ニヒルを気取る男の一日

 一

 その男は本州のはずれの寒村にいた。
「ああ、急がねば」
 と言って、彼は布団から這い出た。その日は隣町の病院にかかることになっていた。彼
は身仕度に要する時間を全て計算に入れて、起床時間を予め決めておいたのだが、既にそ
の時刻から五分が経過していた。彼の計画は余りに緻密すぎていて、三分の遅れさえ重大
であった。
 寝巻きのまま二階の彼の部屋から一階に降りると、居間では母と祖父が朝食を始めると
ころであった。挨拶もそこそこに居間を通り過ぎ、台所に行って水を一口流し込んだ。冬
の水は冷たかった。彼は意識のはっきりしたところで、直ぐ様髭を剃り始めた。四週間伸
ばしっ放しの髭をできる限り丁寧に剃った。彼は普段は髭剃りを面倒がってしないのだが、
いざ剃るとなると異常なこだわりをみせるのだった。いつもなら八分程かけるところを、
その日は五分で切り上げた。少し剃り残しのあるのが気になったが、仕方がないので放っ
ておくことにした。
 朝食は米飯、紅鮭、大根と人参の味噌汁であった。彼は最初に必ず汁を一口すする習慣
がついていた。少し熱かった。次に汁の具をいただく。大根と人参の味はせず、味噌の味
だけが口の中に広がった。時間がないので鮭を半分だけ残して朝食を済ました。
 彼は再び自分の部屋に戻ると着替えを始めた。冬、外出するときの服装は、上が黄色で
下が白と決まっていた。毎日違う服を着るのが煩わしいらしく、普段は寝巻きのまま一日
中過ごしていた。着替えが終わると、今から試合でもするかのような気分になるのは、高
校時代からずっとだった。彼にとって着替えるという行為は、生物としての彼から、見せ
物としての彼へと変る為の儀式に他ならなかった。
 財布の中に十分な金のあることを確かめ、診察券と保険証を鞄に入れ、さらにノートと
筆入れ、メモ帳までも鞄につめた。何か思いついたときのために常に持ち歩くのだが、実
際に使ったためしはなかった。それは何も思いつかなかったからではなくて、記録する気
が起こる前に考えが複雑になっていって、そのうちどうでもよくなってしまうからである。
よって、彼の今まで考えてきたことは、殆ど記録にも、そして彼の頭の中にも残っていな
かった。ただ思考の道筋だけは、彼の脳に刻み込まれていた。
 一通りの準備が終わったところで、遣り残しはないかを確認し、玄関に向かった。彼の
祖父が千円札を一枚差し伸べてきた。彼は、「お金はあるから、要らない」と言ってみた
ものの、折角だので貰っておくことにした。いつまでも子供扱いする祖父に苛立ちを覚え
たが、祖父にしてみたら、彼はいつまでも小さいときの彼のままなのかも知れない。そう
考えると、彼は祖父の前ではよい子でいたほうがよいように思えてきた。彼は自身の精神
的に成長したのを感じたが、
「忘れ物はないか」と心配する祖父に、
「忘れ物ってのは、忘れていること自体忘れているから、気が付かないものだ」
 と返す彼の精神が健全でないこともわかっていた。彼は「ないよ」と答えて、それで忘
れ物をした時の恥ずかしさを予想したので、忘れ物をするのは仕方のないことだと言って
みたのである。彼の八十近くになる祖父は、何も返事をしなかった。不思議な顔をしてい
た。
 玄関の戸を開けると、雪が日の光を反射して白く輝いていた。空には雲が幾つか飛ぶよ
うに流れていた。風は強く、そして冷たかった。彼は家の前の道路傍に立ってバスの来る
のを待った。この辺りの路線バスは一社しかなく、手を挙げて乗車する意思を示しさえす
れば、何処でも乗せてくれるようになっていた。彼はバスを待つ間、ふと友人のHのこと
を思い出していた。Hとは小学校入学以前からのつきあいであった。Hは高校を出ると、
ある企業の営業所に勤め始めた。営業所は地区の外れにあった。少し前に成人式があり、
彼とHは一年振りに出会った。Hは少しも変っていなかった。Hは「痩せたな」と彼に言
った。
 実際、彼は病気に罹っていた。四年前の一月に発病し、一旦回復したものの、一年前よ
り再び悪化して、今日まで治らずにいた。完治することのない腸の病気であった。彼は高
校卒業後、地方の国立大学に通っていたが、体調不良のために、昨年夏に実家に帰ってき
た。そうして今年の四月から再び大学に行くつもりでいた。
 彼の痩せたのは、誰の目にも明らかだったらしい。Hの他数名の友人も、同様の言葉を
掛けてきた。「ちゃんと食ってるのか」と聞かれたときには「食ってるよ」と答えるほか
なかった。真に彼の言いたかったのは、口に物を入れているということであった。十時頃
起きて食パンを三枚、その後は夕食だけといった毎日だった。痩せるのは仕方がないのだ
と思った。
 ふと現実に戻ってみると、既にバスの到着予定時刻は過ぎていた。彼は「今日は何分遅
れるのかな」と思った。バスはいつも五分近く遅れて来るのだが、だからといって遅く家
から出て万一乗り遅れたら、次の便まで二時間以上待たなければならなくなる。その上、
病院の受付終了時刻を過ぎてしまう。だので何としてでもこの便で行く必要があったので、
彼はバスが定刻通りに来ると仮定して行動したのであった。彼はここでも用心深かった。
 三分過ぎても来ないので、彼はウロウロし始めた。二歩進んでは向きを変え、また二歩
進んでは向きを変えることをくりかえした。通りかかった車の窓から、子供がじっと見て
いた。きっとあの子の母親は「見ちゃ駄目」などと諭していたに違いない。だが当の彼は
愉快であった。
 五分過ぎてもバスは来なかった。さすがに彼も不安を感じ、
「もしかして、もう行っちゃったのかしら」
 と思ったが、いや、そんな事はあるまい。何せいつも遅れて来る○○交通のことだ。遅
れることはあるが、早く来ることは、よもやあるまい。それにそんなことをしたら許し難
い契約違反である。即座に抗議の電話を入れてやる。と、一人で憤慨してみたところへ、
赤と白の二色のバスはやってきた。

