教育実習物語 〜私の多くの人に迷惑をかけたどうしようもない三週間〜

 「教育実習とは、自分にとってナンであるか」という theme で、私はこれまでの半生
を振り返りつつ、母校の校門を通り抜けた。夏の日差しのまだ残る、九月の某日のことで
ある。
 恐らく多くの人が、高校や中学の生徒だった頃に、「教育実習生」と称する大学生を見
てきたと思う。教師になるためには免許が必要であり、それには教育実習を受ける必要が
ある。だが、逆は成り立たない。免許をとるにあたり、将来、教職に就くことを約束する
必要は無い。そのため、職業選択の幅を広げるためだけに、教員になろうという気もない
くせに、「取り敢えず」免許は取っておくという不届き者も、少なからず居る。けしから
んと思う。

 もちろん、私だって初めから教師になろうと思っていたわけではないし、教師を聖職だ
と思っているわけでもない。私が高校の生徒だった頃、父から「まだ、社会に出られるほ
ど、成長してはいない」と言われ、では大学に「でも」行こうと思って進学することにし
た。当時の学級担任から、大学でやってみたい学問はあるのかと聞かれ、「歴史を学んで
みたい」と答えたら、先生はあきれたような顔をした。先生はきっと、私の漫然とした意
志を見抜いたのかもしれない。だが高校も三年になった頃、「資格社会」という言葉が世
の中を支配し、資格がなければ何にもできないという強迫観念のようなものが、社会に蔓
延した。もちろん私や、私の周囲にもそれは確実に影響した。「歴史」だけでは何にもな
らないと考えた私は、教師になろうと考えるようになった。
 そして或る私立大学に進学したのだが、最初にいた学部とはどうも馬が合わず、二年に
なると同時に転部した。なんだかやりたいことと違うことをやっているようだと、気がつ
いたからだ。途中で気がついたのではない。入学直後の、学部のオリエンテーションの時
点で、うすうす感じていたのである。
「何か、大学でやってみたいこととか、ありますか?」
「取り敢えず、社会科の教員免状を取りたいと、思っています」
「それは、やめてください」
 このときの話し相手は、同じ学部の初対面の先輩である。「やめてください」とは何事
であろうか。そうして彼は、学部で開講している資格講座について一人で説明を始めた。
私は、ああそうですね、そうしたほうがいいかもわかりませんね、などと受け流しつつ、
適当なところでポケットを探り、携帯が鳴ったふりをしてこう逆襲した。
「あ、すいません。ちょっと急用入ったんで、後でまた来ます」二度と来るかと思った。
 後で聞いた話では、この学部では誰も教員免許を取得しようとはしないらしい。未知の
ことをするには、勇気が要るものである。安全を考え、往来を歩むも良し、思い切って荒
野を開拓するも良しである。だから彼らの人生観を否定するつもりは毛頭ないし、このふ
ざけた方針によってもそれなりの成果を収めているようであるから、私が革命の徒になる
必要も無いと思う。何れにしろ、既に転部したのだからどうでもよい話ではある。
 一般に知られている大学生活とは、恐らくかなり怠惰な、漱石翁のいうところの「高等
遊民」のようなものであろうと思う。だが社会科の教員免状を取得しようとした私には、
そんな遊び呆けている暇は微塵もなかった。教職に関する科目のほとんどは、卒業に必要
な単位のうちには入らないので、教職に関係ない普通の講義も受ける必要があった。また、
社会科については地理、歴史、公民と三分野あり、さらに高校と中学との違いもあり、そ
のため、一日に四科目、ないし五科目。土曜日も出席と、普通の学部生の二倍は講義を受
けることになった。そんな多忙な生活も、慣れると簡単なものである。最初こそ、毎日遊
んでいられる友人らを見て、自分の現状に悲惨な思いをすることもあったが、教師になる
ために必要な苦労なのだという自覚が芽生えてくると、粛々と講義に出ることが多くなっ
た。人間として、少なくとも高校の時よりは、成長したらしい。そうして四年になり、教
育実習を受ける段になったので、こうして母校にやってきたのである。

