宝くじ

 私は賭け事が嫌いだ。早い話が、意気地がないのである。勝負に負けて損をするのが嫌なだけでない。勝って相手に損をさせることを、本当に申し訳なく思うのだ(偽善、か?)。ただし、損をさせるのが個人ではなく、○○協会といった団体であれば別である。その場合は一対一の勝負ではなくて、勝敗の予想をすることになるが、予想すること自体は好きだ。例えば競馬などは面白いと思う。しかし、予想はするものの、これにも賭けはしない。なぜならば、予想に熱中するあまり、いつの間にか大金つぎ込んで、財布は空っぽ、貯金はゼロといった事態になりかねないからである。

 例外なのはジャンボ宝くじである。これも賭け事には変わりはないが、何せ予想ができないから熱中しすぎて破産することはない。購入する際に「バラで十枚」と言えば、その名の通りバラバラの番号のくじが十枚、一つの袋に入って渡されるので、何番が当たるだろうと予想することに意味はないし、また、番号はテレビで見られるように「ほとんど」無作為に選ばれる。

 今回はバラで三十枚、九千円分を購入した。抽選日は明日である。一等前後賞合わせて三億円。これは連番で買わないと実現できないが、それでも一等が当たれば二億円である。二等でも一億円。一等とは言わずとも、もし仮に二等が当たった場合、私の計算によれば、これからずっと寝て暮らすことができる。生活費が一月十万円で、あと六十年生きると仮定すれば、10 * 12 * 60 = 7200 万円あれば十分だからだ。三等以下は、百万円、十万円、一万円、三千円、三百円と続く(毎回同じとは限らない)。三百円、七等は下一桁が一致すればよく、すなわち十枚買ったら一枚は必ず当たることになっている。三十枚買った私は、買った時点で七等が三枚、計九百円が当たることに決まっている。

 ところで一等、二等が当たれば寝て暮らすつもりだが、三等の百万円が当たった場合、その用途が問題だ。私が購買意欲をそそられるのは二万円ないし三万円程度のものばかりで、一度に数十万円を使うのはなかなか度胸のいることだと思う。全て貯金に回し、そこから何年かかけて少しずつ使っていくのもよいが、まあ兎に角、難しい金額ではある。難しいというと、一等二億円が当たった場合の金銭管理も、非常に悩ましい問題だ。おそらく小切手で支払われるそれを、全て現金、百万円の札束二百個に替え、床一面に敷き詰め、その上に横になるというのはなんとも悪趣味、成金趣味の極みであるが、なにせ二億円。有頂天のあまり、やってしまいそうである。しかしそのあと、二百個の札束をどうしたらよいのだろう。金庫を買ってしまっておいても、金庫ごと強奪されんとも限らない。専任のガードマンをつけたとしても、ガードマンとて無敵ではない。どんな方法で管理しても、やはり自宅にそんな大金があるのは物騒だ。気が気でならぬ。となれば、銀行に全て預け、そこから少しずつ使っていくやり方のほうが賢明だし、安心だ。もし万一、その銀行が潰れてしまった場合、今は一千万円しか保証されないようだから、なるべく頑丈そうなところを選びたい。でも別に一箇所に預ける必要はないし、いやまて、通帳と印鑑はどうする。自分で管理せねばなるまい。ううむ、やはり平穏な日々はこないのか。

 当選確率の話をするが、私はバラで買ったものの、連番で買っても確率は同じである。連番だと一等前後賞合わせて三億円が当たる可能性だってある。だが、一枚外れたら、そのとたんに他のくじもはずれだとわかってしまう悲しさがある(前述のように、十枚買ったら必ず一枚は当たるが)。バラは全部調べないとわからないから、私は原則的にはバラで買う。よく「当たりが出やすい店」という話を聞くが、それも信じられない。当選番号が何かの法則によって決められるならともかく、完全に無作為ならば、どこで買ったって確率は同じだ。「当たりが出やすい」のではなくて、「当たりが多く出る店」ならば信じられる。そこから買う人もきっと多いはずだ。買う人が多いから、当たりも多く出るわけだ。ある売り場から出た当たりくじの本数を、売ったくじの総本数で割ってやれば、きっとどこの売り場も似たような数字、当選確率が出てくるはずである。私は近所の郵便局から購入したが、もし一等二億円が当たろうものなら、次回より郵便局に「一等出ました」なる看板、掲げられ、そして郵便でも貯金でも保険の用でもない客が殺到することになるだろう。再度書くが、どこで買ったって同じことである。

 抽選日は明日だ。ジャンボ宝くじが発売されるたびに、私は今まで書いてきたことと同じような想像を繰り返してきた気がする。きっと実際に、一、二等が当たるまで、同じことを思うのだろう。果報は寝て待てという。ここらでペンを置いて眠ることにしよう。飛行機からお金をばら撒く夢を見たい。では失敬。

 結果:七等三枚のほかに、六等が一枚、当たった。せいぜい、こんなもんである。