弘前は雪の街

 まるで、川端康成の小説「雪国」の、最初の一文のようであった。鶴ヶ坂の長いトンネ
ルを抜けると、あたり一面雪景色。津軽平野は、もうすぐ、完全に、雪に埋もれようとし
ていた。
 私は、青森県のとある村に、家族とともに暮らしている。弘前に来たのは、通院のため
である。ここに来るのに、電車とバスを乗り継いで半日がかりであった。半日かかって、
となると、何か私の村が大変な僻地にあるように思われるかもしれない。確かに僻地では
あるが、決して、離島などではない。れっきとした、本州の一部である。ただ、少しばか
り、交通の便が良くないだけである。弘前まで来なくとも、すぐ近くに病院はあるのだが、
以前、弘前のある大きな病院で手術を受けたこともあるし、その後の経過がどうなったか
を報告する必要もあるだろうから、私は三ヶ月に一遍、そこに通うことになっているので
あった。この前来たときは、季節はまだ秋だった。黄金色に輝いていた津軽平野は、今は
もう、銀世界に変わろうとしていた。
 今日で、弘前に来て二日目になる。昨日の午後、第一内科に掛かって、今日の朝、第二
外科に掛かった。今は市内のホテルの五階にいる。もう帰ろう、と思う。

「弘前に行ってくる」
 と、私が突然言い出したのは、四日前の朝であった。実行を宣言するのには、適切な時
期というものがある。あまり早く宣言すると、その日までそわそわして落ち着かないし、
直前過ぎると家族が困る。私としては、実行の二日前の表明というのは、最善のタイミン
グであった。当日の朝になって祖父が、寒いからあれを着ていけ、これを着ていけ、途中
で腹が空かないようにパンを持っていけ、ジュースを持っていけ、と言うのには閉口して
しまった。毎回繰り返される「親切に対する辛抱」である。一刻も早く、ここを脱出した
ほうが良い、と思った。だいぶ機嫌も傾いたところで出発の準備が整ったのだが、出発す
べき時間まではあと少し時間があるから、家で待つことにした。そうしたら、
「ほら、そのパン、持っていけ!」
 まだ言っている。昼前には途中の青森市に到着するのであるし、朝食もいつも通り食べ
たのだから、持っていく必要はないと説明したのだが、無駄だったらしい。他に、心配す
る方法を知らないのではないだろうか。
 時間が来たので発つことにした。定刻より少し遅れてきた定期バスに乗り、隣のむつ市
へ。最初、貸切状態だったバスは、やはりむつ市内の高校に通学する生徒を乗せて、徐々
に席を埋めていった。結局、乗客の九割は高校生になってしまった。彼らは中間テストの
話をしていた。
「数学、やべぇー。川村、どう?」
「そうだよな、積分なんてわかんねぇよ」
「これじゃまた赤点だなぁ」
「柴田、おまえわかってそうだな」
「だ、大丈夫だと……思う……」
「おまえ、俺の前だから、見せろよ」
「え?で、でもそれってカンニング……」
「いいからいいから、よろしくな」
「川村はいいなぁ、俺の前なんてアホの井上だぜ」
 こういう場合、気の弱い秀才柴田は、問題用紙を机の左に、解答用紙を机の右に置いて、
体を自然な範囲で左に傾けて、後ろの凡才川村に、解答用紙が見えるようにするのだろう。
ただ、私は専ら柴田のほうであったので、実際にどの程度、川村から見えていたかは知ら
ない。そういえば、二学期の中間テストの季節だな、と思いつつ、終点のバスターミナル
に到着。青森市に向かうバスは、まだホームに入っていなかったので、近くの自販機で熱
いコーヒーを一本。それと同時に、目的のバスがやってきた。
 バスには多くの人が乗り込んだが、半数近くが、ある学校の生徒だったと思われる。途
中で彼らが降りてからは、バスの中はただ、エンジンの音がするばかりであった。沈黙の
バスは、途中の野辺地という町で、沈黙を保ったまま休憩時間を取り、そして再び青森へ