 二

 バスには老人が数名乗っていた。見知っている顔はなかった。彼は一番後ろの席に坐っ
て窓枠に肘を掛け、頬杖をし、雪片付けをする住民の動きに見入っていた。作業員たちは
雪を川に捨てたり、空き地に丘のごとく積み重ねたりしていた。中には道路に散らかす者
もいた。除雪に精を出す人を見る度に、彼は、
「ご苦労なこった。どうせ放っておいてもそのうち融けるだろうに」
 と、まだ二月であることを無視したような考えを抱くのであった。彼が家を建てたら、
きっと「放っておいたらどうなるか」を実践しそうである。勿論どうなるのかは彼にも想
像に難くないのだが、用心深い彼には、髭を剃らないことからもわかるように、かなり怠
惰な一面もあった。ストーブの灯油が空になっても給油せず、気が乗るまで布団の中で丸
まっていることも多かった。
 町に近づくにつれ、乗客がわずかに増えてきた。老人たちは話を始めた。
「どごさ行ぐのよ」
「病院よ。検査しねえばねえ」
「どごのよ」
「大腸のよ。なんもきなから下る薬だずんだが何だずんだが、色々飲まさいでよ。飯も食
えばだめだって、お粥だどがスウプっつうんだが、何だが知らねえたってとにかぐ大変だ
じゃ」
「そいだば大変だな」
「おめえ、やったごとあるが」
「ねえったって、胃カメラだばやったじゃ」
「へば大腸さカメラ入れでやんだべが。入るべが」
「ところで、おめほのカズよ。帰ってきちゃあんだが」
「なんも春休みだんだど。寝でばしいだじゃ。大学ずのはひまだもんだな」
「そいでも、いいどごさ入れるしていいじゃな。わあほのヨシだっきゃどうすんだべ。高
校辞めでまって」
 ところへ別の客が乗り込んできた。
「あんれまあ、久しぶりだごと」
「どごさ行ぐのよ」
「T(病院の名)さ」
「どごわりくてよ」
「なんも風邪ひいだみんた」
「ああ、このごろだばずんぶしばれるしての。気いつけだほういいで」
 会話はそこで途切れた。バスは再び静かになった。男は大腸検査の孫と思われるカズの
何者かを知る由もなかったが、きっと平凡だが安定した将来を迎えるであろうことを想像
していた。自分は?自分の将来は?彼は何通りもの生き方を考えて、そのうちどれが最善
かを決めようとした。大学生になってから何度この想像と評価を繰り返したか知れなかっ
たが、行動に移そうとした想像は皆無であった。どうすることが最善なのか、彼にはよく
わからなかった。どれもこれも善し悪しであった。
 そのうち市街地に入った。終点のバスターミナルまでの一千五十円を彼は揃え始めた。
十円玉は三枚しかなく、五十円玉に至っては一枚もなかった。百円玉は六枚ほどあった。
今さら両替をする気にもなれなかったので、仕方なしに一千百円払うことにした。どうせ
赤字しているのだから、少しは経営の足しになるだろう、と思った。
 バスから降りると急いでタクシー乗り場に行き、そこに停まっていた一台の運転手に軽
く会釈して乗車し、M病院まで行くよう指示した。街の道路は温水によって融雪されるよ
うになっていた。これは運転手にとっては快適そのものかもしれないが(凍ったら恐ろし
いことになるのは言うまでもないが、多分夜中でも温水を流し続けるのだろう)、歩行者
には何の恩恵もないばかりか、寧ろ迷惑なものでさえある。第一に、横断歩道のところに
も散水栓があるのは甚だ解せない。横断歩道も融雪したいのなら、そこだけロードヒーテ
ィングにすれば良いのである。わざわざ横断する人の足元からお湯を噴き上げる必要はな
いのである。第二に、このような仕掛けを道路に設置するならば、沿線の歩道の全体を一
段高くするか、または縁石で仕切るかすべきだ。温水によって全てが融ければよいのだけ
れど、一部が融け、その周辺がぐちゃぐちゃになった状態の歩道を歩けというのは甚だ遺
憾である。行政は、我々に靴下の替えを用意しろと云わんや。融かすか、融かさないか、
いずれかにしてもらいたい。彼は病院に到着するまでの間に、この町の融雪機構の不備を
かくのごとくまとめあげ、町長に陳情しようかしらと思ったが、町の財政の赤字なのを思
い出し、まあ無理だろうなと諦めた。

