう。更に、五五七もあれば七五五もあり‥‥内容によって韻律的な表現はそれぞれに違って来るが、同じく十七音字を基調とする点では何ら変わりないのである。  田中五呂八


■「抵抗」、単に古いとか、新しいだけでは全く意味がない。古いものが、いかに新しいものに抵抗しているか、或いは新しいものが、いかに古いものに抵抗しているか、でなければつまらない。 中村 冨二


■詩的感動のまま表現して表現衝動を抑え、自我を抑制して自己鍛錬することはむずかしいこと。作品は新しいことに価値があるのではなく、生命があってこそ価値をなすものと思っている。  西条 真紀


■詩は魂の救済を担うものだと言うが、抒情は現実と自己の間の断絶を埋め、自己の内部にある分裂を統一する働きがあるのだと学ぶのだが、傷ついた魂の底の叫び、<叫びとは最も生命的な声>が神を呼ぶ声だとすると、私は詩性に一歩でも近づきたい。  西条 真紀


■川柳は我々川柳作家に不断の努力とさまざまな試行錯誤を求めているのである。逆に我々がそれらを怠ったとき、作品は物言わぬ木石と化して、命の通わぬ低レベル作品の大量生産を強いることになる。  井出  節


■川柳作家の努力と情熱と才能があれば、十七文字の中に森羅万象を描き、天上の神仏から地獄の悪鬼羅刹にまでなりきることが出来る  井出 節


■書き始めてから今まで変わらないのは、私にとって川柳は祈りみたいなものだということ。形として、言葉として、積んだ句たちは現実から逃避し、住む世界とは別のものであるけれど。  吉田 州花


■ひとり暮らしを余儀なくされてからの創作であることを思うと、「自身への癒し」であったように思う。けれどその″癒し″と思われた創作から逃げたいと考えた事もあることから、″こうでありたい″と言う理想とは別に、″まだ解らない″と言うのが正直なところである。 板東 弘子


■短詩が私性の文学であると思うとき、自然の中におのずから人間が完在し、人間の心にまたおのずからなる自然の営みがあるように、自然と人生が溶け合ったところへ行きつきたいと願っている。しかし、それは至難の業と言うもの‥‥と自問している。  板東 弘子


■自分のことを他人に知られたくないという願望が私の奥深くにある‥‥なるべく隠そうとしていて、とどのつまりさらけ出すに至っている。  岡田 俊介


■私の川柳はひらきなおりの川柳であり、そしてまた、私と妻の生きてきた道も、ひらきなおりの人生であるかも知れない。  長町 一吠


■私の川柳への憧憬はこうした最もドロドロしたニンゲン臭のなかにあり、今日も傷つき明日も傷つきながら生きてゆくであろう弱いニンゲンの痛みのなかに、私の川柳に対する憧憬はある。  長町 一吠


■現代川柳の砦は、一人一人の作家が発展させねばならないのであり、現代の手法で現代を捉える現代川柳を実践してゆかねばならないのである。比喩はその有力な手がかりとなる。  岡田 俊介


■俳句では書き切れないところを詠む、例えば、生きて有る事の不可解さ、不気味さ、奇妙さ、あいまいさなどが書けるのも川柳の特質である。  樋口由紀子


■自分の句はいつも自分のものでなければならぬ 然しまたいつも自分のもののみであってはならぬ  川上 三太郎


■どのジャンルが優れていて、どのジャンルが下であると断ずる権利や資格は誰にも無い筈です。いい作品かどうか、あるいはひたむきな思いが作品として過不足無く成立しているか、作家として未来を見据えているか、大切なのはそれだけだと思うのです。  櫂 未知子


■川柳のたのしさは読むことより作ることにある。そして読者の気持ちになって川柳を作ることに真の楽しさがある。  斎藤 大雄


■川柳は人口が沢山ある。どこからでも入れる。だが出口はたつた一つだ。それは更に君の生命の中に入って行く事である。  川上 三太郎


■僕は感動を得たいがために川柳をやっているのだ。  細川 不凍


■自分自身を知ることは最も困難であるという立言は、今もなお通用している。自己形成は自分自身を知る手立てになるもの、その自己形成に苦しみ、悩む姿に、僕は人間らしさを見、そこから生まれる川柳作品に、なんとも言えない愛着を感じるのである。  細川 不凍


■ことさらに誇張された悲劇性や、美化された私性に言葉を費やすのではなく、抑制の効いた少ない言葉によって、一つの言語空間を構築し、そこに人間存在のリアリティを持つ、作者固有の定型空間を作りだすことが創作であり、そこに川柳形式とせめぎあう醍醐味があるのではないだろうか。  石部  明


■私たちは与えられた形式と言葉を、あまりにも浪費し過ぎてはいないだろうか。一つの作品としての言語表現である以上、そこに伝達性を否定する根拠は何もないが、慎むべきは言葉の浪費である。言葉の意味によって、より多くの人に解る句を書こうとする意図が、川柳形式のもつ想像力と跳躍性を破棄する言葉の多様となり、饒舌な作品の氾濫という現象につながっているのではないか。  石部 明


■十七(音)字詩はまことに短い。そして世界詩壇においても稀にみる特異な最短詩型である。その点で「詩は短きをもってよしとする」と言ったポオの言葉を真理とするならば、詩の純粋なものは、ついに十七(音)字詩にまで要約される象徴の究極的原理であるかも知れない。  田中五呂八


■いのちの限り咲きつづける。ライバルは自分自身。誰それさんがどう言おうと咲き切ってみせる。それが私の川柳である。「いのち」が何よりも重く美しいものなら「川柳」もまたそうである。  時実 新子