 卒業してから来るのは、今が初めてではない。昨年から度々、事務の関係で訪れている。
最初は依頼状の提出のために来た。そのとき、既に依頼を済ませている学生の一覧を見せ
てもらったが、見覚えのある名前ばかりであった。このうち何人が、本当に教師になるの
かしらん。年が明けると学校から連絡があり、実習の件は受理したので、生徒には地理を
教えてくれとのことであった。私の専門は歴史である。地理は得意ではないのだが、仕方
がない。正式な書類を持って再び来校。しかし、塞翁が馬とはよく言ったものである。四
月の初め、昨年度後期の成績発表の日、突然、実習の担当者が変わったので、実習日を変
えてくれという連絡があった。それは別に問題ないが、その日は成績のほうが大問題であ
った。実習に必要な科目は、幸いにも「可」であったからよかったものの、他のところで
「不可」の文字も幾つか見える。もう少し手を抜いて学習していたら、実習の話はご破算
になっていたかもしれない。危ないところであった。さらに、担当科目が地理から歴史に
変わったことも後で知り、喜んでいるところへ遊びで応募した懸賞の当選と、今年は可成
ツイていると思った。宝くじを買ったら、この分だと一等が当たりそうな勢いである。
 まず職員室に行き、実習の打ち合わせをした。幾つかの注意事項と、時間割について説
明があった。当然ではあるが、大学の時間割とは違って、朝から夕方までびっしり授業で
埋まっている。改めて、大学生が高等遊民と呼ばれるのも無理はないと思った。さらに、
時間割には書いていないが部活動というものもあり、中学時代にテニスをしていたという
理由で私はテニス部に配属された。もちろん、中学以来やってないし、大学の講義に「テ
ニス指導論」なんてものはない。一歩間違ったら、否、間違わなくとも生徒に逆に指導さ
れる結果が見えるようであった。その後、校内の様子を見て回ったが、私が在籍していた
頃と大して変わっていない。変わったのは生徒数くらいのものであろう。以前は一学年に
四つの組があったが、今では三組に減っている。指導者の立場としては、生徒一人に割り
当てられる resource が増えるという点で良いのだが、このまま生徒数が減少し続けるよ
うであれば、そのうち他の学校と統合、という話になるのかも知れない。

 実習は翌週から始まった。九時から講義が始る大学生活とは違い、朝が早い。久しぶり
に七時に起床。朝食を済ませ、滅多に着ることのないスーツに袖を通し、学校へ。行き交
う生徒の「おはようございまあす」との挨拶に、改めて、というよりは「ようやく」と言
ったほうが正確かもしれないが、生徒から先生へと立場の変わったのを実感した。生徒の
頃は、朝の課題と呼ばれる自習をしていた時間が、今では職員会議である。まず諸先生に
自己紹介をしたが、私が自己紹介なるものをしたのは、確か高校入試の面接が最後ではな
かったかと思われるくらい久しぶりのことである。人間、慣れないことはするものでない。
言うべきことを言ったかどうか分からぬくらい、緊張した。ワタシと言うべきところをワ
タクシなどと言った気もする。会議が終わるといよいよ担当教室に。私の指導を担当する
先生は冷静になりさえすれば大丈夫ということを助言してくれたが、先生相手の自己紹介
ですらあんな調子で周章狼狽、冷静さの欠片もなかったのであるから、教室に入ったらも
う目茶目茶である。前もって言うことは考えておいたから、「本日から、約三週間ほどお
世話になります、久藤です。R大学から来ました。皆さんよろしくお願いします」と言葉
を並べたことは覚えているが、それ以外に何を言ったのかは知らない。いつのまにか朝の
homeroom が終わり、たくさんの生徒が質問やら自己紹介やらしてくれたが、正直に自白
すると、すまないことにその内容はさっぱり記憶に残っていない。
 最初の授業研修は、一年生の歴史の授業であった。大学で歴史を学んでいるとはいえ、
私は西洋史が主なので、「大化の改新」については中学以来である。授業の仕方について
勉強しているのか、歴史について勉強しているのか分からなくなってしまった。だが生徒
が使っている教科書には、ちっとも面白さを感じない。こうやって歴史を専攻しているの
だから、昔は恐らく、これでも面白がって読んでいたはずなのだが、それすら疑問に思え
るほど、面白くない。ただ、歴史上の出来事を列挙しただけである。「社会」という時間
割のなかで地理も歴史も教えなければならず、また近頃は「ゆとり教育」とやらでさらに
時間が削られ、時間的制約の厳しいことは理解できるが、この教科書を読んで歴史に興味
が湧いてくる生徒は、果たしているのだろうか。特定の分野にだけ理解を深めてしまうと
いう問題はあるが、司馬遼太郎などの歴史小説を読んだほうが、はるかに面白いことは間
違いない。三国志については誰よりも知っているという生徒も、きっとこの中には居るだ
ろう。その知識は大学までほとんど役に立たないものの。……
 午前中の授業が終わると、給食の時間である。何を食べるべきか迷わずにすむというの
は意外と楽なもので、自分で選ぶと好物に偏るし、必要な栄養素が適切に摂れているかど
うかも疑問である。その点給食は、栄養士が完璧に計画して作ったものであるから、「こ
れを食べれば間違いない」という安心感がある。だが成長期の少年、少女のために作られ
ている給食を、教師が生徒と同量、摂取したらどうなるか、その結果は明らかであろう。
留意しておく必要がある。

                                      続