 三

 M病院はこの辺りでは最も規模の大きい総合病院であった。病棟はレンガ造りの七階建
てで、最上階から夜の街を見下ろせば、百万ドルとも言われる函館の、かの有名な夜景に
も、引けはとらずと思わるる世界が展開し、彼は入院中に毎晩それを眺めては、「奇麗だ
な」と毎晩思った。川の中州に明かりが密集し、それがある所までいくと突然途切れ、真
っ暗な闇が続く。そこは海であった。或る人はアゲハと形容した。外来は十年程前に建て
替えられていたが、彼は以前の暗く、奇妙に入り組んだ外来を、未だに回想することがで
きた。その時の彼はまだ十歳にも満たなかった。来るときはいつも母と一緒であった。普
通の家と同じ広さの玄関で、靴を脱いでスリッパに履き替え、左手の保管室に下足を預け、
正面の再来受付で手続きをする。小児科だけが三階にあった。そこの階段は百八十度向き
を変えるものではなく、真っすぐな階段だった。建て増しを繰り返したからこうなったと、
いつか聞いた気がした。
 今の外来では、靴を脱ぐことはないし、再来受付も機械化された。全体として明るく、
広くなった。変らないのは、来てから帰るまでにかかる時間の長いことであった。彼が再
来受診の手続きを済まし、第一内科の待合室で待つこと三十分。彼の名は一度も呼ばれる
ことはなかった。第一内科の患者数は常に百人を下らず、時には二百人を越えることすら
あった。彼は百四十七番目の患者であった。再来受付の機械の前には毎朝長蛇の列ができ
るのだが、その何分の一かはここの患者なのだろうと思った。それだけ客の多い病院であ
るにも拘わらず、ここも赤字であった。この町の財政の苦しいのも、M病院の赤字を穴埋
めしていることが原因といわれていた。どこにそんな金を使っているのかと考えていたら、
ようやく受付係から呼び出しがかかった。ちょうど五十分かかった。
「ええと、○○さん」
「はい」
「今日は診察ですか?それとも薬だけ?」
「診察です」
 と、ここでまた五十分待たされることになるのであった。あまり退屈だので、彼は下の
ようなことを考え始めた。
「罪のアント(対義語を意味するアントニムの略。彼は少し前に太宰治の小説を読んで、
この言葉を知った)が罰だというのが正しかったとしたら、一体どういうことだろう。対
義語というのは、二つが存在して初めて意味を成し得るものだ。悲しむことがなかったと
すれば、喜びは何の意味も持たないだろう。極端な話、悲しむという行動が存在しなかっ
たら、喜ぶという行動も存在しないのではないか。それは自由と束縛、秩序と混沌の関係
についても同じことだろう。束縛があるから、自由という状態が初めて生ずる。というこ
とは、だ。罪は罰があって初めて成り立つものだし、逆に罰も、罪の存在が必要だという
ことになりはしないか。もしこれが正しかったとしたら、正しかったとしたらどうなるの
だろう」
 彼はここまで思索したが、それきりにして別のことを考えることにした。やはり待つ事
五十分で、やっと診察の順番が回ってきた。前述のように百人以上も患者がいるので、彼
はどこにも坐れずにつっ立っていたから、やっと椅子に坐れることが嬉しかった。だいた
い付き添いの人は坐らないでほしいものだ。
 診察室に入ると、K先生がいつもの口調で話し掛けてきた。この先生のどこまで本気な
のかよくわからない話術は、患者の間ではかなり有名であった。同時に、最も信頼のおけ
る先生だとも云われていた。
「調子はどうですか」
「まあ特に変わりないです」
「トイレは一日何回行ってますか」
「三、四回くらいです」
「お腹が痛いとかない?」
「ううん、時々痛みますね」
「そうですか」
 K先生はカルテをペラペラめくって、何か調べたり書き込んだりした。
「じゃあ前と同じお薬ね。四週間分」
「あ、はい」
「家は○○村だったっけ」
「はい」
「そっちは雪積もった?」
「そうですね」
「それじゃ、お大事に」
 診察は以上の如く終わった。たった数分の会話をするのに一時間以上も待たされるのだ
から、それこそ元気な人でも病気になるという話しも、まんざら間違いでもないと思った。
 後のことは比較的順調に進んだ。受付で受診票を受け取り、それを会計に持って行き、
院外処方箋をもらうまで三十分程度しかかからなかった。
 薬局に向かうべく外に出たら、来たときと変わらず晴天であった。風は幾分か弱まって
いた。最寄りの薬局に行って処方箋を渡し、薬をもらうまでにかかった時間は、たったの
二十分であった。これは絶対的に見れば短いのか長いのかよくわからないが、診察にかか
った時間に比べれば、短く感ずるのは当然のことであろう。

