君と百年付き合うなら 懈沐剣斗 零 この小説の主人公は「私」である。が、これは僕のことではない。日本では、「私」は 即ち作者であるということになっているが、西洋に於いてはそうとも限らないようだ。し かしここは日本であり、また僕自身が日本語を用いている以上、「私」が僕でないことを あらかじめ説明しておく必要があるだろうと思ったので、こんなことを書いた。これは芥 川龍之介から得た知識である。 僕はこの小説の原作「夕立ちのあと」を一年前に書いた。病気の治療のため、或る病院 に入院していた頃である。僕は下書きを書き終えた直後、何かを悟った気がした。この小 説には何か恐ろしい意味があると思い、原作を仕上げて封筒に入れたあとは、今まで一度 も読み直せずにいた。 それから一年近くが経過した。恐る恐る読み直してみたところ、この小説は失敗だと思っ た。全体として、暗示と主張するには無理のある暗示が続いており、それがために主人公 「私」の心理が理解しがたいものになっている。書いた当人でさえこうなのだから、読者 が「『私』(いわゆる作者)は錯乱している」と思っても不思議でない。 だが、僕はこの小説をひっこめるつもりはない。いかなる奇怪な文章、絵画、音楽も、 情熱さえあれば芸術と化す。僕はこれから情熱を込めた錯乱ショウをおっぱじめる。そう して、この小説を芸術に仕立て上げてみせよう。 僕は絵を描くのが苦手だが、もし描けるなら、僕はこの小説の表紙にこんな風景を描き たい。晩秋の夕暮れ時、枯草の群がる湿原に小さな沼があって、それに冷たい時雨の落つ る様を。 一 去年の夏、「私」は、友人である小野君から次のようなメールを受け取った。 「拝啓。このところの酷暑、ここ本州最北端の地、下北に於いてさえも、さながら炎熱地 獄のようでありますが、弘前の貴兄に於かれましては如何お過ごしでしょうか。さて小生、 本日ようやく退院となりました。入院中は葉書にてのお便り、誠に嬉しく存じました。勇 気付く思いでありました。今後の生活につきましてはまだ何とも云えぬ状況ではあります が、まず何より体力の増進、これを第一にした生活を心掛けていきたいと存じております。 去年、一昨年、そして今年と三年続けて入院したため、体力の『た』の字も無くなってい ることを、このところ痛感しております。毎日、いかなる状況下に於いても鍛錬を続け、 そのうちマラソン大会にでも出場しようと目論んでおります。(中略)敬具。小野裕。」 彼とは青森県むつ市に在る浦江高等学校以来のつきあいで、プログラミングが得意だと いう点で共通している。二人とも高校の電算部の主力として活躍し、また、学問について も中の上であった。得意科目も似たようなものであったが、唯一の違いは、彼が国語を好 んでいたということであった。私はどうも苦手だった。 その小さな違いが、私と小野君の進路を分ける一つの要因となった。二人とも同じ弘前 市の鳳仙大学への進学を目指したが、私が理工学部の情報工学科を選んだのに対し、彼が 選んだのは人文学部の文化人類学科だった。もちろん、コンピュータとは殆ど縁の無い学 科であるし、理系の彼にとっては可成の挑戦であったと思われるが、彼は「だから、行く のさ」と云うだけであった。そうして二人とも無事に現役合格を果たし、下北を離れ、桜 の花咲く弘前での大学生活を始めた。 先程のメールで小野君自身が云っているとおり、彼は何度も入院している。それは彼が 高校一年の時から患っている血液の病気の悪化によるものだそうだ。病名は知らない。 ――知らないというのは、彼が自ずから自身の病について説明することは無かったし、私 も、尋ねることはしないほうがいいのではないかと思ったからである。しかし少なくとも 高校時代の小野君は、病人とは思えぬほど活発であった。体育の授業は勿論、学校行事に も積極的に参加し、率先して場を盛り上げることもあった。またお洒落なほうで、当時流 行していた無造作ヘアとかいうものも、毎日のように実践していた。 僕は、己の書いたこれらの文章を読み返しつつ、既に詰まらなさを感じている。冒頭で 述べたとおり、原作を書いたとき僕は入院して病気の治療を行なっていた。したがって文 章の至るところで、本来説明すべき事項、例えば過去の具体的な行動だとか、思想の変化 といったことが抜け落ち、説明されずにいる。……いや、病気というより、僕の性格がそ うしたのかもしれない。僕は長々と説明するのが嫌いだ。