と出発した。この野辺地のもう少しむつ寄りの方、例えば横浜町の辺りから、陸奥湾越し
に眺める釜臥山が、私は一番美しいと思う。
 バスの時刻表には、十時四十九分に青森駅に到着する予定であると書かれていた。それ
に一番近い弘前行きの電車は十一時ちょうどであるから、もし予定通りであれば、それに
間に合うことになる。間に合わなければ、次の十三時の電車を待つことになる。よく知ら
ない街を二時間もふらふらしていることもできないし、駅ビルにいたって無駄に金を消費
するだけであるから、十時四十九分に到着することを期待していた。ところがバスの中に
掲示されている「お知らせ」を読んでみると、冬期間は特に道路が混雑するから、急いで
いる人は途中で降りてタクシーを使ってくれと書いてある。そして案の定、バスが到着し
たのは十一時十三分。ここのバス会社が、市外の定期便で、予定通りの時刻に到着したこ
とはないと思われる。(ここの)バスは遅れるのだ、と覚悟を決めていかねばならん。で
もだからといって、遅く停留所に行けというわけではない。乗り遅れても私は知らない。
私は乗り遅れる夢を、よく見る。
 切符を買って、時間が有り余っている私は、とりあえずレストランに行くことにした。
マニュアル通りの言葉で接客する店員に導かれ、窓際の席に座る。まだ十一時半にもなっ
ていなかったので、客はまばらだった。掛そばを食べようと思ったが、メニューになかっ
たので、うどんのほうを注文したら、
「うどんとおそばが御座いますがー」
 だから、うどんだって言ってるだろう、と思った。別の客には、
「熱いのと冷たいのが御座いますがー」
 とも言っていた。そういうのはメニューに書いておけばいい話である。ひどく機嫌が悪
い客に対して、そういう質問をすると危険だと思う。これはもしかしたら、客に考える時
間をあまり与えず、回転をよくするためなのかもしれない。私が食べ終わる頃には、隣の
女性客がタバコを吹かし始めた。喫煙に対する制限が厳しくなって、例のバスのバスター
ミナルですら「喫煙することが困難であると思われる」という、喫煙者の立場で考えた
「仕方ないのだ」といわんばかりの理由をつけて、灰皿を撤去しているのに、なぜレスト
ランでは認められるのだろうか。いや、それよりもひどいのは、ある大学の学生で、休み
時間で人があふれている構内の道を、火が付いたタバコを持って歩いているのである。あ
れはどうかしてるんじゃないかと思う。カッターの刃を剥き出しにして歩いているのと同
じくらい危険である。だので、隣で機関車の如く煙を噴き出している人は、許すことにす
る。
 まだ正午にもなっていないので、ノートパソコンでメールのチェックをすることにした。
今年の春に買ったプリペイド式の通信カードは、こういうときに役に立つ。何せ私のいる
村では、電波が受信できないので役に立たないのである。ダイレクトメールが三通、ニュ
ースグループへの投稿が一通。お、私の投稿した記事に対するフォロー・アップだ。メー
ルや掲示板でいうところのレス、である。少し気をよくした私は、レストランを出て、買
わなくてもいいパソコンの本まで買ってしまって、しばらく駅ビルの中をうろついて、何
かないかと探してみた。これは!と思うものは何もなかったので、駅ビルを出た。
 まだ一時間もあるので、近くの歩道を散歩してみた。陸上競技場のトラックに敷かれて
いるようなチップが埋め込まれている。確かタータンといった気がする。そのお陰か、歩
道には雪がない。替わりに、隣接する公園から雪に締め出された鳩が、足元を埋め尽くさ
んばかりに群がっていた。鳩をまさに蹴散らして歩く様は、あたかも、怪獣の、街を破壊
せんとする風である。私には悪気はないのだ、わかってくれ。しばらく行くと、車道に車
が列を成して駐車していた。よく見ると、運転手は皆、空を見上げている。涙がこぼれそ
