彼は昔の彼ならず

He is not what he was. という例文を見たのはたしか高校のときだったが、文法の形式名はすっかり忘却してしまった。しかし洒落た表現だなあと思ったことは、未だに覚えている。

タイトルを見て、年少の頃に親しくしていた友人と数十年ぶりに再開したら、性格も何もすっかり変わっていたという話を想像した人もいるのではないかと思うが、そうではなくて、貸家の家賃をめぐっての大家たる「僕」と店子である「青扇(彼)」とのやりとりを描いた作品である。ただ、「僕」よりも青扇のほうが作者に近いと思う。というより、間違いなく作者自身がモデルとなっている。


青扇は初め、「自由天才流の書道家」と名乗って「僕」のもとを訪れる。ちょうど借り手を探していたところであるから貸すことにしたが、青扇は敷金を半分だけ払う。もう半分(五十円)は、引っ越したあとで挨拶ついでに持ってくるという彼の言葉を「僕」は信じて待つが、彼が持ってきたのはのし袋に入れた「そば屋の五円切手(商品券)」だった。

これは敷金のつもりだろうか。ふざけている、と思った「僕」は、その切手の意味を正すため青扇の住まいに乗り込むが、将棋を指したり酒を飲んだりでなかなか話を切り出せない。そのうち「北斗七星」とペンキのハケかなにかで書かれたような掛け軸に話が及び、「これが自由天才流ですか」と「僕」が言うと、青扇。

「自由天才流?あれは嘘ですよ。この頃の大家さんは無職だと貸してくれないそうですから、あんな出鱈目をしたのです。怒っちゃいけませんよ。」

苦笑しながらこのように答えた。青扇が無職であるとわかった「僕」は、敷金のことが再び気になりだしたので、ようやく「敷金の。」と一言触れるなり青扇。

「そうですか。あした、持って行きましょう。今日は銀行が休みなのです。」

今日が日曜日だと気付いた「僕」は思い切り笑った。青扇も笑った。そうして「僕」は彼に天才の印象を感じた。そのあとも、そのそば屋の切手で酒を頼んで大いに飲み、別れ際、握手をしてこう言った。

僕「君を好きだ」
彼「私も君を好きなのだよ」
僕「よし。万歳!」
彼「万歳」

当然ながら、翌日青扇が敷金を持って「僕」のところに来ることはなかった。「僕」はそのあとも数ヶ月に一回は彼に敷金のことを話しに行くが、彼曰く、小説を書く。昔は文学書生だった。資料を集めている。書けなくなった。昔の人が言い尽くしているからばからしい、などなど嘘八百。それと彼のとぼけた口調で煙に巻かれ、結局一年経っても敷金は得られずじまいとなる。もちろん家賃も滞納している。そしてこれからも彼はあそこに居座り続けるだろう、とい話が、この作品の概要である。


ところでなぜ、「僕」は青扇を追い出さなかったのだろうと考えたとき、同時期の小説「道化の華」の一節を思い出す。

「青年たちはいつでも本気に議論をしない。お互いに相手の神経へふれまいふれまいと最大限度の注意をしつつ、おのれの神経をも大切にかばっている。」

このような作者の主張を考慮すれば、その青年たる「僕」が青扇に対して「出て行け」という最強の態度をとることなく、「ばかなことはいい加減によさないか」「甘ったれるのも、このへんでよしたまえ」などと婉曲する理由を、読者は理解できると思う。

21th October 2005