百万言を費やしてもなお、「私」 と小野裕のすべてを正確に伝達できぬなら、いっそ説明は最小限に留め、残りの部分につ いては読者の空想に委ねよう。どんな夢をみようが、誤解をしようが構わぬ。君と百年付 き合うなら話は別だが。 大学に入ってからも、彼は相変らず同じ格好を続けていたが、五月の連休の明けた頃か ら変わり始めた。伸ばしっ放しの髪と無精ひげ、それに皺の寄ったジーンズで、だらだら と校内を歩いている小野君を見掛るようになった。さらに六月になると、彼は姿さえ見せ なくなった。どうしたものかと思った私は、梅雨のさなかの或る日、彼の八畳間を訪ねた。 五月の頃と同じ格好をしていた。具合の悪いようには見えなかったが、床には脱ぎ捨てら れたままの衣服、菓子パンの空き袋、コーヒーの空き缶等が散乱し、講義の参考書はその 下になっていた。ただ一つ、「否定の精神」という本だけが上になっていた。私は受講し ていないが、これは或る哲学の授業で使っていたはずだ。パソコンのモニターを見ると、 何かのソフトのプログラミングをしていたようであった。私は単刀直入に訊いてみた。 「最近、学校で見掛ない気がするんだが」 小野君は椅子に座ってモニターを眺めながら、 「そうね」とつぶやいた。 あまりにあっさりとした返事だと思った。肯定するにしても、何か真面目な、深刻な理 由を語って呉れるだろうと思っていた私は、少し向きになって追及することにした。 「そうねって、……いいのか?出席足りなくなるぞ」 「俺さ」と云って、小野君は私の方に体を回転させた。 「よく考えてみたんだが、二年次から出席して単位を集めても、ちゃんと四年で卒業出来 るようになっているじゃないか、計算上は」 「そうなのか?よく解らないが」 「だから今年度いっぱいは休むことにした」 「しかし計算上はそうでも、……無理があると思うぜ」 「取り敢えずやってみるさ」 小野君はそう云って、再び私に背を向けた。私も、それ以上言及するのを止めた。彼の 自信が根拠のあるものであったか、それとも単なる希望であったかは知れないが、恐らく 彼の脳裏には、二年次の春、講義室で熱心にノートを取り、試験問題に楽々と答えている 自身の勇姿が描き出されていたに違いない。 私が、元気な小野君を見たのは、この時が最後となった。彼は宣言通りに、春になって 登校し始めたようだが、頬は痩け、目は窪み、足取りも確かでなく、明らかに病人の態で あった。あの日以来、授業や他の友人とのつきあいで忙しい日々を送り、彼とはずっと疎 遠になっていた私は、その変わり様に驚き、或る日書店でパソコン雑誌を(昔からだが) 猫背になって立ち読みしている彼を見つけて話し掛けた。 「小野じゃないか?」 「ああ、……久し振りだな」 彼は微笑した。が、その顔には明らかに疲労の色が見えた。 「なんだか、痩せたように見えるが。……大丈夫か?」 「大丈夫だ」 「そうは云っても、顔が青いぞ」 「この頃、ちょっと体調悪くてさ」 単位のことは云えなかった。ただ、小野君の具合の悪さだけが心配であった。 案の定、彼の体調は悪化の一途を辿ったようで、その年の夏を前にして故郷の病院に入 院。同時に休学を開始したらしい。退院後もあまり心身ともに芳しくなかったようで、そ れから一年後に再び入院、さらにその一年後にも入院と、まさに「闘病」と言い得る二年 間を送ってきたらしい。そしてその三回目の入院から帰ってきたときに、冒頭で引用させ て貰ったメールを送って呉れたのである。 私はこの二年間、小野君とはメール等で近況を知らせあったきりで、ただの一度も直接 逢うことはしなかった。入院していると知りながら見舞いにも行かないというのは、今か ら思えば不義理なことであったと思う。メールを読んでみた限りでは、彼の健康状態はさ ほど悪くないように思われたが、それはもしかすると退院直後であるが故であって、年を 越せばまた悪化するかも知れない。そこで、前期の期末考査も終わったことだし、今のう ちに小野君に逢っておきたいと、正確には、彼がこの世に存在するのを確かめたいと思っ て、次のような返事を書いた。 「拝復。まずはご退院、お目出度うございます。体力増進とのことですが、この暑中に、 病み上がりの御身を酷使なさるのは如何かと存じます。秋になり、涼しくなるのをお待ち になってから、ウォーキングなどの軽い運動より始めるのが宜しかろうと存じます。どう か、ご無理をなされぬよう、マラソンも結構とは存じますが、どうか、御自愛下さい。 