うなのか、いや、ただ寝ていただけだった。
 行ける所まで行ったので、引き返すことにした。ホームのほうから、弘前行きの電車が
そろそろ来るという放送が聞こえてきた。あと三十分近くあるが、もうやることもないか
ら、とっとと乗ることにした。正確な数はわからないが、四両くらいで編成されていた。
きっとこの時間帯は乗客数が多いのだろう、と思ったが、実際には席に座ることのできな
い人はいなかった。正面には文庫本サイズの本を読んでいる女性、かっこいいヒゲを生や
し、娘なのか孫なのかわからない少女と一緒に乗っている男性、観光と経済が云々という
難しそうな厚い本を読んでいる若い女性が座っていた。
 電車が出発して数分し、例の鶴ヶ坂のトンネルである。ここを抜ければ銀世界、という
わけであった。銀世界といっても全然銀色ではないが、白世界というよりは、何か高級な
感じがしていいのだろう。光っているのが銀と言われる所以なのかもしれない。その頃、
電車の中では銀世界ではなく、夢の世界に浸っている人が多くいた。昼下がりは大抵眠い
ものであるが、冬は暖房が効いて、特に睡魔が大活躍である。私の隣にいた人は、電車が
弘前駅に着いて、乗客がぞろぞろ降りだしてもなお、眠っていた。この人起きるかな、と
心配したが、私が前を通り過ぎた直後に起きたので安心した。
 駅を出ると、やっぱり、弘前の街だった。なんだか昨日も来た気がした。早速タクシー
に乗り、その病院に行った。ここの第一内科では、午前中は全般的な診察を行って、午後
は専門の先生が診ることになっている。この日は木曜日で、ちょうど私の病気の部門の先
生の診察日であった。
「特に変わりはありませんか」
「はい」
 とまあ、いつもの、まるで挨拶のような問診ではあるが、ここで、
「いやー、実は……」
 なんて言ったら、やはり向こうとしても、
「むむ?」
 となるに違いない。はい、とは言ったものの、実は貧血になっているので、鉄剤を飲ん
でいるということを伝えておいた。本当は私のような病気の場合、一種の流動食のような
ものでも栄養を摂るべきなのではあるが、興味も切迫感も湧いてこないので、一向にやり
たい気がしない。私の場合は、三ヶ月前に缶入りのものを処方してもらったのだが、未だ
に箱にたくさん入ったまま、二ヶ月間放置されている。続いたのは最初の一ヶ月だけであ
った。
「どうもやる気がしなくて」
「これは悪くなるのを予防する目的なんだから」
 いや、それはわかっているのだけど、でもやっぱりだめだ。先生、すみません。
 そういう罪悪感を抱きつつ、今回の通院のついでにやろうと思っていた、お見舞いなる
行為を実行しようとしたが、なんだか実はもう退院してたなんてことがあったらやだなと
思って、玄関近くの窓口で確認してみた。
「あのー、すいません。第一内科に○○××さんという方が入院していると思うんですが」
「ええと、○○さんね」
「はい」
「F町の方ですか」
「そうです」
「もう退院されましたよ」
 ああやっぱり。確認してよかった。
「ああ、そうですか。いつ、退院されたんですか」
「先月末です」
「そうですか、いや、どうも失礼しました」
 私がここ、弘前に来たのは通院のためでもあり、見舞いのためでもあり、観光のためで
もあった。その目的の一つが達成せられなかったのは残念であるが、何れにしろ退院とは
良いことであるから、おめでとう、と心の中で言ってみた。
 もう今日は、この病院には用事はないし、もうすぐ三時だから、電話帳で適当なホテル
を探して、予約することにした。一件目が満室で、二件目に電話して予約できたのが、今
いるこのホテルである。部屋に入って荷物を置き、ベッドに倒れこみ、突っ伏して三秒後
に顔を上げ、
「なあんだ」
 と言ってみた。何がなあんだ、なのか自分にもよくわからなかった。ともかく今日はあ
