現実逃避

この文章は、バッハのブランデンブルク協奏曲第3番を聴きながら書いている。この曲は、まったく感情を動かさない(というか動きを止める)のでよい。思うに、同じような旋律を、音階を変えて繰り返しているだけだ。――情熱を浪費しないという点で名曲である。

本題に入ろう。病院に入院しているときのほうが、家にいるときよりも筆が進む。これは何故かと考えてみた。

その主たる原因は、「赤の他人が近くにいる」という緊張感にあることに気が付いた。‘赤の’という点が重要で、家族や親戚、友人ではいけない。照れくさくてちっとも書けやしない。ということを書くと、「そういう場所でいいなら図書館を使えばよい」と思うかもしれないが、残念ながら、図書館まではバスで片道1時間かかるし、コーヒーを飲みながら書くというのは禁止されているだろうから、やはり駄目だ。

適度な緊張、これは何をするにも重要である。自室にひとりで居る状態で文章を書くと、あまり緊張感がないため、どうしてもだらだらとした文章になりがちだ(これもまた?)。逆に何かアイディアを探し出さなければならないときは、あまり集中しないほうがいいかもしれない。そのほうが色々な方向から物事を考えられるはずだ。

まだ1KBを超えたばかりなので、もう少し何か書く。何がいいか。

これを書くと具体的個人、そして実際の事件に触れることになるから、物理的な事実だけを述べることにする。3年前に入院していたとき、例によって、何を書いたらいいか迷っていた。そんな或る日、新聞で某事件の加害者の死刑が執行されたという記事を見つけた。そして一言だけだったが、その妻の感想が掲載されていた。この感想の部分が重要で、もし執行の話だけだったら、――或いは家でそれを知ったなら、「秋雲の下にて」を書く気にはなれなかっただろう。又、別に事情もあったのだけど、それは些細なことなので省略する。

まだ1.5KBだ。もうちょっと、何か書こうか。

源九郎は鹿野内の屋敷を出て思った。今日はいい天気だ。これで、しばらく飯の心配はしなくていい。問題は、俺の下駄がどう転ぶかだ。それから、略。