ところで貴殿とは久しく御無沙汰しておりますが、もしそちらの都合が宜しければ、こ の夏のうちに逢いたいと思っております。(中略)日時、及び場所等につきまして、お返 事頂ければ幸いです。敬具。小野裕様」 「彼がこの世に存在するのを確かめたい」と、主人公は云った。これは表向きには、メー ルという仮想世界では生きている実感が沸かないから、現実の世界で己の眼を以って確か めたい、という意味である。 だがもっと深い意味が、この言葉には隠されている。それは、主人公が、小野君の快復 を願っているわけではないということである。主人公は、株を持たぬ人がテレビで株価情 報を見るかの如く、小野君の状態を見ている。つまり、良くなろうが悪くなろうが、その 事実を是認するだけである。どうなって欲しいわけでもない。 これは一見すると冷淡に見えるが、主人公は遠くから小野君を見守っているだけである。 決して、メロスとセリヌンティウスのような熱い、否、半狂乱の関係を結ぶことだけが友 情ではない。相手のありのままを受け入れること、それもまた友情であろう。 ところでどうして僕が主人公の弁護をするのか?彼が自分で説明すればよいのではない か?それについては素晴らしい回答を用意してある。自分で弁護するより他人から弁護さ れるほうが、容易に信用を得られるからだ。誰か、僕の作品を弁護して呉れないか? 二 八月の或る日、私はむつへと向かう電車の中に座り、数学の参考書を読んでいた。ふと 窓の外に目を移すと、陸奥湾の向こうに釜臥山が見えた。恐山を構成する火山のひとつで ある。夕日が、その西方に沈もうとしていた。翌日の午前十時に、市内の諏訪野百貨店で 逢おうと約束していた。 それから程なくして、実家に着いた。その時である。僕は台所の窓に、炎の上がるのを 見た。僕はこの現象の意味するところが何であるか数秒間考察し、事の重大さに気付くと 慌てて玄関のドアをぶちやぶり、中に飛び込んだ。そこで僕が見たものは、フライパンで 食肉を炒めている母の姿だった。傍らには赤ワイン。僕はすべての事情を察し、玄関のド アを修復するとともに、時計を巻き戻した。 私は玄関のドアを開けた。カレーの匂いがした。直後に、母が台所から出てきた。父は まだ仕事から帰ってこないから、しばらく待っていなさいということであったので、私は 二階の自分の部屋で横になっていた。私には兄弟はなく、今年で五十七になる市役所勤め の父と、同じく五十四になるパートの母とが在るだけだ。 一時間ほどして、居間から父の声が聞こえてきた。 「……いつ来たんだ」 「ついさっきよ」 「なんだ、先に食べさせたら良かったのに」 「でも、……切角だし」これは折角の間違いであるが、取り敢えず原作の通りに間違って みた。ツノを切るのでなくて、カドを折るのが正しい。なお、カレーはビーフではない。 ポークである。 どうでもいいが、私は体を起こして居間に降りて行った。 「ただいま」 「おお、我が息子。元気でいたか」 「当然だ」 「じゃあ、食べましょうか」 三人は四角いテーブルを囲むように座った。昔から、私と父が向かい合うことになって いる。私がいないときは、きっと母が、ここに座っているのだろう。カレーは甘口で、具 沢山なものだった。これも昔から。 父は初め、黙って晩酌に興じていた。しかし、その酔いが少し回ってきたと思われる時 分になって、私に思い掛けぬ質問をした。 「おまえは大学で何をしているんだ」 「何って、そうだな。具体的に云っても解らんと思うけど」 「簡単に云えば」 「簡単に云えば、……パソコンの、ソフトの作り方の研究、てな処かな」 「ふうん、それで、大学院に行くとか云っていたが、やっぱり行くつもりか」 「今さら就職には変えられんよ」 この一言を、読者は不自然だと思っただろう。無理もない。発した当人の私でさえも意 外だったのだから。まるで仕方なしに大学院進学を選んだかのようであるが、そんなこと はない。私はプログラミングの腕を磨きたくて、そう決めたのである。 云ってしまったことを消しゴムで消すわけにもいかず、私は慌てて弁解に出た。 「卒業研究のテーマとしてやっている事があるんだけど、それがどうも、奥が深くってね。 もうちょっと、研究しようと思うわけさ。それで、――行くことにした」 「そうか、いいだろう。ところで何年掛かるんだ」 修士課程は二年であるが、実際には三年掛けて修了する人も少なくない。私も二年では 無理な気がしていた。