パッション

 私は、ホームページ更新のための文章の作成がはかどらず、焦っていた。何がなんでも、毎週更新すると決めた以上、何か書かねばなるまい。だからといって「あ」ではあんまりだ。原稿用紙にして五枚程度、書かねばならん。さて、どうするか。

 男は、原稿提出の締め切りがせまり、焦っていた。今日の午後五時までに二千文字以内の作品を書き上げねばならぬことになっているのだ。作品の内容は問わず。しかし卓上の原稿用紙には一文字たりとも書き込まれていなかった。今はもう、午前十一時。
 彼は今朝、夢を見た。そこで、「夢を見たあと」というタイトルにて一つ、と思ったけれど、はじめの数行書いたきりで、それから一向に書けなくなってしまった。「夢を見た後は虚しさが残る」、この一言で以って、書きたいことのすべてを書いてしまったのである。男は要約は得意だったが、それを展開するのは苦手だった。これだけでは作品にならないので、何か書き加えなければならないと彼は考え、自分の見る夢はこれこれこうであると書いたが、それもそれっきりになってしまった。他人の見る夢と比較することができないことに気がついたのである。他人がどういう夢を見るのかわからない以上、これでは自分の夢について陳述するだけに終わる。そう気づいた男は、結局、「夢を見たあと」を破り捨ててしまった。
 しかし、何か書かねばならぬ状況に変わりは無い。そして手近にある科学雑誌をパラパラめくりだした。彼は数学者ではない。学士でもない。また、興味はあるが得意だというわけでもない。そして時間も無い。それなのに、無謀にも次のようなことを考え始めたのである。

 点は大きさがない。線は点の集まりである。ということは、点はある線分の長さを限りなく 0 に近づけた長さを持ち、lim(r→0)r でその長さを表せる。この式を解くと 0 であり、点は大きさがないことに矛盾しない。一方、0 でない長さ L を持つ線分を考え、それが n 個の同じ長さを持つ微小線分からできていると仮定する。この微小線分の長さも 0 に近づければ点に等しくなるはずで、よって線分の長さ L は L = lim(r→0,n→∞)nr で表すことができる。そして r = L/n だから、L = lim(r→0,n→∞)L となり、これは長さ L の線分が点でできていることを意味する。

 おそらく、数学者がみたら冷笑し、「いや、君。ちょっと意味がわからんのだけど。このことと、このことが矛盾するんだが、これはどういうことか」などと言って軽くあしらうに違いないが、彼に説明を求めても無駄だろう。実は彼が今朝見た夢というのは、こんな調子であった。そうこうしているうちに時計が正午を回った。彼は菓子パンで空腹を満たすと、メモ帳とボールペンとを持って外に出た。部屋にいるからパッション沸いてこないのだ。外にでて、自然に触れよう。さすれば、アイディアの二つや三つと思ったためである。彼の家は海沿いにあり、歩いて三十秒で砂浜である。最近はどうしたわけか、この砂浜がどんどん広がっていくのである。海に沈んでいくのだったら、地球温暖化の話で理解できるが、逆である。砂浜の幅は、昔は二十メートルも無かった気がするが、今は場所によっては四、五十メートルくらいになっている。そんな広い砂浜に立つ男が一人。メモ帳とボールペンを持ちながら、座れそうなものがないか辺りを見回し、実物を見たことも無いのに「砂丘みたいだなあ」と感心したりして、やがて適当な大きさの石を見つけたのでそこに座ることにした。そこへ、いきなり、サイレンが鳴り出した。遠くから発せられているようだが、方向はあいまいだった。彼は、それが隣の地区にある鉱山で発破をかけるときの合図だということを知っていたが、実は自分が歩いているうちに地震が発生し、それによって津波警報が発令され、これはもしや非難しろというサイレンなのかもしれないなどと想像した。確かによく見ると、いつにもまして海岸線が後退している。これは大変だ。今すぐ高台に非難せねば。後で知ったが、その時間は干潮であった。
 石に座ったその男が、メモ帳に書き連ねたことは、以上のようなことだった。結局、この美しい渚の風景については、海岸線の後退についての他は一言も書かなかったのである。どうやら、目の前の現実を、その時そのまま書くのは難しいようだ。後から思い出して書くか、それともデタラメな空想を交えて書くとよいようである。男は最後にそれをメモして、来た道を引き返した。途中で猫に遭遇した。猫は彼の気配に気がつくとサッと建物の影に身を隠した。これは空想。

 そろそろ原稿用紙で五枚程度いったかな?どれ、文字をカウントしてみよう。千八百八字。四捨五入の考え方からすれば、千八百字以上二千二百字未満だと五枚だと言えるだろうから、これでよし。草々。