 四

 この町での要件はこれで終ったのだが、次のバスには間に合いそうもないので、バスタ
ーミナルの近くの行き着けのレストランで、その次の便を待つことにした。歩いて行こう
か、それともタクシーで行こうかと考えて、天気も好いことだから歩いて行くことにした。
歩きながら、彼は先刻の罪と罰の問題について、再び思案していた。
「罪と罰がアントニムで、罪がなければ罰もない。罰がなければ罪もない。これは一体何
を意味するのだろう。罪がなければ、いや、罪があれば罰もある。罰があれば罪もある。
え?罰があれば罪もある?じゃあ何か。先に罰を受けておけば、後から罪を犯してもよい
ということか?例えば懲役十五年の刑に処されるような犯罪、これは殺人くらいだろうが、
まず十五年間牢屋に入れば、人殺しをする権利を得られるということなのか?」
 彼は背筋の寒くなる気がした。
「罰がなければ罪もない。では如何なる罪を犯したとしても、罰っせられない限りは罪に
ならない、のか?人を何百人殺したとしても、罰っせられない限りは、それは罪でも何で
もない?」
 彼は以前読んだ小説にあった「罪と罰はシノニムではなく、アントであると考えたドス
トエフスキー氏の青みどろ、腐った池、乱麻の奥底の……」というような一文の意味を、
思いがけず解した気がした。
 そのうち、レストランに着いた。正午を少し回った時分ではあったが、平日ということ
もあってか客は四、五名ほどしかいなかった。席へ着くなり彼はヒレカツ定食を注文した。
彼の病気は腸のものだので、ヒレカツなどという脂っこいものを頂くことは、彼にとって
は罪であった。罰は?日頃の我慢が罰なのか、それとも食後にきっとやってくる腹痛のほ
うが罰なのか。どちらが正しいのかは知らないけれど、とにかく頂こうと思った。食べて
いるうち、彼は病院にいた時に考えた「愛のアントは何か」という問題を、再び思案して
みた。
「愛は罪。罪のアントは罰。愛のアントは愛の罰。一体何だろう。憎しみではないとする
と……。愛するというのは、あ、熱い関心をもつことだから、関心を持たないこと。つま
り無視することが、愛のアントであり、愛することに対する罰なんだ。あっ、そうだ。そ
うだったんだな」
 彼は高校時代の、愛に関する苦い経験を思い出して苦笑した。
「あの時の、あいつの無視は、なるほど罰だったんだな。しかし――、」
 彼は自分がヒレカツを食べながら、愛だのなんだのと考えていることを可笑しく思った。
 食べ終わった頃には、丁度バスの発車まで二十分になっていた。彼は代金を支払ってレ
ストランを出て、すぐ近くのバスターミナルの待合室で、発車時刻のやって来るのを待っ
た。待合室は、病院帰りと思われる老人や、子供連れの母親、高校生と思しき制服姿の少
年少女らでごった返していた。彼は仲睦まじき一組の男女を見てこう呟いた。
「罪と罰。罪と罰」
 ほどなくして、十名ほどの客を乗せたバスは出発した。彼はいつもより早く起きたせい
か、帰路の半分は眠っていた。
 家では、母と祖父が雪片づけをしていた。

                                      完