私は、 「優秀な奴は、二年」と答えた。 自分で、これでは卑屈だと思った。恐らく父には、「僕は低脳だから三年掛かるよ」と 云ったように聞こえただろう。もはや私は完全に狼狽していた。 「いや、上手くいけば、二年」 上手くいく、などと運の良し悪しに左右される問題ではあるまい。もう一言も云いたく なかった。 次に何を聞かれるだろうか。内容によっては、自分はまた思いも寄らないことを云って しまうかも知れない。そのような不安で、冷汗のにじみ出ているのに気が付いたそのとき、 父が次の言葉で話を打ち切った。 「まあ、早く卒業しろよ」 父は怪訝な顔をしていた。僕も、怪訝な顔をしながら、この話を聞いた。 僕はこの主人公がいじらしくなってきた。どうでもいいことをさも重大であるかのよう に語ることで、本当に大事なことを隠蔽する。それが彼の手口である。 「まるで仕方なしに大学院進学を選んだかのようであるが」と、彼は云っている。しか しこれは悪質な誘導である。騙されてはいけない。勿論彼は、実際に大学院に進むつもり でいた。しかし、単純に「行く」と云ってしまった場合、恐らく自分にとって難しい話が あとに続くだろうと、刹那のうちに考えた。それが具体的に何であるかは、彼自身もわか らない。ただ彼の(必要以上に)発達した想像力により、「何と無く」そう思ったのであ る。それを回避するために、彼は「今さら就職には変えられんよ」と云った。 彼は彼の父と踏み込んだ会話をすると、必ず思想の衝突を起こすことを知っている。思 想の、である。論理で解決する話なら、お互いに阿呆ではないから、話し合う前に一致し た答が出ている。 思想が衝突するなら、それに勝てばよいではないか。と彼の父は考えている。だがその 息子は違う。己の微妙な神経を侵されまいと、衝突を予感するなりすぐに引く。これは昭 和十年代の小説に出てきた構図とそっくりだ。彼は気の弱い人間なのだ。 嘘だ!僕は皆に詫びなければならない。本当のことを云おう。口論が不発に終わったの は、決して、彼の気の弱さのせいなどではない。僕が意図的に仕組んだことなのだ。僕は 喧嘩が嫌いだ。口論などまっぴらだ。だから、彼に下手な芝居をさせ、それを回避した。 こう書きつつも、僕は己の言葉にごまかしの匂いを感じている。僕は、己の心理につい て、何か重要なことを隠していやしないか?本当に明らかにすべき、大切なことを。僕は どうでもいいことばかり書いて、何一つ大事なことを語っていない気がしてきた。僕だけ でない。主人公も小野裕も、誰も彼もがそうだ。するとこの小説は詐欺であろうか。イミ テーションばかりで、どこにも信用すべき言葉がない、読者への欺瞞に満ちた小説。 だが、どこかにひとつくらい、ごまかしでない、本物の言葉がありはしないだろうか? 疑念の泥沼の中に沈む、真実という名のダイヤモンド。僕はきっと、それがこの話のどこ かにある、またはこれから出てくると信じている。僕はそれを疑わず、無心に書くことに しよう。止めて呉れるな。このままではカレーが冷めてしまう。これは事実だ。次の場面 に進もう。 進路の話は、それきりとなった。私は冷静を装いながら夕食を済ませると、駆け込むよ うに部屋に引きこもって、睡魔のやってくるまで漫画を描き続け、そして、寝た。いや、 寝ようとした。結局私は午前三時まで眠れずにいた。 気が付くと、あたりが明るくなっていた。鴎の声が聞こえた。弘前では有り得ぬ朝であ る。鴎がいるということは、ここは海の近くなのである。海は陸奥湾である。陸奥湾は、 基本的にホタテである。生のホタテは、バター焼きにすると美味しい。昨晩のカレーはポー クだったが、稀にホタテが入っていることもある。貝柱を乾燥させて中華民国に輸出する と、儲かる。これまたどうでもいいが、時計を見るとまだ五時だった。十時までは、まだ かなりの余裕がある。普段なら、ここから二度寝に入るのだが、この時は、どういう精神 の作用か知れぬが、早朝の街を観察してみようという気になった。こっそりと部屋を出て、 階段を落ち、玄関の戸を開けると、外は朝霧に覆われていた。湿った空気で三度深呼吸を し、私は、高校時代に歩いていた道を辿り始めた。 往路で擦れ違ったのは、タクシーが一台、工事用トラックが二台、軽乗用車が四台、そ れと新聞配達のバイクが一台であった。配達夫の顔を見て、このバイクは我が家に寄って いくだろうと思った。