■「選句について」
作品は理解出来ても川柳とは何か、川柳をいかに読むべきかの疑問に答えはない。それは一人一人が悟るべきであって、その正解が句会の何処かに落ちているという自信はボクにはない。  中村冨二


■「離合集散はすべからく華やかなるべし」との古語がある。句会が華やかかどうかは別として祭りのあとの哀しみは個人のものであり、ボクにとって句会は悪いものではない。逢うては別れる足跡に、挨拶の川柳が残ると信じよう。  中村 冨二


■「趣味」
・句会には、自分の中の他人との対話が続くたのしさがある。句会にフッと空しさを感じる事があるのは、自分の中に他人が不在で対話が無い為だろう。趣味とはそんなもので同志も亦心に棲んでいる。  中村 冨二


■人生と同じで好きな選者・嫌いな選者があるのは止むを得ない。ボクもなるべく嫌な選者にはなりたくないが個性のない選句なぞ面白くないし「天位の作品は必ずユニークであるべきだ」という三太郎先生の言葉もある。むずかしい事だ。  中村 冨二


■句は心の日記、魂の記録である。その子にとってその孫にとって、大切な父母の、祖父母のいとせめて懐かしき名残をとどめる唯一無二の遺産である。努めようではないか━━  川上三太郎


■現代川柳はまだ若い文芸です。あなたが、あなたの個性で、あなたの川柳で仲間入りしてくださる日を、首を長くして待っています。それが川柳界の今のいちばん大きな希求です。  時実 新子


■個性を持つということは、一元的な家を持つということだ。その家を、より理知的に組み立てるのが、哲学する人であり、その家を、より感性的に作り上げるのが、詩を創る人である。  田中五呂八


■われわれが寡作ながら作品することは、その作品に限りなく近づいてゆく生命を視ることにあるのだと思う。  片柳 哲郎


■作品内容を充実し、自我、個性を反映させる内容にするためには、十七音律のワクを超えたとしても許されるべきで、破調であっても不思議はないし、口語短詩としての川柳の体質は、不可視的な想像力で変化、変革してゆくものでなかろうか。  藤井比呂夢


■もし川柳からユーモアが解消する事があれば僕は躊躇なく川柳を棄てる  川上三太郎


■川柳を社会的に評価させることと、いい川柳を求めて行くことはまったく別個の問題である。社会はいい川柳を必ずしも必要としていない。それを必要としているのは、川柳を作っている我々である。  佐藤 美文


■表皮だけの豊かさ、優しさ、平和。口あたりの良いつるんとした街。虚と実の歪みから時々血が吹き出す。川柳のまなざしは心地良い常温の優しさの下ですでに血まみれになっている自分に気付く。  加藤 久子


■川柳はたった十七文字。その短さを特徴とする形式が文芸として機能するには想像する力と現実の報告ではなく現実を跳躍するバネを必要とする。  石部 明


■自分の呼吸を句に移せ━━さうすれば自分の呼吸はとまつても句が永久に呼吸してくれる  川上三太郎


■「あなたは、なぜ川柳を書いているのか」という問いを、正面から発せられると「なぜだろう?」と考え込むことがある。百人には百の答え、といえばそれまでであるが、「生きているから」という至極当然な想いが湧いてきて、納得した。  藤沢三春


■川柳と俳句を絵に喩えれば、川柳は人物画であり俳句は風景画だと思う。人物画ばかり眺めていると風景画の中に入り込んでホッとしたくなり、風景ばかり眺めていると人間に逢いたくなる。そんな訳で私はいつも川柳と俳句の間で揺れている振り子です。  吉田 健治


■川柳を一番劣等視し軽蔑しているのは川柳家である。  川上三太郎


■選者が選をし終えそれが活字となって発表誌に載る、その時逆に選者が選をされている事を忘れてはならぬ。全くこわいはなしだ。  工藤 寿久


■自分の納得ゆく作品との出遇い、その至福の刻を深く沈潜した記憶のひだに刻み、限られたわが内なる理想郷建設の役に立てたい。私にとって「作品」とは生への志しだと思うから━━   西条 真紀


■批判はいつも自分にゆるやかで他にはきびしい。川柳は詩でなくなつたつていいぜ‥‥これだ。  川上三太郎


■自分の中の自分を必死に覗こうとするとき、作品が生まれると思う。文字で描き出す自画像でしょう。そこには皮相的な感性など入る余地は無いはずです。ただ、ひとりよがりにならない作業として、「想い」を鑑賞者に伝える努力が必要です。  鈴木 宏


■自分を川柳の型へ押し込む 自分を川柳の形できり取る 自分は後者でありたい  川上三太郎


■作品の評価は、一句の持つ空間にどれほどの共鳴する粒子の響き合いがあるかということなのだろう。   須田 尚美


■深くて確実な感受性を欠くと形式は単なるデコレーションとなり 意味性はスキャンダルにしか過ぎなくなる  中村 冨二


■わが句はわが子 愛して誇るな   川上三太郎


■なるべく早い時期によき師とめぐり逢う人はしあわせ   時実新子


■めかたのないものは あしあとものこらぬ せんりうは こころのあしあと こころのめかたを ふやさう   川上三太郎


■僅か17字の短詩型だからこそ無欠な作品などあるものではない。   片柳哲郎


■句は作者をはなれた刹那から 一発の弾丸である   川上三太郎


■ただひとすぢに生きぬくと人は孤独になる 私の場合 川柳 即孤独である   川上三太郎


■句とは十七字にちぢめる事ではなく 十七字にふくらむ事である   川上三太郎


■句は書く前に七たび舌にころがし 書いてから三たび読み返すべきである   川上三太郎



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