僕がまだ高校生だった頃の話である。僕は瑣末なことに腹を立て、真冬の夜であるにも関わらず家を飛び出した。少し離れれば全くの自然となるような田舎である。街灯さえない雪道を、僕は月明かりを背にしてひたすら歩いた。
三十分ほど歩いたころ、それまで微妙だった風が突然強くなり、あたりは完全な吹雪となった。僕はよろめきつつも、前へ前へと進んだ。やがて吹雪が止んだ、と思った直後、僕の脳裏にか細い女性の声が響いた。
「あなたはだれ?」僕はこれが誰の声だったか思い出そうとしながら、歩きつづけた。
しかし三秒後、確かに同じ声を、背後から聞いた。「ねえ。」
僕は思わず立ち止まった。気のせいでない、確かに聞こえる。だが?……
僕は原始的な恐怖を感じ、振り向けずにいた。
すると再び声がした「あなたは、だれ?」
僕は意を決して振り向いた。白い着物、――本で見たことがある格好だった。
雪女は悲しい目をして僕を見ていた。
僕は暫時呆然としてしまった。正確には、「僕は」とだけ言って、それから先が言えなくなった。なにも、美しさに見惚れたわけではないし、もちろん自分の姓名や住所を忘れたわけでもない。しかしそれをこの人に言っても意味がなかろうと考えた。……彼女は相変わらず悲しい目をしていた。僕はうつむいてしまった。
僕はあらゆる方面に考えをめぐらし、僕とこの人との接点を探した。だが、――無い。この人は、僕とまったく無関係に生きている。いや、生きてはいないのかもしれないが。……続く沈黙に僕は苛立ってきた。そして、
「そったなごと、知らねえじゃ!」
と言って顔を上げると、彼女はもういなかった。消えていた。
青白い満月が、冬の夜空に輝いていた。
僕は背筋にぞっとするものを覚えつつ、再び月を背にして歩き始めた。
積もった雪を、自分の存在を確かめるように踏みしめながら。……