高校生のときに、この配達夫が朝刊を置いて行くのを何度も目撃し、 その黒縁眼鏡、胡麻ひげ、恐らくは四十代の中年太りで無愛想なことを記憶していたから であった。 三十分程歩いて、横町川という名前の大きな川を渡り、さらに五分歩いて浦江高校に着 いた。「白亜の学舎」と校歌に謳う我が母校は、朝霧の中にうっすらと、その威厳を留め ていた。暫く足を止めて眺めていたら、小野君のことが思い出された。彼は、今、どうし ているだろうか。これから、その小野君に逢うのだ、などと考えているうちに落ち着いて 居られなくなった私は、来た道を早足で引き返すことにした。そして再び横町川に架かる 橋を渡ろうとしたその時、私はポケットの中に小銭の入っているのを思い出し、近くの自 動販売機で缶珈琲を買った。空腹時に飲むと胃を悪くするそうだが、私は平気でそれを飲 み始めた。橋の欄干にもたれ、鴎の水面に浮かぶ様を眺めながら。又、昨夜の出来事を反 芻しながら。 僕もまた、缶珈琲を飲みながら、この文章を読み直している。「一年前の己」という名 の原作者の話では、「橋を渡ろうとしたら『今さら』という自分の声を聞いて、それで昨 夜の出来事を思い出した」そうだが、不自然だと思って削除した。――いや、云わずとも 宜しい。君は恐らくこう思っているのではないか?「何を云うか。ここだけでない、この 話の全体が不自然だ。したがって全体を削除しなければならない」と。僕はこの意見に反 対だ。だいいち、或る程度の事実に基づいて書かれたこの話を、不自然だと批難するのは 無意味だ。事実なのだから、不自然なのは当然である。悲劇を見て悲しいと思うのと同程 度に、当然である。それに一部を削除したのは、ここだけが特に不自然だったからで、全 体が同程度に不自然なら、それはそれで一つの雰囲気をこしらえる。僕は己の美しい言い 訳に、やや満足を覚えた。 それにしても、「今さら就職には変えられんよ」とか「優秀な奴は、二年」という言葉 に、父は何を考えただろうか。そして私の将来にとって、何か重大な結果をもたらすので はないか。もし忘れて呉れたなら、その方がよい。僕はここで空き缶の処分方法について 検討したが、次のようにした。――私はくずかごを探したが無かった。そこで、誰も見て いないのを確認し、空き缶を川に投げ捨てた。いや正確には、水面めがけて投げつけた。 鴎に当たらぬように注意したつもりだったが、手元が狂って一羽の頭部を直撃した。その 鴎はガアという悲鳴をあげると、頭を水中に突っ込んだまま動かなくなった。と同時に、 仲間の鴎はいっせいにどこかへ飛び去ってしまった。……静寂の中に、私と、私の過失で 絶命した鴎が取り残された。私は凄まじい寂しさに襲われた。これは「城の崎にて」の真 似ではない。 やがて家に着いた。朝刊も届いていた。父と母はまだ眠っているらしく、相変らずひっ そりとしていた。まだ六時を少し過ぎただけであった。私は悶々とした気分を引きずって、 朝霧に濡れた服を着たまま、夢も見ずに眠った。九時ごろに目覚めて、鏡を見たら、私は まだ難しい顔をしていた。これから小野君に逢うというのに、こんな表情でいてはならな いと思って、無理にでも笑おうとしたが、私は作り笑いさえ出来なくなっていた。 家から諏訪野百貨店までは、徒歩で三十分ほどの距離しかなく、歩いて云っても構わな かったのだが、丁度父が休日で、車で送って呉れると云うから、車で行くことにした。勿 論、前日のことが尾を引いて、車中という密室の中に、父と二人で居た私の、心中穏やか でなく、時間の流れの極めて遅々としていたことは、恐らくは読者の想像にも難くないだ ろう。そして僕が父と遅々をかけたのだということも、たぶんばれているだろう。だが、 そのような空気を味わうだろうということは、私とて十二分に承知していた。それにも拘 らず、敢えて回避しなかったのは、単にポーカーフェイスを決め込もうとした為だけでは ない。私は、前日の話題の再燃を恐れつつも、又同時に、前日の話題についての再弁護を 試みる機会をうかがっていたのである。 そしてその機会は、間接的にではあるがやって来た。父はこう云った。 「その友達は、どんな奴だ」 「どうって、……そう云われてもなあ。難しいな」 「難しい奴なのか」 「そういう処もあるが、……好い奴だ」 「そうか」 父の反応の真意は知れない。だが、この「好い奴だ」などという在り来たりの一言によっ て、小野君に対する好印象を父に与えることには成功したと思った。