「ひかり」・KISEIKI

きっと誰かの風景なんだろうな、この道も。 知らない道を歩く。それでも、その先には彼の親しんだ家がある。 彼は、その家に帰っていく。いつも彼には帰る場所があった。 けれど、彼が本当にほしかったのは、帰る場所でなく、どこか行く 場所だ。 ここではないどこかへ。 だから今日も街に出た。街を歩くのが、彼はうまくなかった。 光が多すぎる。嘘の光。いくつもの影ができる。 どの影をきれいにみせればいいのか、わからなくなってしまう。 人込みでぶつかった時は、すぐに謝ることにしていた。 そうすれば許してくれるのが、約束のはずだから。 そうやって街に出て、今日も家に帰っていく。何度も何度も。 何一つあきらめたものが思い出せないのに、いつも何かをあきらめ ていると思うのは不思議なことだ。 帰る時間は遅かった。大通りの上に月が出ている。 やさしく淡いレモン色の月の光も、なぜここに降りてくるまでに透明 になってしまうのだろう。 今夜は、その光が目にすっぱかった。 帰ろう、と思う。それしかない。 誰もいない家では、留守番電話の赤い光が彼の帰りを待っている。 それでいい。他のどんなまばゆい光よりも、暗い部屋で赤くぼんや りと光るひとつの星の存在を、信じていよう。それで、いつか自分が あの星のように、誰かの帰りをそっと待っていられたらいい。時々は 点滅して、物言わずにこころを励まして。 白い街灯の光は、うつむく足元を照らしてはくれない。 コンクリートの上が砂金のようにきらきらとまたたいている。 その中のどれも、自分のものではないのだと思う。 彼は家に帰る。いつもと同じ足取りで。 ゆるやかにあがっていく勾配を、今夜はひとつ前の角をまがって。


詩の投稿作品・1999年1月〜5月詩の投稿作品木馬館トップへ戻る