とは夕食を食べて、シャワーを浴びて、寝ることにしよう、と思った。一階にあるレスト
ランで、おにぎりを注文した。梅と鮭の素朴なものに、漬物と味噌汁が付いて五百円であ
る。漬物は全て白色だったので、紅いのも混ぜたら目出度いんじゃないかと思った。とこ
ろで私は、何も見ずに食事をすると気が競ってならない性格なので、こうやって握り飯を
食べることすら落ち着いてできない。目の前に新聞があるが、新聞を片手に食べるのもみ
っともない気がしたので、そわそわした気分のまま、食事を完了した。部屋に戻ってテレ
ビを見たりインターネットをしたりして、いい加減眠くなってきたのでごろごろしていた
ら、もう午前一時である。快適な睡眠のためには、寝る前に体温を上げてはいけないと聞
いた。今からシャワーを浴びると眠られなくなる可能性がある。そこで私は、素直に寝る
ことにした。
 朝の五時半に目が覚め、シャワーを浴びた。外は雨。これでは何処に行くこともできな
い。私が弘前に来たもう一つの目的である「観光」が、いや、観光も、諦めねばならぬの
か。やまないかなー、と思いつつ、朝食を摂る。バイキング形式の料理を適当に選び、ま
たも落ち着かない食事。今日は第二外科の方に診察に行かねばならない。降り止まぬ雨の
中、タクシーで、昨日も行った病院へ。
 待合室へ行ったら、二人しか座っていなかった。一人は新患、もう一人は再来らしい。
椅子に座って待つ事十五分、
「○○××さーん」
 と、もう呼ばれた。で、例の如く挨拶程度の問診。変わりがないというのは、良いこと
なのだ。内科と外科で違うのは、治療に対する慎重さであると思う。先ほどの流動食に関
しても、外科では「別に変わんないんだったらやらなくてもいいよ」などというようなこ
とを言っていた。そしてあるかないかの診察は終わり、会計も済んでしまった。まだ九時
である。八時半に出発して九時に帰ってきたら、ホテルの人は、この人はどこに行ってき
たのだろうと思うに違いない。だが生憎の雨、どこに行くこともできない。逢いたい(け
ど逢いに行くわけにもいかない)人もまだいる。すごすごと帰るのはもったいない気がし
て、私は玄関の前で十五分ほど突っ立っていた。未練、というやつである。私は、今日は
三時くらいまで、市内探訪とか、色々してみたかったのである。だので、一泊でいいとこ
ろを、二泊も予約したのである。今日一日、これからどうすればいいのだ。でもやっぱり
諦めることにした。また三ヶ月したら、ここに来るのだ。その時また、と思って、未練を
捨て、タクシーを拾い、再びホテルへ。
 部屋に入ってさあどうしよう、と。青森駅で買ってきた本を読む。まずまず面白い。飽
きてインターネット。見るところがない。昼食として買ったパンを食べ、眠たくなったの
で寝た。二時頃に突然、
「いかん、いかん」
 と何かをやる気になったが、何をやる気になったのかよくわからなかった。部屋を出て
気分転換することにした。
 五階の廊下の窓から弘前の街を眺める。遠方には霞がかった岩木山。まだ雨が降ってい
る。ホテル内の自販機でコーヒーを買い、部屋に戻ってパソコンの電源を入れ、メールチ
ェック。まだ何も来ていない。なんだか文章を書きたくなったので、この話を書くことに
した。ガタガタと打ち込んで、夕食の時間。今日は千円の焼き魚定食にした。魚は日替わ
りらしい。今日は秋刀魚だった。出てきたのを見ると、異常に大きい気がした。でも確か
に、秋刀魚だった。味も合格点。
 部屋に戻り、またパソコンに向かった。続きを書く前に、再びメールチェック。ん?誰
かから来ている。あ、あいつだ。それは、私の、ある友人からのものであった。今度遊び
に行く、と書いてあった。嬉しくなって、早速返事を書く。
「いつでもいらしてください」
 明日は晴れれば良いと思った。

                                      終