のみならず、このこ とで自身の昨夜の不手際までもが救われたような気がした。 僕は己の小説が、いたるところ不自然であると認めた。その理由として、これが事実に 基づいているからだと書いた。だが、ここに至ってもうひとつ、理由があることに気が付 いた。それは主人公が、自らの心理を非常識であると認めていないから、というものであ る。これは重要な発見である。もし彼が、「私は自分が狂っているのではないかと思った」 などと云ったら、読者はそれに簡単に同意するだろう。人によっては「今ごろ気がついた か!」と嘲弄するかもしれない。そして、この小説は幾分か、自然の感を得るだろう。 三 店の前で父と別れた。家が郊外にある小野君はバスで来ると話していたが、まだ来てい ないようだった。そこで、店の正面玄関に置いてあるベンチに座って、彼の来るのを待つ ことにした。私は目の前を通る人を黙って眺めていたが、早朝から運動したせいか、数分 後にはうつむいてしまっていた。ふと我に返ると、なにやらジャージに革靴という異装の 者が、先刻から動かずに、私から三メートル離れた位置に立って、こちらを向いて居るこ とに気付いた。もしやと思って顔を見上げたら、小野君は微笑していた。私は思わず立ち 上がったが、しかし言葉が出なかった。先に言葉を発したのは彼だった。 「いつ、気が付くかと思ったよ」 「え?あ、ああ。……久し振り」 間の抜けた私と、その私が何か云うのを待っているような小野君と、二人で三秒間立ち 尽くしていた。私は取り敢えず聞いてみた。 「体のほうは、もう、いいのか」 「よくなきゃ、退院できんわな」 正直に云うと、私はもう少し感動的な再会シーンを想定していた。例えば満面の笑みで 「逢いたかった」と喜びあうような筋書である。しかし小野君の、なんだか昨日も逢った かのような物言いによって、ドラマは端から破綻した。私のロマンチシズムが過ぎた故か、 それとも彼のニヒリズムによるものかは知れないが、どうやら今日の再会について、私と 彼とで姿勢に相違のあったことは確かであろう。 とにかく、何処か座って話の出来る場所に行こうということになったので、諏訪野の中 にある喫茶に入った。今度は私から語り掛けた。 「本当に久し振りだな。最後にいつ逢ったっけか」 「俺が、こっちに帰ってきてからだから、もう二年か」 「二年」私は知っていた。 「長いのか、短いのか、よく判らんね」 私は小野君のこの言葉が、単に時間感覚についてのものであるか、それとも友情を試す 意図でのものであるか、判断しかねた。そこでわざと話頭を転じた。 「今、何をしてるんだ」 「そうさなあ。取り敢えず、生きて居る」 「大学のほうは、どうなってんだ」 「今年度いっぱいは休学する。その後のことは知らない。だが、――このまま休学し続け るわけにもいかんだろう」 「じゃあ、復学?」 「今年のうちに決めるよ」 小野君は壁を見詰めながらコーヒーを一口すすった。 「それはそうと、大学院に行くんだって?」 「え、ああ」 「ふうん。修士、か。それで何を研究するんだ」 それから三十分くらいプログラミングの話が続いた。その中で、小野君は次のように云っ た。 「しかしプログラミングってのは、小説を書くのに似てるよな」 「そうか?」 「なんとなくさ。使う言語は全然違うけど」 あとで考えてみると、これは小野君が、あとで大事な話をするための伏線として持ち出 した話題であった。 プログラミングについて一通り語り終えて、会話が暫時途切れたその時、小野君はおも むろに鞄に手を伸ばし、僕の財布をかすめた。嘘だ。これは僕が昨夜見た夢だ。彼は彼の 鞄の中からトランプ一式を取り出したに過ぎない。安心して呉れ。 「やるか?」 「ババ抜きなら」それ以外に知っているのは七ならべくらいだ。 「じゃあ、それで」 彼は無言でカードを切り、配りながら、 「二人でやったって、あまり面白くないけどな」と云った。 「でも俺らしかいないし」 「それもあるが、二人でババ抜きだと、最後に必ず二対一になるじゃないか」 「あ、そうなんだ。まあ、いいじゃん。やろうぜ」 本当にそうなのだろうか?僕は小野君の理論が正しいことを未だに証明できずにいるが、 もし間違っていたとしても、撤回する気はない。なぜなら、この小説では誰も彼もが真実 を語っていないからだ。僕は己の淋しい独り合点にやるせなさを感じつつ、カードに魔法 をかけた。 ジョーカーは私に来ていた。そして彼の忠告通り、終いには、カードの残りは私が二枚、 彼が一枚になった。そして彼の手番である。彼は何のためらいもなく、私のジョーカーを 引いた。一瞬、苦笑したあとで、彼はカードをテーブルの下に隠してシャッフルし、今度 は微笑しながら、二枚のカードを胸の前に構えた。 私は、まず右のカードに触ってみたが、小野君は表情を変えなかった。彼の顔に着目し ながら、私は左のカードに手を移したが、なおも彼の表情筋は仮面の如く固着し、その微 笑は全く微動だにしなかった。上手だなあと思った。私は思い切って左のカードを引いて みたが、引き抜いた直後に、彼は筋肉の緊張を緩めてニヤと笑った。無気味である。だい いち、彼の表情筋がどこに「固着」、つまりくっついていたというのだろう?ガムである まいし。まあ誰にでも間違いはある。気にするな。 今度は私がポーカーフェイスを試される番だと思って、彼と同じ仕草でカードをシャッ フルして構えたが、私と違って彼は迷うことなく右のカード、――スペードの五を引き抜 いた。迷うだけ無駄だと云っているふうであった。小野君は二枚をそろえて山に捨て、 「ファイブ・オブ・ソーズ、か」と云った。 「え?」 「あ、いや。タロットの、さ。小アルカナって云うカードの種類で云えば、スペードの五 はソード、つまり剣の五になるのさ」 「タロット、やってんだ」 「占いはしないが、知識として、な」 「なるほど。で、ファイブ・オブ・ソーズってのは、タロット的には、どういう意味なん だ」 「忘れたよ。小アルカナっていうのは五十六枚あるから一々覚えていないし、それにタロッ トのカードには上下の区別があって、上下正しく出るか逆に出るかで意味が違ってくる。 例えば大アルカナの太陽のカードには『成功』とかって意味があるけど、逆に出れば『失 敗』という意味になる。でもトランプのカードには上下の区別がないから、何とも云えん ね」 「じゃあ、良いカードだと信じよう」 「はははは、そういう解釈の仕方もあるか」 そのあとババ抜きをすることはなかった。十一時半を過ぎたところで、そろそろ昼にし ようということになったので、小野君が小学生の頃によく入ったという大衆食堂に行くこ とにした。 僕はもはや、どうでもよくなっている。会話と出来事とを乱立させ、面白おかしく飾っ ているだけである。ふざけているとさえ言い得る。だがその原因は僕にある。己の、そし て主人公や小野裕の云っている言葉が、果たして心の底から出たものであるかどうかを見 極めず、それこそ無心に書いたからこうなった。これは僕自身も予想していなかった失敗 である。 真実という名のダイヤモンドは、疑念の泥沼の中にだけある。己の心情を正確に表現し たつもりでいて、あとでそれが正しくないような気がして後悔する。それを繰り返すこと で、いつか本物の真実を見出すことができる。こんな、沼の周りに立って、沼に潜る勇者 を嘲笑するような小説には、何の真実も無い。 これこそ嘘だ!僕は無心に書けばこうなると予想していたのだ。わかっていたのだ。予 想外などではない。この効果は狙ってのものだ。だがこれには理由がある。僕は真実を探 すことに気を取られ、危うく沼の中で溺れてしまうところだった。僕はそれに気付き、無 心に小説を書いて、ようやく水面に顔を出した。そして岸に這い上がり、呼吸を整えた。 ……そろそろ行こうか、また。真実を探しに。 この食堂も、諏訪野も、同じ横町川の近くにある。この川は、むつ市の東隣の村を源と し、蛇行しながら市内に入り、西へと向きを固定して陸奥湾に流れ出る。昔の歌によれば、 この川の水を飲めば八十歳の老婆でさえ若返るそうだが、今も同じ効果が得られるかどう かは保証できない。彼らは諏訪野を出て横町川沿いを東に向かった。十五分程歩くと、例 の食堂を見つけた。「天元」という名前の、小奇麗な和風食堂だった。 先程の喫茶で、話すべきことは大方話してしまったので、私が中華蕎麦を、小野君が親 子丼を注文し、店内の雰囲気について二言三言論じたあとは、お互いに黙って茶をすすり、 窓の外を暑そうにして歩く人を眺めていた。その間、彼はずっと何か云いたそうにしてい た。まだ何か、重要なことがあるのだろうかと考えているうちに、私の中華蕎麦が先に運 ばれてきた。私は小野君の親子丼の来るのを待ってから箸をつけるつもりでいたが、彼は それを察したのか、 「お先にどうぞ」と云った。 「そう?じゃあ、失礼して」私は割り箸を手にとった。 「もしも、だ」 私は箸を割りかけたまま静止した。やはり小野君は、何やら重要なことをまだ云わずに いて、それを話すべき機会をうかがっていたのだと思って、私は心を構えた。 「もしも、……俺が、その、小説家になるとか云ったら、どう思う?」 私はこの言葉を聞いて、率直に云えば、現実的でないと思った。正確には、この言葉そ のものに現実味を感じなかった。「出家する」と聞いたかのようであった。読者は、小野 君が先程の喫茶で「プログラミングと、小説を書くのは似ている」というようなことを云っ たのを覚えているだろうか。あれは、この告白の伏線のつもりだったのである。 「小説家、ですか」 「まあ、もしもの話だ」 そこへ親子丼が運ばれてきた。 「どう思う」 「まあ、頑張れば、無理ではないだろうよ」 「それは、そうだが」 「本を出したなら、真っ先に買うよ」 「そうか。じゃあ、やってみるかな」 そうして二人とも黙々と料理を口に運んだ。小野君は少し残した。 「家じゃお粥だからなあ。こういう硬い米は胃がもたれていかん」 表向きは健康そうだが、やはり病気なんだと思った。果たして、彼の小説家志望を後押 しして良かったのだろうか。締切り前には徹夜もあろう。彼にとって良い生業と云えるの だろうか。私の意見は安直過ぎたかも知れない。だが、色々な苦労をしている彼なら、も しかしたら、何か書けるかも分からない。期待しよう。 食堂から出ると、先刻まで晴れ渡っていた空が、真っ黒い雲におおわれていた。のみな らず、既に雨の匂いがしていた。小野君はすぐ近くのバスターミナルから、帰りのバスに 乗ることにしていたので、百メートルばかりの距離ではあったが早足で急いだ。案の定、 ターミナルに着くなり大粒の雨が落ちてきた。やがて閃光が見えたと思うと、同時に爆発 的な雷鳴が街に轟き、車軸を流す豪雨となり、街は日蝕の如く光を失った。昼下がりの夕 立ちに煙る薄暗い街を見詰めながら、小野君は、 「次に逢うのは、いつになるだろう」と云った。 「正月は無理かも知れない。多分、来年の春かなあ」 「じゃあ、その時までに、何かひとつ書いてみるよ」 私は何も答えなかった。今度は、何も。 小野君の乗るバスが出発の時刻を迎えた頃には、雨は幾分か弱くなっていた。彼は乗車 口に片足を掛け、振り返って、 「じゃあな」と云った。私は、 「それじゃ、元気で」と返した。…… 四 ここまでが昨年の夏の話である。それから秋となって冬も過ぎ、また春がやってきた。 私は大学院に進み、忙しい日々を送っている。小野君は結局、今年の三月末を以って退学 したらしい。これからどうするのかは知らない。それよりも、また体調を崩したというの が気になっている。どうやら冬から春にかけて悪化するようだと話していた。 父はあと二年働いたら仕事を辞めると云っている。定年まで働くと逆に退職金が減るか らだと説明している。それでもあと二年、というのは、きっと私がきっちり二年で修士と なり、修了と同時に定職に就くという前提での「二年」に違いない。孝行ということを考 えれば、それを達成するのは私の当然の義務であろう。だが、本当に迷惑を掛けまいと思 うのであれば、今こうして親の資産を遣って大学院に行き、ひとりで自由な生活を楽しん でいること、これは果たしてなんであろうか。不孝というものではなかろうか。それなら ば明日にでも退学届を提出し、……いやいや、それは性急過ぎる。しかし判らない。私は、 子として学業を成就させることが孝行であるか、それとも学業を即座に放棄、翌日から職 安に通うことこそ孝行であるか、それが判らないで居る。…… ところであの時の「ファイブ・オブ・ソーズ」であるが、あれが上下正しく出たときの 意味のひとつに「健康状態悪し」というのがある。小野君の場合、まさにそれだったので あろう。 では私にとっては、あれは何の暗示であったのかというと、残念ながら明確な言を得る には至っていない。小野君にとって上下正しく出たのであれば、私にとっては上下逆だっ たと解釈するのが自然であるから、その場合の意味を調べてみると、「見通しがきかなく なる」とか、「むなしい毎日」といったものがある。しかし、現実はそうでもない。私は 今日やるべき事も、明日やるべき事も判って居るし、何もかもが順調に進んでいて、むな しいどころかたのしい毎日であるとさえ言い得る。 だがふと、自分が自棄になっているような気がするのは、――否、気のせいだろう。雨 ざらしのまま、未だに氷解せぬ、あの日の困惑のほかは。…… 終